カテゴリ:プライベート
とつぜん、大学一年生のときのことを思い出した。
入学してすぐにコーラスのクラブに入った。 たくさんの先輩の中で、とくに目立ったのは、4年生のsさんとhさんのカップル。 sさんもhさんもとても魅力的で、かっこうが良くて、おとなっぽくて、18才の小娘のわたしには手が届かないような、まぶしくて遠い存在だった。 hさんは、当時とても有名だった宝塚男役スターの妹さんだった。 高校時代によく母と宝塚歌劇を見にいっていた頃、母もわたしもこの男役スターのファンだった。 なにしろ、歌唱力が断然すぐれていたから。 だから、hさんがその妹さんと聞いて、びっくりしたのは言うまでもない。 hさんもちょっと女優のような風貌で、すらりと背が高くて、声に迫力があった。 彼女のおはこは「サマータイム」だった。 sさんは、加山雄三をちょっと思わせる顔立ちで、男っぽいのに包み込むようなやさしさのオーラがあった。 あるとき、クラブのメンバーの会食(コンパと呼んでいたかな、今でもこの言葉、日本で使われているんだろうか)があった。 sさんは、わたしの斜め向かいにすわっていた(どうしてこんなこと、今でも覚えているんだろう)。 わたしの周囲で好きな料理だかの話題になったときに、わたしが一言コメントしたら、sさんが「ボクもそうだよ、握手」と手を差し出してきたので、わたしは一瞬、ドギマギしたけれど、もちろん手を差し出して、握手してもらった!!! 会食がお開きになって、多くの学生は都の周辺部へと帰宅していったのだけれど、わたしの実家は都心なので、ひとりで帰ろうとしていたら、sさんが、「ボクが家まで届けます」と言ってくれた。 sさんは実家の門の前まで送ってくれると、さっと踵を返して戻っていった。 家に入って、両親にこの日のエキサイティングな出来事を口から泡をふきふき報告した。 両親はほがらかに笑って、「握手してもらって良かったねえ」と言った(母親は、常日頃は「男性とは結婚するまで手を握ってもだめ、などという非現実的なことを言っていたくせに)。 sさんはある大新聞社の就職試験を受けた。 面接で「コーラスクラブにいます」と言ったら、面接者から「じゃ、何か唄ってみてください」と言われて、なんと、なんと大学の校歌を大声で唄ったのだそうだ。 これが受けたのか、就職試験に受かった。 そして、sさんとhさんはめでたく結婚した。 新居に一度だけ、当時のBFと訪ねたことがある。 hさんは幸せそうな奥さんだったけれど、女優みたいな人が家に留まっているというのがもったいないような感じがした。 あの時から何十年がたったのだろう。 とつぜん、今日、昼寝から目が覚めて、このカップルのことを思い出したのだ。 sさん、hさんはまだご存命なのだろうか。日本人の平均年齢は高いから、ご存命にちがいない。 インターネットで調べてみよう。 けれども、最初はsさんの名前すらも思い出せなかった。hさんの名前は、お姉さんの元宝ジェンヌの名前がいまだに記憶に刻まれているので、すぐに戻ってきた。 でも、記憶というのは不思議なものだ。まず、あれやこれや思い浮かべているうちに、姓が思い出され、グーグルってみると、見つかった。 なんとsさんはあの大新聞社から退職されて、芸術的なお仕事をされているのだ。 ホームページにイベントや活動、お仕事の略歴が出ていた。 ホームページに出ているsさんの写真は、x十年前とあまり変わっていない。 いまだにハンサムでやさしそうで、アトラクティブ。 hさんのお顔はフェイスブックで拝見できた。 彼女も当時のおもかげをのこしていて、きれい。 ぜんぜん、所帯じみていない。お仕事もされているらしい。 こんな遠い国から、こんな遠い昔のことを思い出しているなんて、歳をとった証拠なのかな。 二度と戻らない、若い時代への憧憬なのかな。 とココまで書いて、いったん「公開する」をクリックしたあと、もう一度、sさんの名前をグーグルってみた。最近の活動歴がないのが、気になったからだ。 そしたら、なんと、sさんの訃報が見つかった。もう6年以上も前にsさんは亡くなっていたのだ。 亡くなっても、ホームページはいつまでも遺るということか。 でも、sさんはすばらしいお仕事を遺してくださった。 そして、訃報に載せられていた未亡人の名前はhさんではなかった。 hさんは今でも元気かな。今もサマータイムを唄うことがあるかな。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2017/02/18 01:08:14 AM
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