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数日前からヨーロッパでは、リビア沖で起きた難民船の転覆事故が大きなニュースになっています。
死亡者は700から950人と推測され、2013年のイタリア ランペドゥーザ島沖での沈没事故(死者366人)をも上回る犠牲者に、改めてヨーロッパの責任が問われています。 ここ二、三年、アフリカ(エリトリア、ソマリアなど)から、そして現在も内戦が続いているシリアからの難民が激増しています。 アフリカからの難民はリビアから、古い漁船やボートにあふれるほどの数で、水も食糧も満足にないような状況の中でやってくるので、途中ですでに亡くなる人も多いですし、沈没事故も毎日のように起こっています。 去年だけでも難民船の転覆で数千人が死亡したとも伝えられています。 こうした事態に対して、これまでヨーロッパは救済を真剣にはやっきませんでした。 船が着くイタリアは、救出を自国だけでは手に余るとして、救助対策は一年で打ち切られ、今は難破事故が起こったら、近くを通っている貨物船が対応する程度とか。 今回の大事故で、政治家達は「こんなことはあってはならない」とは言っていますが、その口から「悪いのは、難民の手引きをする斡旋人だ」という言葉も。たしかに、斡旋人は人買いみたいな面もあるので、罪はありますが、斡旋人に金を払ってでも、そして死ぬ確率が高いことがわかっていても、自国から逃げてこようとする人は後を断たないのです。その中には、赤ちゃん連れの女性や子どももたくさんいます。 難民の中には、アフリカを何ヶ月、いえ一年以上もかけて移動して、やっとヨーロッパの端までたどり着く人もたくさんいます。 途中で水がなくなり、死ぬような、地獄のような目にあって、やっと目的地にたどりついたら、難民として認知されずに追い返されてしまったのに、地獄が待っているのがわかっていても、またもヨーロッパめざす人もいます。 それほど、自国での生活がむごい、厳しいということ。理由は経済的なものもあれば、政治的なもの(たとえば、独裁政治家に反対して、捕まれば殺されるか、拷問を受けるかの結果が待っている)。 トルコを介してなどで逃げてくる、シリア人の場合には、内戦で生活場所を失い、いつ爆撃で死ぬかもわからない人たちです。 難民の多くが、社会福祉で名高いスエーデンや、経済的に豊かな(?)ドイツを目ざすそうですが、受け入れる側もたいへんです。 具体的に受け入れる、つまり難民が住む場所を確保して、生活の面倒を見るのは、国ではなくて、それぞれの自治体ですが、自治体は借金をかかえて、どこも財政難(だからドイツだって豊とはいえないかも)ですし、そもそも難民用の住居ができるというと、周辺の住民が反対するので、これすらむずかしいのです。 たった数十人の難民を受け入れると発表した、旧東ドイツのある町の町長は、住民から脅迫状を受けたり、家族が脅かされたりしたために、ついに町長の座を降りてしまいました。 難民用の住居が放火される例も、しょっちゅうあります。フェイスブックには「ついでに難民も焼ければよかったのに」などというメッセージをアップする人も後を断ちません。 ドイツ人だって、敗戦後は難民だった人がたくさんいました。戦前はドイツの一部(東プロイセン)だった現在のポーランドやロシアの一部から、ナチの敗戦で西に逃げてきたのです(日本の満州からの引き上げと同じ)。BFも2才から3才以上になるまで、母親や姉妹ととぼとぼと徒歩で荒野をさまよい、空き家に身をひそめながら命からがら逃げてきた難民の一人です。こうした難民の多くは途中で死んでしまいました。 ですから、ドイツ人だって難民の心理や状況は理解できるはずですが、現実には、「近くに難民がきたら泥棒が増える」とか「怖い」とか、理由なく不安がる人が多いのです。肌の色が違う、顔つきが違うというだけで、「怖い」と思ってしまう。 不安というのは理屈ではないですから、これをただ、否定しても、相手の思いを変えることはできませんしね。 「じゃあ、お前は自分の住まいの一部屋に難民家族を住まわせるかい」と聞かれたら、わたしだってノーと言ってしまいます。 でも、自分の家の隣や近所に、難民の家族が住むことには、ぜんぜん反対ではありません。 一カ所に難民が何百人も集中するセンターではなくて、地域ごとに何人かが分散的に住んで、地元の人と混じりやすくする方が、孤立しないし、地元民もなじみやすくなると思うから。文化交流にもなります。 考えてみれば、わたしだって、難民ではないにしろ(ベトナム戦争後には大量のベトナム難民をドイツは受け入れたのでベトナム人はたくさんいます)、ガイジンなんだから、疎まれる可能性もあるはずだけれど、そういうことは経験しないですんでいます。 アフリカに関していえば、本当は長期的には、アフリカの国々の貧困の原因(たとえば、ヨーロッパが自国の農産物を補助金をつけて、アフリカに安く売るので、アフリカ自身が自国の農産物を売ることも買うこともできなくなる)を解決するような対策、海外援助のお金がどういうわけか独裁者などの金持ちの手にわたってしまうのをやめて、地域の人々が自分の力で生きていけるような援助が実現するような金の出し方をするといった、根本的な政策の転換が重要なのでしょうが、それもなかなか実現せず、そういっている間にも、船の難破は毎日のように起こり、毎日、何十人、何百人もの命が失われています。 一ヶ月ぐらい前に起こった、フランス山中でのジャーマンウイング航空の飛行機墜落事故(副パイロットの自殺行為)で、数十人のドイツ人(その多くが、スペインのホームステイから戻ってくる途中の生徒たち)が亡くなったときには、その晩は一部の娯楽系の番組は中止され、首相も大統領も追悼式に参加するほど国をあげて嘆き、悲しみに長い間ひたりましたが、アフリカ人が千人近く亡くなったことへの反応は、「こういうことはあってはならない」程度の反応です。命は同じと思うのですが。 ヨーロッパのすべての国が難民を受け入れているわけでもなく、数国に難民が集中することも問題を大きくしています。 そんな中で、先週末、すばらしいイベントがありました。 友だちのドリスがヴォランティアでお手伝いしている、「難民による難民をテーマとした音楽劇」。 フライブルク市立劇場の演出家の一人(女性)が企画、実行したプロジェクトです。 一年前には、難民としてドイツにきたばかりで、ドイツ語がほとんどまたは全然話せなかったアフリカ人、シリア人、アラブ人などが「亡命、今と昔」をテーマに劇をし、歌を唄い、踊りました。 長い台詞をとうとうと話し、身振り手振りもなかなかで、みなさんとってもすてき。 プロジェクトは大成功で、観客の喝采をあびました。 このような企画によって、市民の難民への偏見が少なくなることを祈ります。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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