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フライブルク日記

全22件 (22件中 1-10件目)

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人物

2015/09/12
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テーマ:海外生活(7512)
カテゴリ:人物
フリッツに出会ったのは30年以上前のことになる。
25年前に東西ベルリンをへだてる壁が落ち、東西ドイツが統合される前だった。
友人に連れられて、はじめてベルリンに行った。
当時の西ベルリンは西ドイツの「飛び地」で、東ベルリンに囲まれた島のようなののだった。

連れていってくれた友人もフリッツも元は東ドイツ出身、幼いときからの親友で、1960年代、ベルリンの壁ができてしばらく後に、いっしょに命がけで壁の下をくぐって、東ベルリンから西ベルリンに亡命してきた。

ちょっとアジア的な風貌をもつフリッツは、初対面のわたしをやさしい微笑をもって迎え、まるで旧知の友人に会ったように抱きしめた。

彼がパートナーの女性と住んでいた屋根裏アパートは、まるで穴蔵のようだった。
床には何重にも古いペルシャ絨毯が敷き詰められ、壁にも絨毯、部屋のドア代わりにも絨毯が下がっている。
部屋には椅子もテーブルもなく、床のあちこちに、インド風の生地にカバーされたクッションが散らばっている。天窓からもれるうっすらとした光の下で、ロウソクだけが灯された暗い部屋。
お香の香りがただよう(この部分、拙著「励ます弁当」からの引用)。

フリッツは「どこから来た」とか「元気か」とかおざなりのスモールトークは省いて、いきなり精神的な核心に踏み込む。
タバコを吹かし、ビールを飲みながら、昔の恋人の話、生き方の話、心の傷、、と話題というか、モノローグが流れていく。
「自分はこの国に違和感を感じる、自分は本当はアジア人ではないかと思う」といって彼が取り出した本は「IGiNG」。
「この本に真実が書かれている」と言われても、わたしには何のことかわからなかった。
「IGiNGって何の事だか知らない」と正直に言ったら、「日本人のくせに知らないのか」とがっかりされた。
後でわかったが、これは「易経」だった。易経だとわかっても、中身は知らなかったけれど。

会話の向こうで流れていたのは、ドイターという作曲家のメディテーション音楽だった。西洋音楽と東洋音楽を巧みにミックスした、(薄っぺらいとも言えるかもしれないが)神秘的な雰囲気をかもしだす音楽。たとえばこれとかこれ

ペルシャ絨毯とお香とロウソクに包まれた穴蔵にこの音楽、現実から離れたシュールな世界。

フライブルクに戻ってすぐに、このレコードを買い、日本に持ち帰った。
当時、この音楽を聞いては、あの夢のような世界を憧憬した。実際には存在しない幻想のようなもの。

その後、壁が落ち、東西が統合されて、ドイツも、そしてベルリンも変わった。
たくさんのミュージアムが改装され、東側もシックになり、観光客が押し寄せる活気あるセクシー?な都市。

穴蔵は(ここは元々西ベルリンだったけれど)大家によって大改装されて、光がたっぷり入る明るくてモダンなアパートになった。
絨毯はあいかわらずあるけれど、食事も談笑も椅子とテーブルで営まれるようになった。
心臓発作を起こして以来、フリッツはアルコールをやめて、合気道を始めた。
ドイターの音楽も彼のレパートリーから消えた。

彼のアジアへの夢はついに実現して、合気道グループの仲間と共に日本に旅行した。
アジア女性への「誤った」幻想は、路上で酔っぱらって騒ぐ日本人の若い女性の姿を見て、破れたらしい。

数年前に彼を訪ねたときには、白髪と白い髭を仙人のように長く伸ばし、脳卒中で片腕が麻痺したと「自慢」して、パートナーから「おおげさなんだから」と揶揄されていた。

最近、ふと思い立って、先の友人にひさしぶりに電話をした。
「フリッツが去年、入院したって言ってたけれど、その後、どうしてる?」と聞いたら、
「え、君、知らなかったの?一年前に死んじゃったよ」。
最後までタバコを吹かして、自宅で亡くなったそうだ。
骨と皮のようにやせこけて。

ドリスが言っていた。
「たくさんの友人を失いたくなければ、自分が若くして死ぬしかないというのが、父の口癖だった」って。


ドイターの音楽はOshoのブームに乗って流行った。
お教祖のOsho、つまりバグワンの教え(キリスト教と仏教を合わせたような感じがする)は30年前の当時、ドイツでもとてももてはやされていたが、その後、バグワンの脱税行為などのスキャンダルが続いた。
10年ぐらい前にインドに行ったとき、ついでにOshoの地、メディテーションリゾートがあるプネーに寄ってみた。
町はえんじ色の袈裟(このセンターに参加するとこれを着なければいけない)みたいなものを着た、様々な国からの人々でいっぱいだった。

プネーでドイターの音楽のCDを買った。
安っぽいメロディーだとは思っても、ドイターの音楽にはどこかひきつけられる。
心が軽くなったり、メランコリックになったり、遠い昔を思い出すような気分になる。

CD「Silence is the answer」も最近、購入した。
このCDの2枚目が、フリッツの家で聞いたレコードだ(上のYoutubeの曲を含む)。
これらの曲を聞くたびに、彼の姿とあの穴蔵を思い出して、しばし幻想の世界にひたる。
もう二度と経験できない、現実から離れた、あの不思議な雰囲気に。
















Last updated  2015/09/12 08:16:16 PM
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2015/02/24
カテゴリ:人物
4年前に紹介した、演劇女優のバーバラさんが、昨晩、当市の小劇場で「ピカソの女たち」という劇を上演しました。

演出も彼女で、出演は彼女ともう一人の女優さん。
今回の「パート1」ではこの二人が、ピカソが愛したり、愛されたり、結婚したり、密会したりした8人の女性たち(本当はもっといるかも、この劇で紹介されるのは8人)の内、4人を演じました。一週間後のパート2で残り4人の女性をまた演じます。

場合によっては、8人の女優さんがずらりと出て演じることもあるのだとか。

劇では、ピカソの妻だったり、愛人だったりして女性が、観客を報道陣に見立てて、自分とピカソとの間柄や苦しみや喜びを語ります。

こういう語りを聞いているうちに、ピカソがどう女性を扱っていたか(彼は「女性は神々か、足フキマットかのどっちかでしかない」と言ったとか)、それでも女性たちがピカソを愛せずにはいられなかったことが、想像できてきます。

語りの後は、彼女たち(役の上でのピカソの女性たち)に観客が「報道陣として」質問することができます。

演じるバーバラさんたちはピカソに関するあらゆる本を読んで勉強したそうで、どんな質問にも、まるで彼女たちが本当にピカソの女性たちであったかのように答えるのが面白かった。

ある観客が「ピカソはそれぞれの女性と関係を結んでいた間はその女性に対して貞淑だったのですか?」と聞きました。

バーバラさんは「とんでもない。ピカソはこれだけ奥さんや女性をとっかえひっかえしている間も、娼婦の元にも通っていたのです」と答えました。

よく俳優などが「女性は芸の肥やし」とのたまうでしょう。ピカソはそういうこともほのめかしていたようです。


BFは「そんなマッチョなヤツで、しかもハンサムでもないし、背が高くもないピカソになんでこんなにたくさんの女性が惚れたり、つくしたりするんだろう」とブツブツ言ってましたけどね。
あんた、女性心をわかってないねえ。

去年秋にコートダジュールのアンティープのピカソ美術館に行って、あらためてピカソの色づかいの美しさに感嘆したところ。
あんまり女性像については考えたことがなかったわ。

上演後にはバーバラさんや共演の女性、演劇関係の人たちとカフェに行って、ふだんは触れることのない世界の人たちと話ができて、おもしろい時をすごすことができました。











Last updated  2015/02/25 01:33:40 AM
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2015/02/19
カテゴリ:人物
山の上のホテルのカフェにて。

「わたしの隣の席、空いてますよ。
よかったら、おすわりください。

わたしはね、シュタウフェンに住んでます。もう寡夫です。
最初の妻とはずっと昔に別れました。
二度目の妻は15年前に高速道路の交通事故で亡くしました。
『それでも生き続けなければならない』を実感しましたよ。

退職前はコンピュータのセールスを担当してましたよ。
リタイア後の今は演劇をしてるんです。

ある時、カフェに座っていたら、劇団をやっている人が声をかけてきて、役者になる気はないかって聞くんです。

その人はわたしが発散しているオーラに気がついたんでしょうねえ。
わたしの魅力にね。
背が高くてすらっとしているし。ちょっとXXという俳優に似てるでしょう、わたし?
それにわたしの声も響きが良くて、魅力的だし。
生まれつきの役者なのかなあ、僕って、はっはっはっ。

この声を生かして、就学前の子どもたちに読み聞かせをしています。ボランティアでね。
子どもたちがキラキラ光る目で、熱心に耳を傾けてくれるので、うれしくなります。


『ファウスト』の舞台になったシュタウフェンとゲーテとの関係について聞きたい?
よくぞ聞いてくれました。
わたしこそが適任です。よく『無料』でシュタウフェンの観光案内をしてるんです。
なんたって、わたしは歴史のことはよく知ってますからなあ。
そう、ゲーテはシュタウフェンに住んだことはないけれど、ファウストという人物は実際にいたんですよ。、、、
(中略)

あなた、「緑の党』の支持者ですって?
あれは嘘つき集団ですよ。
地球温暖化なんて、嘘ばっかり。
氷河が毎年消えてるって?北極の氷が解けてるって?
あれはね、毒ガスのせいなんですよ。
ほら、空を見上げると、よく飛行機雲みたいなのが見えるでしょ?
あれはね、どこかの組織が特殊な化学物質をふりまいているんです。
あの物質が世界中の氷河や永久凍土を解かしてるの。
人間のエネルギー消費のせいじゃないんですよ。
省エネライトなんて、水銀が混じってるじゃないですか。白熱灯をやめて省エネライトを使えなんて、とんでもない。

え?人類の歴史上、二酸化炭素の濃度がこれほど高いことはかつてなかったって?
だから、これがどういう影響を及ぼすかはわからないって?
海はプラスチックの微粒子であふれているって?
魚は過剰捕獲でたいへんだって?
そりゃそうかもしれないけれど、、、、。えーっと。
メタンガスの排気も大問題だって?そう、たしかにね、家畜から大量に出るからな、、、。あれも温室効果ガスか。。。。
あ、わたし、トイレに行ってきます。

あ、もうお帰りになるんですか?
残念だなあ、これから話が面白くなりそうなのに。

今度、シュタウフェンにいらして、わたしを見かけたら、ポンと肩をたたいてください。
それでも反応がなかったら、腕をつねってください。
シュタウフェンの町を『無料で』ご案内しますから。」







Last updated  2015/02/19 08:25:40 PM
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2014/12/22
カテゴリ:人物
こちらに来てからはじめて、童謡の「ちょうちょうちょ」とか「子ギツネこんこん、山の中」のメロディーは元々はドイツの歌だったことを知って、素朴にも驚いたものです。
そういえば、「森へ行きましょう、娘さん」という歌はポーランド民謡なんですね。これもポーランドに行って、ガイドの女性がバスの中で唄ってくれたときに、はじめて知りました(「あー、この歌、知ってるー」と思わず言いそうになった)。

それ以外にも、それまで日本の歌だと思っていた曲のいくつもが、ドイツその他の国のものであることを知りました。

さてさて、昨日はそういう発見をまたまたしてしまいました。

オーストリア人で、おもにドイツを活動舞台にして、いわば「歌謡曲」歌手として何十年も唄いつづけ、成功しつづけてきたウド・ユルゲンという人がいます。
シャンソン風の歌謡曲から始まって、自分でもたくさんの曲を作曲して、スイス、オーストリア、ドイツでは誰もが知る歌手です。
ただ、ドイツ語でばかり唄っていたから、他国ではあまり有名ではないかも。
ユーロヴィジョン・ソング・コンテスト(毎年春に開かれる、ヨーロッパ内の各国が代表歌手やグループを一人または1グループずつ出して、歌をきそうコンテスト)に出た「メルシー、メルシー」だけは他の国にも知られているかも。

今年の9月に八十才になられて、そのお祝いのコンサートが10月に放映されたばかりだったのに、昨日、この方は亡くなりました。
お散歩をしている途中に苦しくなって、そのまま心不全で亡くなったそうです。
うらやましい亡くなり方です。わたしもいずれは、出来る事ならこうなりたい。

亡くなったことで、昨日の晩は急遽、ウド・ユルゲンの人生とか歌手生活を物語るドキュメンタリー番組が放映されました。

その中で、彼の初期の時代に、メロディーは作曲したけれど、歌詞がつけられず、それをある人の元に持って行って、「言葉が見つからなくて」などと話している内に、「そう、その言葉を歌詞にすればいいんだよ」と言われて出来た曲「Was ich dir sagen will」(直訳すれば、君に言いたいこと、という意味、日本のウイキペディアでは「夕映えの二人」なんて訳が添えられているけど、どこからそんな文が出てきたのやら)が流されました。

ここをクリックすると、彼とホセ・カレラスがデュエットしたこの曲が出てくるはずです。

これを聞いてびっくりしました。

聞いてみました?

ほら、これってペドロ&カプリシャスの「別れの朝」ではないですか。お若い方はご存知ないでしょうけれど。
偶然にも、数日前にとつぜん、頭にこの歌が浮かんできて、頭の中で口ずさんでいたところだったので驚きました。
それまでてっきり、日本で作られた曲だと思っていたからです。
メロディーも日本の演歌にも通じるような、センチメンタルなところがあるから、もともと日本の歌だったと思ってしまいそう。

日本語のカバーといっても、歌詞の内容は元の曲とはほとんど関係がないみたいです。

でも、両方の曲とも、それなりに好きです。

今度、日本に行ったら、カラオケでこれ唄おうっと。







Last updated  2014/12/23 01:19:32 AM
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2012/09/04
テーマ:海外生活(7512)
カテゴリ:人物
エルツゲビルゲの村
エルツゲビルゲの村 posted by (C)solar08旧東ドイツ、エルツゲビルゲの小さな村

二年前に邸宅を手作りしたカールを紹介しました。古い郵便局の廃墟のような建物を買って、自分の手で改造しているカールの話。

二年ぶりに、このエルグゲビルゲのとある山村にあるカールを訪ねました。

二年前の記事で書いた恋人と、カールは去年、ついに結婚しました。彼にとっては、70過ぎての初婚です。

邸宅はすっかりとまではいかなくても、大部分が完成して、うれしいことにお客用の寝室もあり、その隣には大きなトイレも。ただね、このトイレ、部屋と部屋の間の部屋をトイレにしたので、ドアが二つあって、しかもドアの一つが閉まらないのが難点。
シャワーもなくて、「体を洗うには、この電気ポットで湯をわかして、拭いてね」と言われました。ああ、でも考えてみたら、私は子供時代、一週間に一度しかお風呂に入れない生活をしてたんだわ。すっかり忘れてた。

カールの邸宅の食堂
カールの邸宅の食堂 posted by (C)solar08

二年前の記事では大きなキッチンと大きな居間の写真を載せましたが、今回はキッチンの向かい側に大きな食堂も完成。
その隣はカールの妻専用の居間も。彼女は役所を早期退職して、庭で菜園やお花づくりをして、優雅な生活をおくっているように見えますが、エキセントリックなカールを夫にする生活は簡単ではありません。

ことあるごとに、「おまえはデブだ。昔の彼女はやせていた」などといって、彼女の心を傷つけるそうです。確かに彼女は下半身が豊満なのですが、これは彼女の手ではどうしようもないこと。「わたしはデブよ、これがわたしなんだから」と開きなおるそうです。

長い間、一人で勝手に生きてきたカール。自分の手で引き出しも作ったキッチンでは、今でも引き出しに大工道具をしまい、流しの下は靴磨きの道具でいっぱい。文句を言っても、すぐに元の状態にもどってしまいます。

一番の問題は、冷蔵庫がないこと!「冷蔵庫などを持つと、無駄なものを買いすぎる。食べ過ぎる。古くして腐らせる
」と主張するカールがキッチンにもっているのは、小さな金庫のようなミニミニ冷蔵庫だけ。バターも収納できません。

カールの誕生パーティー
カールの誕生パーティー posted by (C)solar08

訪ねた日の翌日は、カールの誕生パーティー。彼の小学校時代の同級生たちや新しくこの土地でできた友が、南や北からかけつけました。
同級生たちは、カールと同様に旧東ドイツの出身ですが、50年前に西ドイツに脱出した人ばかり。
面白いのは、この人たちはもうずっと西ドイツ側で生活してきたのに、言葉も民族性もいまだにザクセン風というか、さっぱりしていて、気さくで、率直で、私が旧東ドイツの地方で感じる雰囲気を持っていること。
その一人(女性)は、「生まれが東ドイツ人なら、一生東ドイツ人なのよ。私たちは東ドイツと西ドイツの間にいるような感じ」と話してくれました。

誕生パーティーは午後のコーヒーとケーキで始まり、そのあとカールの奥さんが
「夕食の準備をするから、腹ごなしにみんな散歩に行って」と指示。わたしたちはのろのろと村を歩きました。

村の屋外プール
村の屋外プール posted by (C)solar08


景色の良い村には、こんな素朴な屋外プールがありました。まるで池のようで、ハスの花が咲いています。プールのこちら側ではビールも飲めます。
お客の一人、ドレスデンに住む男性はこのことをちゃーんと計算に入れていて、海水パンツ持参で散歩をしていたらしい。
曇り空で、気温も20度余(ここは標高800メートル)なのに、さっさと着替えてドボンと飛び込みました。
とっても気持ちがいいそうです。ほかにも中年の女性たちが泳いでいました。
見ているのはとっても快適でした。自分までが水に入ったようで。

カール邸に戻って、お客たちは、カールが奥さんに冷蔵庫を買ってあげることを多数決で決議しました。
こうなったら、さすがの彼もいやとは言えないでしょう。

夕食はロシア風のスープ、ソリャンカ(ピクルス、トマト、野菜、ベーコンたっぷりのスープ)、トマトサラダ、チーズやハム盛り合わせ。簡単ですが、いくらでも食べられます。
デザートは板チョコ(?客から客へ回して、食べたい人が取る)と、この地方の特産菓子パン、砂糖をまぶしたシナモンなしのシナモンロールみたいなもの。

簡単なディナーでも、話がはずめばとっても楽しいパーティーになります。

「いくら悪いところがあっても、私はカールが好き。人生でこんなに笑ったのは、カールといっしょになってからが初めて」とカールの奥さんは、カールにキスを浴びせます。
これまで苦労が多かった彼女は、おとなの女性なのです。






Last updated  2012/09/04 08:12:36 PM
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2010/12/15
カテゴリ:人物
ドイツはまだまだというか、またままたまtまたまたまたまた雪で、もう雪の顔は見たくないです。

凍った道路を歩くのはおっかないけれど、昨晩は友だちの「マウルタッシェディナー」に行ってきました。
マウルタッシェというのは、ドイツはシュヴァーベン地方の名物で、いわばドイツ版餃子。餃子よりも大きくて、四角。ひき肉やパセリのフィリングを餃子よりもびっしり詰めたパスタ。
これを焼いたり、スープ煮にして食べるのです。友だちのマウルタッシェは肉屋で買ってきたもの。自宅で作る人もいますが、まあ、買ってくる方が手っ取り早い。

さて、集まったのは、数年前まで毎週、月曜日の晩に飲み屋に集まっていた連中。
久しぶりに会いました。
彼らの生き方が、今のドイツの中流の一側面をあらわしているように思えるので、顔ぶれを紹介してみますね。

・まず、招いてくれたのは、中流というよりお金持ちのS君。小柄でエネルギーたっぷりなので、50歳半ばとか中年とは思えない「青年」です。
心理学を専攻した彼は一時は麻薬中毒の青少年を立ち直らせる施設などで仕事をしていました。
彼は亡くなったお父さんが会社を残してくれたので、お金には困らない存在。
現在は豪華なヨットをもち、年に数ヶ月は地中海その他をクルーズしています。
過去も現在もパートナーはいますが、結婚したことはなく、現在のパートナーPさんとすてきな住いで二人暮し。
自分の「幸運」へのお返しにと、パートナーといっしょにNPOを設立して、日曜日に、希望する子どもたちがゲームやテレビでなく、自然の中で有効な時間が過ごせるような活動を提供しています。

・職業学校で教師をしているBさんは、P君の元彼女。カップルが別れた後も良い親友関係が続いていれば、こうした機会に元彼女や元彼が招かれるのは、私の周囲ではふつうのこと。
Bさんは大昔は絵描きと結婚していたことがありますが、子どもはなく、数年で別離。その後、P君としばらく付き合った後にま別離。さらに20歳下のアフリカ人男性とカップルでいた時期もあります。
最近、幼馴染の男性と再会し、カップルとなって同居をはじめ、今はとっても幸せそうです。
「あと123日で定年よ。そうしたら彼と色々な国を旅行したり、ヨットクルーズ(今回のお相手もヨット好き)したり、ハイキングしたり、したいことはいっぱいあるわ」

・グループの中でいつもひときわ目立つGさんは、大きくてきりっとした目が魅力的な女性。
若い頃はそれはそれは美人でしたが、67歳の今も「老婦人」とか「おばあちゃん」といった言葉はぜんぜん当てはまらない女性。雑誌の編集長とか女性映画監督といった印象を与える人です。Gさんは数年前に定年退職するまで35年間、化学検査技師として働いてきました。

驚くのは、彼女はもう「ひいばあちゃん」なんです。
彼女は17歳のときに、これまた絵描きと結婚して娘を産み、その後、離婚して一人で育てました。その娘さんもまた若い頃にインドネシア人と結婚して娘二人を出産。
そして、Gさんの孫娘の一人も若いときに結婚して子どもを二人産んだので、Gさんは60代半ばでひいばあちゃんになりました。Gさんのイメージとはぜんぜん合いませんけど。
ちなみに、Gさんのお母さんもまだご存命です。Gさんのお母さんは「ひいひいばあちゃん」になるわけ。曾曾孫という言葉あるんでしょうか。
男性パートナーとの生活を何度か経験しましたが、現在は一人身。地域のペタンクグループに参加していて、試合に出かけたり、インドネシアの娘のところに出かけたりと、老後(という言葉も当てはまらない)を楽しんでいます。

・Gさんの元彼、Gさんより11歳年下のF君も来ました。
F君は「金持ちのどら息子」と悪口を言われそうな面をもっています。大学で生物を専攻し、教師の資格をもち、いい頭をもっていますが、20年前に父君が亡くなって遺産を相続して以来、働くことなく、飲み屋を渡り歩き、警察のご厄介にもなっていました。
F君が「聖なる女性」とあがめていたGさんとは10年以上もいっしょにいましたが、酔い癖の悪さがたたり、愛想をつかされて、Gさんに去られてしまいました。
私たち、F君の親友たちは、酒を止めさせる見込みなしと、あきらめていましたが、「鉄のような意志」で断酒を実現させたのは、F君の現在の妻、Nさんです。
F君が酒を絶って早5年。昨晩も回りの友だちがワインやビールを飲む中で、一人ジュースとお茶をすすっていました。いったん一口でも飲めば、その後、なだれのように次々と飲んで、人が変わったようになることは、過去に私たちはいやというほど経験していますから、現在のクリーンさは目をみはるほどです。

・F君の妻、Nさんは40代後半の女性。ドイツ人ではなく、グルジア(ジョージア、旧ソ連に属していた黒海に望む小さな国)出身です。ドイツ人とは違うメンタリティーをもっているからこそ、F君に酒を止めさせることができたのかもしれません。
彼女はグルジアでは教師をしたことがあり、これまた若い頃に結婚し、娘が一人いました。
その後、離婚した彼女は、ドイツに移住した兄に続いてフライブルクにやってきました。
そしてF君と知り合い、滞在ヴィザを取るためもあって、F君と結婚しました。
彼女はF君の周囲のドイツ人たちと違って、「家庭的」で古風なタイプ。F君が他の女性と気軽に会うことすら禁じ、やきもちを焼きとすさまじいエネルギーなのですが、ひとりでいることができないF君をしっかり押さえていて、断酒も実現させたのです。
Nさんのすごさはこれだけではありません。実はNさんの娘は15歳のときに、二周り年上の男性といしょになり、17歳で出産しましたが、不幸な結婚でした。
それで、Nさんは自分のヴィザを確保したあと、グルジアに残してきた娘とその息子、つまりNさんの孫をフライブルクに越させ、娘をまずは適当なドイツ人男性と結婚させて滞在ヴィザを確保し、さらにはNさんのお母さんもグルジアから引き取り、これまた結婚相手を見つけて、ヴィザを確保。
そのほか、いとこたちも現在はドイツに移り住んでいるそうです。
これはグルジア人の現在を象徴しているようです。
昨晩のNさんの話では、グルジアはソ連時代は栄えた国で、学校も無料、大学も奨学金のおかげで無料。すばらしい自然に恵まれ、生活に困ることはなかったのですが、ソ連崩壊以来、一部の大金持ちは別として、一般人の多くが職を失い、生活は困窮する一方、国民の何分の一かは仕事や金をもとめて西側ヨーロッパに流出したそうです。グルジアだとお医者さんでも月収が二万円ぐらいだとか。Nさんがどんな手段をつかってでも、家族をドイツに移住させた力も理解できます。
Nさんも40歳にならないうちにすでに孫ができたわけで、彼女のお母さん(現在は60代後半ですが、曾孫ができたときはまだ50代)も、これまた若い「ひいばあちゃん」。

ところで、グルジアには今、日本からの客が多いそうですよ。生物学的に興味深い発見があったのをきっかけに、日本人が訪れるようになったのか。
徐々にですが、グルジアはふたたび、観光国として盛り返しているそうです。

Nさんはやきもち焼きなので、ふだんはF君が元彼女、「聖なる女性」のGさんと連絡を取るのは禁止しているのですが、さすがにS君がGさんを招待するのを禁止するわけにはいかず、無理やり微笑んで、Gさんとも話していました。人間、やきもちというやっかいな感情のせいで、人間関係や自分の生活を無駄にややこしくしていますね。

・教師をしているDさんは、NさんがF君が会うのを許している唯一の女友達。過去にDさんとF君の間に何もなかったからか、Dさんなら無害(こう思われるのもDさんには心外かも)と思っているのか。
彼女も17歳で結婚、聴覚障害をもつ息子を出産しました(彼女が風疹にかかったためだそう)。
子どもが3歳のときに、相手の男性は他の女性を求めて離婚。
それ以来、Dさんは息子をつれながら、大学に通い、資格を二つ取りました。
あと数年で定年のDさん。息子さんは障害を克服して職をもち、結婚し、家を建て、子どもも二人めぐれました。Dさんは週末には孫たちの世話もしていますが、彼女もおばあちゃんというイメージとはちょっと違っています。明るい金髪、きりっとした顔立ち、お腹は出てるけれど、すらっと背が高くて、帽子が似合うレディーです。

こうやって周囲の友だちを見回すと、女性はみんながんばってるなあと感心します。
男性は、たまたま↑の二人がそうなのですが、親の財産のおかげで、かなり気楽な人生。
でもこの二人は両極端。P君はいつでも何かしてないといられなくて、次々とアクション。
一方、F君はその逆で、かつてはアルコール、現在はラジオと新聞で毎日が過ぎていくようです。

男女ともにみんな、政治にも環境にもそれなりに興味をもち、ディスカッションもはずみます。
でも、かなり恵まれた状況にいて、のほほんと暮らしているともいえます。

このグループがドイツの典型的といえるかどうかは、大いに疑問ですが、ドイツの一面が現れているようにも思います。






Last updated  2010/12/17 07:41:07 PM
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2010/12/09
カテゴリ:人物
DさんがJ君に出会ったのは6年前。ちょうど以前の恋人に去られ、寂しい時でした。あるパーティーに呼ばれたものの楽しむ気分にはなれないし、パーティー客には知人がいなかったので、キッチンの椅子に一人ですわっていました。
たまたまキッチンに入ってきたのがJ君でした。大きな目だまをグリグリさせ、金髪がまばゆい若い男性。その大きな口からは、スラスラと軽い冗談が飛び出し、Dさんも寂しさを忘れて、思わず笑ってしまいました。
これが縁で、半年ぐらい、食事や映画に行くだけの軽い付き合いが続きました。
「僕たち、毎日のように電話し合っているし、デートもしてるのに、まだカップルじゃないなんて、不思議だな」
「そうね、あなたとは気軽な友だち関係で始まったから」
「じゃあ、ここらで友だち以上の付き合いになろうか」
こうして、当時はまだ同じ市で仕事をしていたJ君の住まいにDさんも移り住んで、同居が始まりました。

Dさんは黒髪で南国風の小麦色の肌、切れ長の目、美しい歯並びが魅惑的な36歳の女性です。彼女には1歳3ヶ月になる女の子がいます。女の子の父親、↑で書いた二歳下のそうそうたる高級取りのビジネスマンJ君は、現在はスイスの会社に勤めています(フライブルクには多いです、給料がドイツよりも破格に高いこともあって)。だから、平日は彼はスイスで暮らし、Dさんは娘と二人でフライブルクに住み、ときどき、彼女たちがスイスの彼の元で過ごすほかは、週末だけ家族そろっての時間がもてます。

彼女は彫金の資格ももっているのですが、ビジネススクールも出ていて、過去にいくつかの会社で企画やイベントマネージメントの仕事をしていました。
現在は娘を保育園に預けて、新たな資格取りのために通信教育を受けています。

ところが、この「週末家族」「週末カップル」にもひびが入ってきました。

スイスの彼の元でDさんとベビーMちゃんが過ごしたときの会話。
「仕事のあとにちょっとビール一杯飲んで、何がいけないんだ?」
「それが悪いなんて言ってないわよ。飲みに行くなら、私とMを呼んでくれればいいのに。そうすれば、あなたといっしょにすてきな晩を過ごせるわ」
「ばかを言うなよ。Mはまだ赤ん坊だぞ。そんな場所に連れていけるか。
それにな、僕が同僚や部下とビール飲むのは仕事の内なんだ。酒が入ってはじめて部下が会社でははかないような本音が聞けるんだ」
「そんな理屈、通じないわよ。仕事時間が終わったら、プライベート時間よ。少しだけでも、私たちと過ごしてよ。」
「週末は僕だって家にいるじゃないか。ゴルフに行くわけでもないし」
「家にいたって、ただゴロゴロしているだけじゃない。やっと家族いっしょに何かできる時間があるっていうのに」
「僕はね、こんなのんきそうな顔してるけど、会社でメチャメチャ働いているんだよ。週末ぐらい、ほっとさせてくれよ。わかってくれよ」
「わからないわよ、ちゃんと説明してくれなきゃ。家族生活はどうなるの」
「説明してるじゃないか。それにな、家族つくりたい、子どもつくりたいって言ったのは君だよ。僕じゃない」
「そんな、あなただって同意したじゃない」
「君がどうしても子どもが欲しいって言うから、そうしただけさ。僕はまだきっちり身を固める用意はできてないのに」

こんな状態では、将来がおぼつかない。というわけで、Dさんは職探しをしました。彼女の職歴に合った会社をネットで見つけ、昨日は面接に出かけました。
これまで会議などのイベントマネージャーをした経験がこの会社が探している応募者条件にぴったりで、希望がもてそうです。
けれども、この仕事では、時には仕事時間が午後6時以降にもおよび、Mちゃんの保育時間を超過してしまいます。それにDさんは、娘が小さい間だけでもいっしょに過ごす時間をたくさん持ちたいという思いから、フルタイムではなく、週に三日ぐらいだけ働きたいという願いをもっています。幼児は病気にもなりがち。けれども、会社はそういう社員を望みません。Dさんがこの職を得られるかは、まだまだ未定です。

若い女性が子育てをしながら仕事をする、というのは今の時代でも簡単ではないのですね。彼女が緊急の際に赤ちゃんをあずけられる唯一の存在は、赤ちゃんの父親のお母さんです。それでも、テニスや音楽などの趣味で忙しい「おばあちゃん」にいつも頼むわけにはいきません。
Dさん自身のお母さんも、同じ町に住んでいるのですが、お母さんとはほとんど音信がない事情があります。

彼女の両親は、世界に数百万人の会員をもつ、キリスト教系の宗教団体の熱心な信者です。彼女も彼女の兄も、この宗教で育てられ、Dさんも十代のときに自ら洗礼を受けました。
けれども、成長するにつれて、厳格な戒律に疑問をもち、反抗し、脱退しました。この団体は脱退者に厳しく、脱退した者の家族は、脱退者との交流が許されず、Dさんの両親も兄もDとの交流を拒否しました。その後、父親が亡くなり、母親はやはり会員と再婚しました(この団体は団体内での結婚しか許していません)。

Dさんの母親は、どうしてもDさんの顔を見たくなったときには、ごくたまにですが、秘密で電話をしてきて、秘密で人の見ていないところでこっそりDさんとちらっとだけ会います。ですから、孫の世話を頼むなど考えられないのです。

Dさんの兄は40代半ばですが独身です。というのも、この団体は離婚も禁止しています。神に「死が二人を分かつまで」と誓ったからには、その誓いを破ってはならないのです。
現実には、結婚後に問題をもつカップルは多いのですが、この団体の戒律のために、憎みあいながらも婚姻関係を表面的には維持するという例が少なくありません。
そういう事情をみて、Dさんの兄は最初から結婚をしないそうです。一方で、この団体は婚前交渉や婚外交渉も禁止しているので、性的な動機から無理に結婚する例も少なくないそうです。いやあ、このヨーロッパにあって、まるで中世みたいですね。

というわけで、Dさんは脱退によって天涯孤独の身となり、それだけに家族願望が強いのです。本当はJ君がロマンチックに「結婚しようよ」とか「結婚してください」と言ってくれるのを夢見ているし、もう一人子どもが欲しいぐらいなのですが、J君はまだまだそんな段階にはきていないのです。
和気藹々の家族生活にも希望はもてません。いえ、もう別れる寸前なのです。

それだけに、Dさんが良い職につくことが緊急課題なのですが、幼子との二人暮しでは、本当にむずかしそう。まさに出口なしの状態です。
もちろん、Dさんは若くて魅力的だから、ほかの頼りになる男性がまた見つかれば別でしょうけれど・・・。男性に頼る生活をあてにしたくばないでしょうしね。

でもね、不思議なことに、J君は毎日、スイスからDさんに電話をかけてきます。やっぱり心配なのかな。
「相手からあれをしてくれ、こうして欲しい、と期待されると、逆に気がそがれてしまうんだ。僕だって、いっしょに過ごしたい、やさしくしたいとは思うんだけど、押し付けられたり、強制されるとその気になれないんだ」と、内心を明かすJ君です。


まるでちょっとしたテレビドラマを実体験したような昨日でした。
それにしてもね、J君の仕事やDさんが面接を受けた職場のように、企画とか管理とかいった「ソフトな仕事、第三次産業」の仕事の給料って、娘がしているデザインとかDさんのもう一つの仕事である彫金のような、何かを作り出す仕事よりも、給料が倍あるいはそれ以上も高いんですね。びっくりしました。

農業とか工業と手工業とか職人仕事など、具体的な物を生産する人がいなければ、人間は生きられないのに、そういう仕事が報いられないのは、いびつな世の中ですね。






Last updated  2010/12/10 12:30:32 AM
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2010/10/30
カテゴリ:人物
Himmelreichのレストラン
Himmelreichのレストラン posted by (C)solar08

昨晩はフライブルクから東に15キロぐらいのHimmelreich(天の王国、つまりは天国という意味)という駅の前にあるゲストハウス・ヒンメルライヒで夕食をご馳走になりました。

Hotel Himmelreich
Hotel Himmelreich posted by (C)solar08

ここは黒い森を訪れる観光客用のホテルも兼ねています。
西暦1500年に建てられたという古い建物も魅力ですが、スタッフに障害のある方とない方の両方が従事しているというソーシャルな経営でも有名になりました。

現在の経営者になってからは、それまでと違って、レストランはいつも満席です。
周囲には家が少なく、寂しい駅の前なのに、予約なしでは食べられないほどです。

昨晩招待してくださったのは、前にイヌとウマとネコとニワトリとの共同生活で紹介したゲルリンデさん。

あの記事で、彼女が子どものように愛していた二頭の雌イヌの片方が癌で死んで悲嘆にくれていたときに、そのイヌの娘だったもう片方のイヌ、コリブリーがひょうきんな仕草で彼女を慰めてくれた、と書きました。

ところがその後、このコリブリーも肝臓の病気で急死したのです。
ゲルリンデさんはすっかり打ちのめされ、仕事も何も手につかないような状態になってしまったそうです。

幸い、周囲の方々が動物たちの世話などを積極的に手伝ってくださったおかげで、半年たった今、彼女はやっと立ち直りました。

口コミが効いて、彼女が経営するイヌのペンションはデイサービスも含め、お客が絶えないそうです。

ところが、イヌのペンションを公式に経営するには、彼女が受けたような数日のコースだけでは足りず、3年ぐらいかかる養成講座を受けた後に資格審査に合格することが必要と言われました。
でも、ゲルリンデさんは養成講座なしで、いきなり審査に挑戦しました。
もともと生物の教師の資格があるし、死んだ二頭のワンコの病気のためにイヌの「医学」には詳しくなっていたからです。
審査した獣医さんは、彼女の知識の広さ深さに感嘆し、彼女は即合格。
おまけに、今後はゲルリンデさん自身が審査をする側になるそうです。

これまでお金でも苦労の絶えなかった彼女(食事の金もなくて、ウマの餌を食べたこともあるとか)ですが、これからはこれまでよりも順調に進みそう。

そんなことがあって、昨晩はワンコ、コリブリーの供養と仕事快調祝いをかねて、ご馳走してくれたのです。

彼女が注文したのはさまざまなキノコのクリーム煮に、ゼンメルクネーデル(直訳すればパン粉団子)がのっかったベジタリアン料理。

きのこクリーム煮とパン粉団子
きのこクリーム煮とパン粉団子 posted by (C)solar08

ヴェジタリアンになりきれない私たちは鴨のロースト、ポテトケーキ(マッシュポテトを焼いたもの)添え。肉の下はちりめんキャベツ。

Himmelreichのレストランの鴨ローストとポテトケーキ
Himmelreichのレストランの鴨ローストとポテトケーキ posted by (C)solar08

ソースがおいしかったです。

ゲルリンデさんはコリブリーの話になると、涙が止まらなくて悲しそうでした。

昨晩は、彼女はいま預かっているイヌの一頭をレストランに連れてきました。
この雌イヌも病気なので、家にひとりで置いておくわけにはいかないのだそうです。
レストラン内には、ほかにも大きなイヌを連れているお客が二組あったので、一瞬、レストラン内にイヌのほえ声が響きわたりました。

それでも、他のお客が怒らないので、ほっとしました。
しばらく後には、どのイヌも落ち着いて、ふたたびそれぞれのテーブルの下に。
一度もほえ声は聞こえませんでした。

場面変わって、今日、土曜日にフライブルクの中心街に行くと、まるで東京のように人がいっぱいでした。

Freiburgの歩行者ゾーン、市庁舎
Freiburgの歩行者ゾーン、市庁舎 posted by (C)solar08
Freiburg,Martinstor(歩行者ゾーン)
Freiburg,Martinstor(歩行者ゾーン) posted by (C)solar08

来週の月曜も休日で、週末から連休となるからでしょうか、学校の秋休みが始まる(州によっては終わる)からでしょうか(6週間の夏休みが終わったと思ったら、もう秋休み)、町には観光客も多いようで、あちこちでガイドさんが説明していました。

Freiburg,ミュンスター広場で売られている菊
Freiburg,ミュンスター広場で売られている菊 posted by (C)solar08

青空市が立つミュンスター広場は菊やシクラメンが華やか。

Freiburg,ミュンスター広場の青空市
Freiburg,ミュンスター広場の青空市 posted by (C)solar08

もうクリスマスの飾りもちらほら見られます(ハローウイーンの飾りはほとんどなし)。

周囲はもう秋まっただなか。

街路樹のイタヤカエデに似たカエデ(黄色)やよその御宅のお庭のジャパニーズモミジ(紅色)が鮮やかで、いくら見ても飽きないほどです。

フライブルク、家の近くのモミジ(黄色と紅)
フライブルク、家の近くのモミジ(黄色と紅) posted by (C)solar08

一週間前に早朝に零度以下になって、ヴェランダの水が凍り、寒さにおののきましたが、今はちょっと暖かいです(って言っても最高温度15度ぐらい)。秋を楽しまなくては。

Freiburg, Goethestr.
Freiburg, Goethestr. posted by (C)solar08







Last updated  2010/10/31 12:36:31 AM
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2010/10/21
カテゴリ:人物
フランス映画「Gainsbourg vie heroique」(ドイツ語タイトルは「ゲンスブール、たくさんの女性を愛した男」となっています)を見ました。

シャンソンの作詞・作曲家であり、歌手、映画監督、画家など幅広い活動をしたアーティスト、セルジュ・ゲンスブールの伝記映画(のようなもの)です。

映画やシャンソンに疎い私は、ゲンスブールのことはほとんど知らず、彼の三度目だかの妻、イギリスの女優、ジェーン・バーキンとのデュエット、「je t'aime moi non plus」(曲といっしょに、あの当時のゲンスブールとジェーンバーキンが見られます)でなじんでいただけです。

この歌は今でもフランスの懐メロ専門ラジオなどからよく流れてきます。
エロチックな内容でセンセーションを呼んだ歌ですが、メロディーがやさしくて、ゲンスブールのおとな男っぽい声と、当時はまだ若かったジェーン・バーキンの高くてささやくようなかすれ声のマッチが独特の色っぽさを出しています。
ただね、最後のあたりの「あえぎ声」は逆に色っぽさの邪魔になるような感じがしますけどね。

ちなみに、この歌は元々は、不倫相手だったブリジット・バルドーのために作ったようですが、バルドーの夫の怒りを買ったかでリリースされず、バーキンとのデュエットで発表にいたったそう。

映画はゲンスブールの子ども時代を彼の心の原点にしているような描き方をしています(私の独断ですが)。
ユダヤ人であることの意識とか、ピアノを無理やり習わされたこととか、絵への興味とか。

映画にはバーキンだけでなく、ジュリエット・グレコとかブリジット・バルドーなどなど、彼が愛した?女性やかかわりがあった女性がたくさん登場します(といっても、もちろん別の女優によって演じられている、もうお歳か亡くなっているかですもんね)。

ゲンスブールを演じたエリック・エルモスニクという俳優は、実物の写真から見るゲンスブルールとそっくり。
ただ、ゲンスブールのヴィデオ(↑の歌の)などを見ると、実物はどこか沢田研二に似ていると思うのは私だけでしょうか・・・。
ジェーン・バーキンは本物の方がずっときれい。あのあっと驚く美しさはなかなか他の女優では出せないんでしょうね。

フランス・ギャルの「夢見るシャンソン人形」(おお、なつかしい)もゲンスブールが贈った曲だそうで、知らなかった。

ただし、この映画からは、彼の生き方や作品がどのような背景や心理から出てきたのかは印象のいく形では伝わってきませんでした。
だから、伝記映画としては「レイチャールズ」など他の伝記映画にくらべて、不満が残りました。彼の一面だけを大きく取り上げて描こうとした映画というべきでしょうか。

それにしても、この一見ルンペン風のヘビースモーカー・酒飲み、なげやりな中年男が、なぜこうも多くの魅力的な女性たちに愛されたのか。

これを見た男性は「なんでこのだらしない奴がもてるんだ」と思いたくもなるみたいです。
でも、女性から見ると、なんとなくわかるのよね。

いわゆる「芸術家肌」はどことなく影があるようで、なぞめいていて。
いっしょに暮らせばカタストロフになるとわかっていても、のめりこんでしまうような・・・(いえ、私はそういう経験は残念ながらありませんが、想像するに)。

実際に、ジェーン・バーキンも彼との間に娘(シャーロッテ・ゲンスブール)をもうけながらも、結局彼の仕打ちに耐えられなくて(?)離婚しましたから、最初は炎のような恋も、実生活が進めば、燃え尽きてしまうというのが現実でしょうか。

でも、こういう「非理性的」な恋があるから、人生はおもしろいし、↑の「ジュ・テーム」みたいな歌もつくれるのでしょうね。

どうしようもない男といえば、フライブルクの友人の一人にかつてはアル中だった男性がいます。
アルコールが入ると「一人語り」がウジウジ・ジメジメと始まり、人にからみ、時には交通事故も起こしたり、窓から落ちたりと問題だらけの男性でした。

でも、頭はよいし、憎めないところがあって、彼がものにした女性は数え切れないくらい(たぶん)。
それで、パートナーたちは、誰もが結局はあきれて去っていきました。

それでも歳と理性に克服されたのか、あるいはやっと結婚した現在の保守的な奥さんの功績なのか、アルコールをすっぱりやめ、この数年クリーンです。

女性との浮名もおしまい。奥さんがものすごく厳しいし、寄る年波には勝てないのか。

こういうクリーンは良いんだけれど、今の彼はなんか面白くないのよね。
人生にたいくつしているみたいで。奥さんは喜んでいるけれど。

映画はこういう人生の現実・日常生活的な面は描かなくてもすむから、「ゲンスブール」のおかげで私もいっとき、非日常のアーティストの世界にひたることができました。







Last updated  2010/10/21 10:15:17 PM
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2010/09/03
カテゴリ:人物
アラ君が「男性」であることを意識したのは、私が十二歳ぐらいの頃だった。

それまでも、夏休みなどに祖母の家に泊まりに行くたびに、祖母の家に同居している八歳上のアラ君にゲームなどで、無邪気に遊んでもらっていた。
会社勤めをしているアラ君は、子どもの私にとってはただのオジサンでしかなかった。

あるとき、やはりアラ君とゲームをしていて、ふと「いつまでもこうやって遊んでいたい」と思った。
なぜだかわからないが、夢中でアラ君と遊んでいる時間がこの上なく幸せに感じたのだ。

それで、夕食が終わっても、アラ君の部屋に行って、彼が向かっている机のわきに立って、意味もないおしゃべりを続けていた。

ついに祖母から、「もう遅いから、あっちの部屋に行って、寝なさい」と諭された。
ふだん、孫たちにはとてつもなくやさしい祖母が、そのときはいささかけわしい目つきをしていた。

その頃からか、祖母の家に行くたびに、アラ君のことが気になった。

祖母の家の床の間に飾られている写真の中に、アラ君の写真もあった。
それまでは特別じっくり見ることもなかった写真を、私は手に取った。
彫りの深い顔立ち、すっきり通った鼻筋、大きくて二重の目、長いまつげ。
彼の顔は、アラン・ドロンに似てる、と思った。思えば思うほど、ますます似てきた。

日中、アラ君が仕事でいない時間、私は祖母の家の中にアラ君の跡をたどった。

衣文かけにかかっているアラ君のワイシャツに近づくと、男性化粧品の香りが鼻をくすぐった。それは、驚くほど快い香りで、私はもっと鼻を近づけ、その自分のしぐさにぎょっとした。

ある晩、祖母が寝室に引き取り、私も暗い座敷の布団に横たわり、アラ君も自分の部屋の明かりを消していくらか時間がたった頃、気がつくと、アラ君が私の布団のそばにいた。
「ネエ」っとアラ君は小声で呼んだ。
何か冒険が起こるかなという期待もまじって、「ナニ?」と聞いた。
「ラジオ聞きたかったら、貸してあげるよ」と彼はささやいた。
「ウウン、いらない」。私はいささか落胆しながら、首をふった。
「そう、じゃ、お休み」。
アラ君はそっと私の手に触れると、自分の部屋に静かに去っていった。

数日後、祖母の家から戻ると、母が言った。
「これからは、もうウナちゃん家には泊まらないで、日帰りだけにしなさい」
「なーんで?」
「なんででも。もう大きいんだから、泊まりに行かなくてもいいでしょう」
母の口調も、ふだんとは違って険しかった。

祖母の家は地下鉄とバスで30分で行けるところにあったので、泊まりに行く必要はないというのは、筋がとおってはいたが、祖母の「早く寝なさい」のいましめと同じに、その背景には口には出されていない胡散臭さが感じ取れた。

中学生になって、女子中・高校にありがちな「年長のお姉さまへの憧れ」やラブレター書き、さらには教会の日曜学校での青学高校や慶応高校の男子生徒との出会いなどで、私の思春期心は忙しくなり、アラ君の顔も、シャツの香りも、触れた手もやがて薄れた。

祖母の家に行くこともまれになり、アラ君に出会うこともまれになった。

祖母と母のひそひそ話から、アラ君のところに時々女性が泊まりに来たり、しばらく住み着いたりしていることがわかった。
それでも、私の気持ちは揺れもしなかった。

私が大学に入学してしばらく後に祖母が死に、アラ君は祖母の家で一人暮らしをしていた。

あるとき、BFにアラ君の話をした。そのBFは両親にアラ君のことを話した。
BFの両親は下町的な人情の持ち主で、
「30近くになっても独身だなんて、そんなら、お見合いの相手を探さなくちゃ」と、頼まれもしないのにせっせと動き、どこぞから、女性を探し出してきた。

私は仕方がないので、その話を両親にした。

母は「そんなお見合いなんて余計なことを」とさっぱり乗ってこない。
仕方がないので、この見合い話を私は自分でアラ君に電話で話した。

アラ君は私が子どものころには、かなりおしゃべりしたが、今では無口な男性になっていた。
電話でも「あー」か「まあ」しか言わず、「男ならはっきりしろ、はっきり」と叫びたいほどだった。

アラ君が「いや」とはっきり言わないので、見合い話を進めることになり、見合いの日も場所も決まった。

当日、埼玉県出身という相手の女性の付き添いは、BFの両親、アラ君の付き添いはアラ君より八歳年下の私だった。
見合いがどんなものか経験したこともないので、介添えがナニをし、ナニを言う(言わない)べきなのかも、わからなかった。

久しぶりに会ったアラ君は、一回りしぼんで、貧相に見えた。
このどこがアラン・ドロン、とBFの両親は心中ひそかに思ったに違いない。

それでも、男女の外見だけを比較すれば、アラ君の勝ちだったかもしれない。
相手の女性は、可もなく不可もなくで、描写のしようがない。

BF両親は「本日はお日柄もよろしいようで、、、、。」とドラマのお見合い風景のような言葉でイベントをオープンさせた。

あたりさわりのない話が続く二時間ぐらいの間、アラ君の出した言葉は「エエ」「エーと」「ハー」ぐらいだった。

見合い後、アラ君から電話がかかることはなかった。
BFの両親によると、相手の女性はまんざらでもないらしく、アラ君の出方を待っているようだった。
アラ君に電話で心積もりを聞くと「エー」「アー」「マー」が返ってくるだけで、プラスなのか、マイナスなのかもはっきりしなかった。

何度も「もうしばらく待ってください」とBFの両親に伝えるのも飽き飽きした頃、BFの両親の側から「このお話はなかったことに」という、これもドラマのせりふのような言葉が来た。私はほっとしてこれをアラ君に伝えた。アラ君は「はー」と言っただけだった。

次にアラ君に会ったのは、母の出棺の日だった。
何十年ぶりかに会うアラ君の姿は、あのお見合いのときよりももっと縮んでいるように見えた。
一生独身を続けるらしいアラ君には、もはやアラン・ドロンの面影はまったくなかった。

そういえば、本物のアラン・ドロンの晩年の姿も、艶や色気がないよなあ、ショーンコネリーとかクリント・イーストウッドと違って。







Last updated  2010/09/04 12:22:33 AM
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