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わたしが五歳ぐらいの頃、当時住んでいた古い家の床が持ち上げられた。
当時の実家は、大正時代の大震災にも耐え、二次大戦の爆撃も免れた、古い代物だった。 父方の曾祖父と曾祖母が小田原からでてきて本郷のに買った家で、明治時代に建てられたという小さな家が一つの敷地内に二つならんでいた。 これら二つの家は床の位置が低くて、シロアリなどの被害を受けやすかったようで、ついに土台を持ち上げるという大改築が決定されたようだ。上に建っている家はそのままにして、土台を持ち上げるのだ。 わたしが覚えているのは、ちょっと怖い顔をした、筋肉もりもりの男性たちが、ねじり鉢巻きをして家の四隅に陣取り、「エーンやコーラ」とかけ声をあげながら、ジャッキだかなんだかを動かしていた風景だけだ。 威勢よく肉体労働に集中する男性たちの背中から肩、腕にかけての筋肉は、ふだん見慣れている父親の、白い肌の女性のような柔らかいそれとはまったく異質で、わたしは恐怖と畏敬と混じった気持ちで、いつまでも眺めていた。 土台上げ後は、村山さんという大工の棟梁がしょっちゅういらして、あちらこちらを直していた。 村山さんは80才ぐらいという長老で、眼鏡の奥の目が無限にやさしく、子どものわたしたちにも「かんなや刃物のそばには近寄ってはいけないよ」という厳しい言葉のほかは、とてもやさしく声をかけて下さった。 彼のいましめはまさに妥当で、いましめを守らずに手を出した女の子(幼稚園の同じクラスの女の子で、どういうわけかある日わたしについて来た)はわたしが知らない間にかんなに触れて、指から血を出していた。 村山さんは紺色の袖無しシャツを着ていた。見た目は華奢で小柄な男性なのに、そのシャツの胸元からは筋肉が盛り上がっていて、まるで胸をつきだしているかのように見えた。「男の人なのに、胸が出てる」と一瞬、思ったくらいだ。 村山さんのやさしい目元を見るのも好きだったし、彼が墨をつけた糸で、角材い印をつけていく精密な作業を観察するのも大好きだった。 結婚して数年後に、富士山を遠くに臨み、目の前に三つ峠がそびえる地に家を建てた。 建築は東京の知り合いの棟梁にお願いした。 この棟梁はなにかというと、「結局、結局」という言葉を口にした。 必要もなく「結局」をはさむ彼の口調にわたしは内心、「なにが結局なのよ」とイライラした。「結局」と言うとインテリっぽく聞こえると思っているのかしらと、不当な疑いすらもった。 棟上げの日が来た。 この棟梁も、洋服を着ている姿は小柄できゃしゃだったが、「一肌脱ぐと」肩や腕、胸に筋肉が盛り上がった姿をあらわした。 棟上げの作業で、その汗ばんだ筋肉が無駄なく動く。 これこそが「労働」なんだ、こうしてあらゆる筋肉を動かす作業こそが、仕事と呼べるものなのだと思った。 いまでも、ゴミ収集や道路改修といった肉体労働を見るたびに、仕事をしている方への畏敬の念をおぼえる。スマートな服を着て、口先だけは巧みな銀行員や政治家などに対しては決して感じることのない念だ。 洋服を着て「結局」をくりかえす棟梁はいけ好かない男性ではあったが、シャツだけになって筋肉を全力投球しているその肉体には男を感じ、その姿がいつまでも目に焼き付いた。 わたしの気まぐれと見栄から、この家は二、三年後には改築・増築されることになった(元夫よ、ごめんなさい)。 今回は、地元の大工さんにお願いした。そして今回も棟梁は小柄の年配のおじさんだった。 頭領は、あまり役に立ちそうにも見えない、やる気のなさそうなのっぽの若増をつれてやって来た。 棟梁の息子だそうで、二十歳をわずかに過ぎただけで独身だというのに、どこぞに子どもがいるという。 のっぺりした顔は表情がまったく変わらず、笑い顔も怒り顔もあらわれない。 休憩時もほとんど話すことはない。そういえば、声だけは低く響いて良かったな。 ある時、この若僧が作業をしているのを、目の前で見る機会に出くわした。 わたしの手がすぐ届きそうに間近なところで、彼のむき出しの腕が窓枠の板を打ちつけている。 そのなめらかな腕に目が惹き付けられた。 ふと手を出して、その腕をなでてみたい、という衝動にかられ、それをこらえるのに息苦しくなりながら、ただ腕を見つめていた。 その後のいく日かは、わたしが赤ん坊のおむつを庭で干そうとすると、彼が物干棒を動かしてくれたりなど、小さな接触がちらほらとあり、その度にわたしは理由もなく、ちいさく歓喜した。 一方では、この10才も年下ののっぺり男の存在のせいで、感情が動かされるのがくやしかった。 やがて工事が終わって、支払いをすることになり、この若僧といっしょに町中の銀行に行くことになった。 彼はスポーツタイプのシックな新車でやってきた。 助手席にすわったわたしに、彼はふだんの無口には似合わず、滔々と車の話をしはじめた。車の車種などにはまったく興味のないわたしには、言われるまではこれがVW(フォルクスワーゲン)だということにも気がつかなかったし、そうだと知っても、なんら感慨はおぼえなかった。 それよりも、彼の隣にすわっているということで、体が無意識に反応していた。 体中がほてり、体中が息苦しくなって、とけてしまいそうに心もとなかった。 「六本木のディスコに行くと、トヨタやホンダに乗ってくるような男には女の子は見向きもしないんだ。BMWやVWみたいな外車じゃないと女の子は寄ってこない」などという、彼の無駄口には軽蔑感をおぼえながらも、肉体は別の反応をしていた。 この若僧は彼の子どもを産んだ女性と一度はそれでも結婚をしたそうだが、別れてしまったという(そりゃそうだろう)。 「でも、金だけは払ってる」と偉そうにのたまう彼の話も、耳を通り抜けていった。 やがて支払いが終わり、「無事に」家まで送りとどけてもらい、呪縛は解けた。 しばらくたった頃、とつぜん夫が脈絡もなくさらりと言ったことがある。 「君がどっかのいい加減な男性に惚れたなんてことを耳にしたら、やっぱりいい気持ちはしないな」と。 わたしは「そうお?」とだけ答えた。 「結婚しても、何かを約束するなんてことは出来ない。お互いに自由でいるべきだ」と言ったのは、どこのどいつだ? 注:ドイツではフォルクスワーゲンは、名前通り国民車であって、高級車とかかっこいいとかみなされるのはやはりBMWとかアウディとかメルセデスとかポルシェ。ちなみにBFは安く中古で買ったトヨタ(今では売られていない車種)にもう8年ぐらい乗っていて、「すばらしい車だ、ぜんぜん壊れない」といまだに満足しています。車は機能さえはたしてくれれば十分なようです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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