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この冬はまったく冬じゃあないみたい。
ふつは、ドイツで一番暖かい当地でも、11月には零下になる日があるし、12月、1月ともなれば、氷点下はふつう、ときには零下15度などという日だってあるというのに、この冬は、これまで外に氷が張った日は1日か2日だけ。 先週は、他の地域は雪や嵐があったけれど、当地は雪はふらなかった。 そして、2、3日前から、もっとポカポカ暖かくなり、 昨日は日中は17度になった。 野鳥も花も、春がきたのかとまちがえているようで、 シジュウカラがさえずり、ブラックバードも小声で歌っていた。一瞬、ヨーロッパコマドリもさえずった。 バラは剪定もしない内に、なんと新芽を吹いてしまった。秋に残っていたバラの花もいまだに残っている。 このまま冬なしで春になってしまうとは思えないから、いつかしっぺ返しがくるんだろうな。 いったん、花を咲かせてしまった植物にとっては、大打撃のはず。 地球の反対側では大雪になったり、気温が下がっていると聞く。 そうなると、地球温暖化なんてない、と性急に思ってしまいがちだけれど、事はそう簡単じゃない。 地球全体の気温が年々、上昇していて、北極の氷が融けているのは確かだから。 氷がとけると、海水の温度が下がって、海流の状態も変わって、これまで寒くなかった地域が寒くなったり、天候の動きも大きく変わっていく。 この先、どうなるのだろう。 アフリカの干ばつがますますひどくなっている。この状態が続けば、政治状況や社会状況の悪さも手伝って、難民はますます増えるだろう。 そうなったとき、ヨーロッパを始め、豊かな国はどう反応するのだろう。 自分たちが享受している富を、飢えている人と分け合う気構えがあるのかしら。 まず、自分に問うてみるほかないね。 さあ、どうする?って。 そのときには、「自分が飢え死にしている側の人間だったら、どうする?」と自問せざるを得ない。 「もっとも大切なあなたというのは、幸運が尽きてしまったときに残されたあなただ」「人生で一番大切なのは、希望が失われたあとに残る自分である」とマーク・ローランズという哲学者は「哲学者とオオカミ」の中で書いていた。 わたしは大戦後に生まれ、次なるカタストロフや戦争が起こる前にたぶん、消えているはずだ。 それに、アフリカとか、シリアやイラクに生まれてわけでもなく、インドの道ばたに生まれたわけでもなかった。 そう、とても運が良かった。ノホホンと生きてきた自分は、上の引用文に照らせば、まだ本当の自分、もっとも大切な自分を知らないのかもしれない。 ホロコーストの記録や戦争のドキュメンタリーなどを読むと、どんな人間もおかれた状況しだいでは、想像できないほど残忍、卑怯になる可能性を抱えていることがわかる。 個人の生活ではやさしい人間が、他の人間にどれほどひどい仕打ちができるかを知ると、人ごとではない気がする。ナチの時代に、強制収容所の監視員になっていたら、収容所に連れてこられ、仕分けされてガス室送りになる人を、身の危険をおかしてでも助ける勇気があっただろうか、それとも、他の監視員やナチといっしょになって、ひどい仕打ちをしていただろうか、、、。 海の中のプラスチック、ナノ粒子(もう海水からつくられた食塩にすら微細プラスチック粒子は含まれているのだそうな)、昆虫や植物の激減、気候変動などなど、わたしも含めた人間たちがしでかした、自らの生きる基盤の破壊を思うたびに、ますます、自分も含めて人間嫌いになる。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2018/01/25 11:48:17 PM
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