2007/10/21(日)10:21
「わからない」という言葉
「わからない」という言葉は最近になって使い出したような気がする。
子どものときに先生にあてられて答えられなかったとき「『わからない』と
言うな。答えは本かどこかにある。お前が『知らない』だけだ」と言われた
ような気がする。
そうか『わからない』というのは知識がないだけなんだ。それとも先生の話
を聞いていなかったからかと思った。それ以来、『わからない』という言葉
を使わなくなったような気がする。
でも「わからない」と答えなくてはいけないときがある。そのときは答えを
はぐらかせて答えないようにして、その問題を避けた。
アメリカの映画を見て、登場人物が頻繁に"I don't know."と言っているの
に気づいた。刑事や博士のような専門化が、何か問題を尋ねられたときに"I
don't know."という。あなたが最後の砦なのにそう答えられると誰もわから
ないだろう、と思った。
そのうちコンサルティング会社に入って、上司から決して「わからない」と
言うなと命令された。「わからない」と答えると、それで話が止まってしま
う。「わからない」と答える代わりに「会社に戻って詳しく調べてから、返
答します」とか、その場で適当に答えてしまえ(もちろん後で説明できるよ
うに)といわれ続けていた。
大学まではたいていのことには答えがあった。
でもそれからは答えがない。
何が正しいとか、何が間違いだとか、絶対的なものはない。
状況によって、背景によって、立場によって、変わる。
「Aが正しい」ということも100%真であることはない。あくまでも予測
して90%ぐらい正しいかもしれない。50%ぐらいでどちらとも取れる。
あまり正しいとはいえないかもしれないけれど、ひょっとしたら10%ぐら
い正しいかもしれない。
それ以来、「わからない。だけどこれぐらい正しいかもしれない」と答える
ようになった。