2008/01/20(日)09:08
我が家の1月17日
長男の高1の1月17日午前4時過ぎ‥
なぜか長男も私も起きていて居間にいた。
M3ぐらいの揺れがあって、とっさに私は長男をかばっていた。
情報を得ようとテレビをつけた。
神戸のテレビ局の前から中継していて、ごく静かで、何事もなかったかのようだった。
そのままテレビを消して就寝した。
午前7時過ぎ‥
テレビをつけるとなんやら様子がおかしい。
大変なことが起きたことがわかったのは、そのあとまもなくだった。
3月には地下鉄サリン事件
10月には長男の脳腫瘍が判明
11月6日には「僕の人生は終わりだよ」と言い残して手術室に入って行った。
岐路が三回あり、ことごとく悪いほうに向かっていた。
小さい手術も含めて3回。
主治医は「もうこれ以上、Nくんに全身麻酔はしたくない」と‥
生きるか生きれないか‥長男のそういう状態に耐えられたのは、阪神大震災での若い人たちの
犠牲、地下鉄サリン事件での犠牲者の方たちのことを思っていたからである。
たくさんの方たちが理不尽な亡くなり方をして、決して私たちだけが特別ではありえないと思
っていた。
あれから13年‥
脳腫瘍との闘病生活は12年。経過観察はあと5年‥