カテゴリ:プライベート
昔は、試着室の鏡は、客のスタイルをほっそり見せる仕掛けがあるのではないかと、本気で疑っていました。
だってね、試着室で着てみて、「あら、似合う、ワタシって意外にほっそり」と気に入って買ってきた服を、自宅でもう一度着て、鏡で見ると、その姿は絶対に、毎回かならず、違うのです。 「えっ、こんなはずでは。あのすらりと似合っていた姿はどこに行った?」となったのです。 この現象、日本でもドイツでもそうでした。 それが、近頃は、、、。 衣料デパート、大きなブティック、小さなブティック、このところ立て続けに、何軒もの店でブラウス、Tシャツっぽいブラウス、ワンピースとさまざまなスタイルも色も異なるものを試してみたところ、 毎回、「あっ、こんなハズでは」と驚愕するほど、鏡に映る自分のすがたは、ブクブクで寸足らずで、もう目をおおいたくなるほど。 自宅の鏡で毎日、見ている姿とどこかちがというか、もっとずっとネガティブです。 近頃の試着室の鏡は横に拡大するようにできているのだろうか、、、。凸レンズなのだろうか、、、、。 そんなハズないのはわかってますけどね。 あんまり、毎回がっかりしたので、無駄な買い物しないですんではいます。 人間は自分自身について、真実よりもかならず過大評価しているのだということは昔も読んだことがあるし、つい最近もドイツの雑誌で心理学者が言っているのを読みました。 そうなのよ、そうしないと、人間は楽しく生きていけないらしい。 自分の姿は見えないから、少々は良く想像しているのが幸せ。 そして、鏡を見るときには、心理的な色眼鏡をかけて見ているらしい。 それなのに、どうして試着室の鏡を見るときには、この色眼鏡が効かないのか、そこの謎は解けません。 一つにはね、周囲はドイツ人がほとんどだから、したがって、みなさんワタシよりは背だけは高いです。 だから、ワタシの「目の常識」つまり、心の中で描いている姿の標準は、ワタシよりもずっと背が高い人の姿で、デパートとかブティックでは、周囲にそういう背の高い人がずらずらいるわけで、そういう人々を見たばっかりのときに、試着室で自分の姿を見ると、自宅で誰もいないところで自分の姿を見るときとは、心の中の標準が違うため、とりわけショックを受けるのかもしれません。 これがワタシの独断と偏見に満ちた心理分析です。 ま、周囲の人々は、背だけではなく、胴回りその他も、ワタシよりは太めである人が多いですけれど。 それでも、ドイツのサイズのSが昔はワタシのサイズだったのに、近頃は太さに関してはMになりつつあって、それなのに、背丈は相変わらずS以下だから、そのバランスが悪くなってきたのです。 ああ、いやだ。 体重はx十年前と変わらないのに、脂肪のつく場所が移動し、集中して、、、。 体重を落としても、頬だの胸元だのがこけるばかりで、余計な脂肪がついたところは最後まで残る(食料危機がきたときのための、最後のリザーブというわけらしい)。 ああ、いやだ。 もう洋服なんか考えないで、ウマいもんをドンドン食ってしまおうか。 次回はもっと高尚なネタで何かを書けることを願って、、、。 こちらも暑くなりました。今日は日中の場所によっては30度以上のようです。 ドイツの東北部では、いまだに水につかっている家があります。(ワタシが住んでいる南西部ではまったく洪水なし) でも、今回の大規模な洪水で、死者は出ませんでした。それだけが幸いでした。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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