カテゴリ:フライブルク
DSC03543 posted by (C)solar08フライブルク旧市街地内、シュスターシュトラーセ(靴屋通り)、名前の通り、靴屋が何軒もあって、バーゲン時には探し回り、値段をくらべ、、、。 書こう、書こうと思いながら、何の話題もなくて書けず、何もしていないのに、時間がどんどん過ぎて行く。 去年の夏には三回も南仏の海岸に出かけ、9月には東京、10月にはモロッコまで出かけたのに、今年は同じフランスでもBFの名もない村の田舎家に行っただけ。これはこれで、のんきでよろしいけれど。 たいていの日は、自宅でパンやケーキを焼き、市の中心の青空市に野菜を買いに行くほかは、ただもじもじしている内に、夏も終わってしまいそう。 まあね、フライブルクは観光地で、周辺のヨーロッパ諸国だけでなく、アメリカなどからも観光客が来ているのだから、ここに旅行に来ていると思えばいいのよね。 この家に住み始めて、もう25年がたってしまった。 それ以前、留学生として住んだ期間を加えれば、フライブルクでの生活期間は合計28年にもなる。 東京には生まれてから23年間と、ドイツからいったん戻って4年間、住んだから、住んだ期間は合計27年。 この町がわたしの「ふるさと」なんだ。 昔から「故郷」とか「田舎」とかという感覚がわからなかった。 小学校時代、夏休みに級友たちが、「田舎に帰る」とか「帰省」とか言っていたけれど、わたしの家族には帰省する田舎がなかった。 父方の爺さん、婆さんは庭続きの家に住んでいたし、母方のおじいちゃん、おばあちゃんは豊島区に住んでいた。 豊島区の家にはいつも行ったし、親元(というか父親や爺さん、婆さんから)を離れるのがうれしかったけれど、田舎とかふるさとって感じじゃあなかった。なんでだろう。 じゃあ、東京をふるさとと感じたかっていうと、昔は全然感じなかった。 そもそもホームシックというのを感じたことがなかった。 始めての林間学校生活も、うるさい爺さん婆さんや父親がいなくて、せいせいした気分だったし、 おとなになって、日本を発って、こちらに来たときも、ホームシックにはならなかった。 それよりも、フライブルクからいったん日本に戻って東京にいたときに、こちらの地に対するホームシックになった。当時はホームもなかったのにホームシック。 ホームシックというのは、その地に対する相当の愛着心があって感じるものなんだろうな。 今はホームがあるから、やっぱりここが故郷、永住の地なのかな。 なんて、どうでもいい事しか心に浮かばない、この精神の貧しさよ。 写真も撮ってないので、去年の今頃に撮った、フライブルク旧市街地内にある、お気に入りの小路の写真。 フライブルク、コンヴィクトシュトラーセ posted by (C)solar08ブティックや専門店、飲食店が並ぶ静かな小路。石畳、車が通らないので、昔に戻ったような気分になる。 この小路にあるキッチン道具専門店で、日本製の「高級」?包丁を買ったけど、もったいないので普段は使ってない。我ながらケチにあきれる。 今も町の中心街、歩行者ゾーンは観光客でいっぱい。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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