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一昨日にとつぜん、右手の人差し指の関節が痛くなりました。
微妙な痛みで、お金をつまもうとしたり、指先に力をこめようとする(たとえばお鍋のこげたのをこすり落とすとかね)と痛みます。パソコンのキーはそっと打てば大丈夫。 「歳、歳だよ。痛風だから、君、ステーキ食べない方がいいんじゃない」とBFのおやさしい言葉。フン! 人差し指をいたわるために、なるべく中指を一差し指代わりに使ったり、左手に活躍してもらおうと努力しています。 お店で、人差し指をつかわないように、ちょっとあげて、中指と親指でお札を取ったら、レジの女性に「あらー、優雅な仕草」と言われたので、「優雅なんかじゃないのよ。人差し指がリューマチだか痛風だかで痛いから、こうやってるだけなの、ハハハ」と答えたら、彼女も笑いだしました。 でも、左手はちょっとやそっとでは、右手の代用にはなりませんね。いかにふだん右手が酷使され、左手が怠けているかがわかります。 両手をしみじみながめてみました。 左手の指はいまだにまっすぐで、まあほっそりしているのに、右手の指は関節がごつごつして(節ばって)、とくに酷使される人差し指と中指は太くてしかもしわだらけ。 これを見て思い出しました。 元夫と知り合ったばかりの大昔。 彼の手はほっそりしていて、指がほんとうにやさしく、優雅に見えました。 「きれいな手ね」と言ったら、彼は 「こういう手は自慢でもなんでもないんだ。恥じなきゃいけない。いかに体を使って働いていないかの証拠だからね。僕の母親の手は、ごつごつしている。ああいう手がすばらしいんだ」と言いました。当時の私には新鮮な物の見方に思えました。 元義母さんの手はたしかに大きくて、いかにも働き者の手でした。彼女は若い頃から苦労して生きてきた人です。 私の息子が赤ん坊の頃、元義母さんは孫をなでながら「ごめんなさいね。私の手はがさがさしているから、痛いでしょう」と申し訳なさそうに、語りかけました。 そのときのお義母さんのやさしい顔が忘れられません。働いてきた証拠の手を恥じないで、と心の中で叫びました。 元義母さんは苦労を愚痴ったり、他人の悪口を言ったことがありません。ただ一言、「ちょとたいへんだった」と言うだけ。 元義母さんが彼女にとっての舅姑夫婦と同居していたときは、いじわるで気位が高い姑から、 「あんたのようにどこの馬の骨だかわからない人と同じ台所を使いたくない」と言われて、家のわきの路地で炭で調理をしなければならなかったそうです。 このことを私に話すときも、義母さんは「練炭を起こすのに時間がかかってねえ。面倒だったのよ」と微笑んだだけ。いじわる姑の悪口は一言も出てきませんでした。この姑が他界してからは、お義母さんは彼女の舅が高齢で亡くなるまで、何十年も世話をしました。 元夫の妹があるとき話してくれました。 「高校のとき夜遅く帰宅しても、おかあちゃんは叱りもしないの。でも、その顔からは、おかあちゃんがずっと寝ないで心配して待っていたことがわかるから、叱られるよりももっと辛かった」 私も似たような経験をしました。半年ほど、夫の両親とこの義妹と同居していたとき、一度この義妹とちょっとした喧嘩をしました。これを察した夫が、当時赤ん坊だった息子と私を高尾山に連れ出してくれ、帰りには飲み屋にもよって、夜中に帰宅しました。私たちが家出をしたと心配したらしいお義母さんは、もちろん寝ずに待っていてくれました。私たちの姿を見ると、怒りもせず、「なぜ電話の一本もかけてくれないの」と詰問もせず、ただ一言「もうこんなことはしないでね」と息子を抱きしめただけ。 曲がった(曲げていると痛まない)人差し指をながめながら、こんなことを思い出しました。 元義母さんは、90歳以上まで長生きしてから静かに他界しました。 元夫はいまでは岩手の山の中で自然を相手に生活しています。ツキノワグマもいる森で、クマに出会えることを期待しtながら、木を間伐したり、クマザサの茂みを手入れしたり(たぶん)。 若い頃のあのほっそりした優美な手は、ごつごつした、自慢できる「労働者の手」になっているかもしれません。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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