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テレビで、コメディアン(ドイツの)がこんな調子で漫才(のようなもの、風刺を込めたお笑い話)を始めていました。
「ゾウがラクダに向かって「おまえ、背中におっぱいつけてんか?」と言ったら、ラクダがゾウに向かって「おまえは、顔にしっぽをつけてるじゃないか」と答えたそうです。世の中には不思議な動物がいるもんです、、、、」 ほんと、ゾウとかラクダとかキリンとかを一度も見た事がない人が、ふつうの他人からこういう動物が世の中にはいるよ、と聞かされたら、信じないかもしれませんね。 それでも、実際には、たとえ動物園などで実物を見たことがなくても、たいていの人がこれらの動物がいることを信じているのは、図鑑とかテレビや雑誌とかで写真や図で紹介されているでしょうね。 信じる、というのは不思議なことです。新聞に載っていること、本に書かれていること、テレビで報道されていることが真実なのかどうか、実のところわからないけれど、専門家やジャーナリストが言っているのだから、本当なんだろうと、わたしたちは善意に信じるわけです。 昔、「鼻行類」という本を訳したことがあります。 その名の通り、鼻で歩く動物です。いろいろ種類があって、単純な種は棒状の鼻だけでできたような体で、伸びたり縮んだりしながら移動します。 鼻と四つ足で歩く種(ハナアルキ)、ダンボのような大きな耳の種、人間の乳房のような胸をもつ種、、、などが精密でユーモラスな図入りで紹介され、その進化、鼻という器官が歩いたり、手のように使われたりするようになった進化の過程も、詳しく生物学的、生理学的に解説されています。そう、理論的にはこういう動物が存在しても、おかしくはないのです。 ただ、この動物群は多くの人に知られる前に、核兵器実験のために絶滅してしまったのだと本には書かれています。 だから、私たちはこの動物を見たことがないし、標本もないので、実物を見ることはできません。 この動物の存在を信じるか信じないかは、それぞれの人にまかされているのです。 この本は数十年前にドイツで出版されて、著者(生物生理学の教授)は「鼻行類」について大学の生物学科の学生たちの前で「鼻の下に付け髭つけて」講演もしたそうです。どこかの博物館には、鼻行類の模型も展示されていたことがあります。 権威のある学者が発表しているのだから、この動物はいるに違いないと思った人はたくさんいて、どこかの国の新聞すらも真剣にこれを記事にして、「核実験のためにそのような貴重な動物が絶滅したとは遺憾である」と論説を出したとか。 もし、このような奇妙な動物がいる、という話をしたのが学者ではなくて子どもだったり、どっかのおばさんだったりしたら、どうでしょうか。 きっと誰も信じなかったでしょうね。 物事の信憑性、ある事を信じるか、信じないかは、それを主張するのが誰であるかによって、大きく変わってくるのですね。 ところで、ゾウとラクダのお笑いを聞いていて思ったのですが、ゾウから見たら、人間は奇妙な動物に見えるだろうねえ。 サルから見たって、人間は奇怪だよね。体が毛皮におおわれていなくて、ただの肌がむきだしなんだから。「気持ち悪ー」って思うだろうね。 私たちだって、体に毛がない、アフリカのデバネズミの写真を見ると、ぎょっとするでしょう? 奇怪とか奇妙とか異常とかいうのは、誰にとってそうなのかで変わってくるんだね。 そういえば、マダガスカル島(アフリカ)に数週間いた間は、周囲の人のほとんどがブラウンの肌だから、自分もそのつもりになっていて、たまに白人とか黄色人を見ると、奇妙に感じたものです。まあ、BFも白人だから毎日見ていたわけなのに、周囲の肌の色の大半がブラウンまたはブラックだから、私の「標準」の目安がブラウンになってしまったらしいです。 不思議な感覚でした。 ということは、周囲の人の意見とかセンスとか考え方が圧倒的にある一つの色を帯びていたら、私も知らず知らずの内に自然にそれに染まってしまうということかしら。 恐ろしいことです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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