2013/04/10(水)18:38
老いの自覚あらためて
ドリスという十年来の友だちがいます。
そう言えば、ドリスという名前の知り合いが全部で四人、みんな名前のイメージに似て、かなりまたはすごい美人です。
彼女はほとんど毎週、日曜日の午後にふらりと立ち寄っては、わたしの焼いたケーキを「太るからちょっとにして」といいながらも、結局はしっかり食べてくれ、コーヒーを飲み、友だちのうわさ話などをして、帰っていきます。
ところが、この二週間以上、顔を見せません。メールを出しても、音沙汰なし。
共通の友人と、いささか心配していたところに、昨日、電話がありました。
か弱い声で、「今、病院にいるの。救急車で運ばれて。肺炎だって」とおしえてくれました。
どこの病院だか聞かないまま、電話を切り、ドクターの名前と内科というキーワードだけを頼りにインターネットで探したら、大学病院でした。
こういうとき、インターネットって便利ですね。
さっそく、ケーキ二切れ(冷凍しといた)をもって、訪ねました。
「あら、もう来たの、早いわね」と弱々しく頬笑む彼女は、顔から色が抜けていました。
自宅にいて、けだるくて、ぐったりして何もする気になれない、と思っているうちに、もう失神したそう。
ちょうど、訪ねてきていた姪御さんが救急車で運んでくれたそう。
ふだんは一人暮らしなので、姪御さんがいなかったら、そのままになっていたかもしれません。
風邪でもないのに、とつぜん肺炎にかかるというのは、老いてくると多いことのようです。
彼女の場合は、最近、転んで、関節をいためて手術をしたばかりなので、それで体力や免疫力が弱っていたのでしょうか。
こういう事態に直面するたびに、いつかわたしにも、こういうことが起こるのを覚悟しておかなければ、と改めて思います。
死自体はこわくはない、というよりもどうせいつかは訪れる、想像もできない事態ですけれど、そこまでの過程はいろいろ。
幸運なことに、病院とはお産以外では縁がないために、たまにこうして病院に行くと、気持ちが萎縮します。
父が「人が傲慢にならないために、ときどき病院に行って、自分がどれだけ恵まれているか、感謝しなければいけない」と言っていたことを思い出します。
その父は最後の二年を病院で、いろいろな管につながれて過ごし、日本人としては相当若くして逝きました。
わたしも、父の当時の年齢に、刻々と近づいています。
近頃のドイツでは、病院が財政を救うために、必要もない手術を患者にほどこす例がきわだっています。
そのために、手術の回数が、ここ数年で急増し、先進国の中では先端を切っているとか。
手術ミスや、手術のさいの細菌感染も大きな問題になっています。
こういうことを聞けば、ますます病院には行きたくなくなるし、手術などは絶対にしたくないと思ってしまいます。
自分が「手術をしなければ、命が危ない」と宣告されたときに、手術を選ぶか、そのまま早く、速く逝く道を選ぶか、
そんなことを夜中に考えていたら、眠れなくなりました。
十才ぐらいのときに、「人間は生まれたら最後、死に向かう電車に乗せられたようなものなんだ。途中下車はできないんだ」と気がついて、眠れなくなったことを思い出します。
あのときのわたしは、このためにやせ細ったものだけど、今のわたしは、これぐらいではやせ細りません。
やっぱり年とともに、心も体も図太くなったということでしょうか。
meta-tokonoma posted by (C)solar08