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伊東良徳のとき・どき★かるちゃ~

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全8件 (8件中 1-8件目)

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絵画

2012年11月03日
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カテゴリ:絵画
 東京駅付近の三菱一号館美術館で開催中の「シャルダン展 静寂の巨匠」に行ってきました。
 シャルダンが無名と言ってよい存在であること、三菱一号館美術館もあまり著名でないこと(私は初めて行きました)、それにしては油彩38点の展示で1500円とお得感がないこと、そして私が平日に行ったことの条件が重なっているためでしょうけど、すいてました。平日に行っても人だかりの美術展ばかりで辟易していましたので、それだけでうれしくなりました。
 三菱一号館美術館は初めて行きましたが、小部屋に区切られ、全体の展示数が38点と少ないこともあってでしょう、一部屋に2点とか3点とかずつのゆったりした展示。それにもかかわらずというか、主催者側では絵を守るために当然ではありますが、一部屋に一人は監視員がいますが、観客が少ないので手持ちぶさたにしていました。絵の前には多くの場合柵かここから入るなというラインが引かれていますが、他の美術館のように1メートルも離されることはなく50センチくらいの感じで、脚は入らなくても上体を寄せるとかなり間近でまじまじと見ることができます。まぁそうすると監視員が観客が触らないか見えるような位置に移動するのがちょっとプレッシャーになりますが、注意されることは一度もありませんでした。立ち止まることさえ許されないマウリッツハイス美術館展とかとは大きな違いです。
 一部屋ごとに自動ドアで仕切られているのは、空調(湿度?)を維持して絵を保護する目的なんでしょうか。福島原発震災後の感覚としては、ちょっと電気の無駄遣い感がありますが。

 シャルダンの静物画は、かなり写実的ですが、しかし写真のような緻密さを売りにする静物画とはちょっと違う感じがします。私には、銅や銀、鉄などの金属系の食器(鍋やゴブレット)の描写や陶器の描写に味わいのある画家だなと思えました。
 静物画のモチーフが似たようなものが並べられ、ちょっと見飽きる感じもありましたが、今回の展覧会の目玉になっている「木イチゴの籠」と隣の部屋に展示された「水差しときゅうりとさくらんぼ」で、同じ人が同じ時期に描いたさくらんぼの透明感が全然違うのはなぜとか、桃の色やぼかしぶりの微妙な違いとか、同じ素材を描いた絵が並ぶ故の楽しみ方もありました。

 風俗画では、人気作品の「食前の祈り」のまなざしや肌の描写に魅せられます。事前には知らなかった作品ですが、「病後の食事」(別名「思いやりのある看護人」)のすっきりとしたたたずまいもちょっと拾いもの感がありました。

 絵の性質からも、画家の知名度からも、その結果としての空き具合からも、地味な展覧会ですが、絵自体の趣味のよさとゆったりじっくり見れる気持ちよさで割とよかったかなと思います。






最終更新日  2012年11月04日 01時46分00秒
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2012年08月21日
カテゴリ:絵画
 久しぶりに映画以外で書きたくなったので、こちらに書きます。

 東京都美術館リニューアルオープン記念のフェルメール「真珠の耳飾りの少女」が売りの「マウリッツハイス美術館展」に行ってきました。平日の夕方を狙って行きましたから、待ち時間はゼロでしたが、「真珠の耳飾りの少女」の前だけは行列と人だかりが絶えませんでした。

 公式サイトでの説明では、「マウリッツハイス美術館では、本展を開催する2012年から大規模な増改築工事がスタートします」とあり、「マウリッツハイス美術館から、名品約50点を選りすぐって紹介します」とされています。こう書かれると、改修工事中だからマウリッツハイスの代表作がそろって来るかのように読めます(公式サイトでは、そういう苦情に対応できるようにか、そう明言はしていませんけど)。例によって「主な作品」(12点)だけしか紹介してなくて、出品目録もネット上公開されていませんしね。
 実際の出品目録を見るときには既に入場してますが、マウリッツハイスのフェルメール作品で「真珠の耳飾りの少女」と並んで有名な「デルフト眺望」は来ていません。まぁ、これはもし来るなら思い切り宣伝するでしょうから、「真珠の耳飾りの少女」しか宣伝しない以上、来ないとわかりますが。レンブラントも6点も来ると誇らしげに書いていますが、マウリッツハイス所蔵で一番有名な「テュルプ博士の解剖学講義」は来ていません。アーフェルカンプの「氷上の遊び」も来ていませんし。
 マウリッツハイスからフェルメール2点借りてくるならどう考えたって「真珠の耳飾りの少女」と「デルフト眺望」でしょう。「ディアナとニンフたち」なんて真作か贋作かずっと議論されている代物ですし、2008年に東京都美術館が第一生命・朝日新聞社という今回と同じ組み合わせでやった「フェルメール展」でも展示されてたものじゃないですか。前回に味を占めてフェルメールと名のつく物さえ並べれば客が来ると踏んでのことでしょうか。実際、前回同様に自ら主催の朝日新聞が記事か広告か判別しがたい広告を大量に掲載して煽り倒して既に(2012年8月16日で)入場者40万人超えですからもくろみ通りになっていますが。

 展示は、全部で48点のうち美術館の紹介用の作品が6点、風景画が8点、物語画が6点、肖像画が13点、静物画が6点、風俗画が8点という17世紀オランダ絵画の盛り合わせ。いろんな分野をちょっとずつアリバイ的に並べた感じで、私には全部中途半端でポリシーが感じられませんでした。私の感覚では、17世紀オランダ絵画を紹介するということなら静物画と風俗画に集中した方が見応えがあると思いますし、どうしてもフェルメールとレンブラント(の今回出品作)で売りたいなら肖像画に特化した方がいいと思います。

 そして、「真珠の耳飾りの少女」。宣伝では、これが間近に見られるかのようにいわれていますが、全面ガラスの向こう、柵の1m以上先上方にある絵を、行列したあげくに「立ち止まらないでください」と係員に急かされながら通り過ぎるだけ。こういうパンダでも見せるような感覚(パンダはそれでも写真が撮れるけど、美術展では撮影厳禁でその場で目に焼き付けるしかないのに)で美術作品を見せる人々に美術展なんか主催して欲しくない。目があまりよくない私には、まじまじと見る余地なく歩きながら見るだけでは実物を見たという感覚は持てません。こういう見方なら、映像なり写真集で見る方がいい。実物を見て感じたのは、映像に比べて色があせている(17世紀の絵であることを考えると色あせしてない方と評価すべきでしょうけど)なというくらい。もっともそれも全面ガラスと照明の仕方の関係かもしれませんが。

 主催者の美術展ビジネスの道具のフェルメールはおいて、17世紀オランダ絵画の小規模作品展としてみると、いつもながらに17世紀オランダの画家たちの緻密な描写と繊細で柔らかいタッチ、草木や毛の筆遣いや布などの質感に心を奪われます。私が知らなかった画家ですがヴィレム・ヘーダの「ワイングラスと懐中時計のある静物」など、よくぞここまでという感じです。その前後の静物画も素晴らしいのですが、じっと見ていると壺・食器類の形が歪んでいるのは、当時の食器等の製作技術の問題でリアリティの追求なのか、それともデッサン力の限界なのか。風俗画ではピーテル・デ・ホーホの「デルフトの中庭」ですね。前回(2008年)の「フェルメール展」の中ではデ・ホーホは迫力不足に思えたのですが、今回の展示では光って見えました。
 ルーベンスの「聖母被昇天」の下絵(完成品はアントワープ大聖堂所蔵)が展示されていて、「フランダースの犬」でネロがどうしても見たかった絵がこれなのかとわかったのが一番の収穫だったかも。






最終更新日  2012年08月22日 00時49分39秒
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2009年04月03日
カテゴリ:絵画
 東京国立博物館の平常展での特集陳列「黒田清輝のフランス留学」を見てきました。

 自営業の強みと言うよりも、業界の事情で平日に休みが取りやすい4月第1週(裁判官の転勤時期のため、裁判所の日程がほとんど入らない)を利用し、「おくりびと」を見た後、上野公園を散歩して桜を眺めました。その後、東京国立博物館で開催中の「国宝阿修羅展」を狙ったのですが、マスコミの展覧会ビジネスで煽られた人々があふれて入場規制中、入場までの列が20分と聞いて、平常展だけ見ることにしました。
 「黒田清輝のフランス留学」は、黒田清輝の初期の絵画13点とデッサン2点と、黒田清輝の師匠のラファエル・コランの絵画とデッサン、同時期の日本人画家の絵画若干で構成されていました。少数の中途半端な展示ですが、考えてみればフェルメール7点とそれ以外も含めて40点で「フェルメール展」と大宣伝して1600円取った展覧会ビジネスと比べれば、平常展内の無料の特集ですから立派と言えるかも知れません。人混みの「国宝阿修羅展」の隣の建物にもかかわらず、ガラガラでゆったり見れましたし。

 私は、黒田清輝は、特段興味がありませんでした。出品された作品では、出世作の「読書」と重要文化財の「智・感・情」しか見覚えがありませんでしたし、出品された絵画ではやはりそれとあと「読書」の隣の「婦人像」くらいしか目を引きませんでした。「智・感・情」は大きめの絵で近くで見れてお得感があり、悪い絵じゃないんですが、ちょっとあっさりし過ぎで、今ひとつすごいとか強い思い入れを持ちにくい感じでした。やっぱりどこかインパクトが感じられないんですね、私には。
 今回の展示でむしろ気に入ったのは、絵画の方でなく、写生帖です。無地のメモ帳のような紙綴りに鉛筆でスケッチしているのですが、これがちょっといいセンス。このスケッチに何かちょっと入れて、例えばカレンダーにするとかして出版してくれたら、ちょっと持っていたい感じがしました。もちろん、ガラスの箱の中に入れての展示で、開かれているところしか見れません。1冊に付き1つのスケッチしか見えないわけで、どこを開いて展示するかは学芸員のセンスにかかってくるのですが、もう少し別のページも見てみたいなと思いました。
 こういう地道な試み、もっと評価したいですね。






最終更新日  2009年04月03日 00時43分10秒
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2008年10月28日
カテゴリ:絵画
 東京都美術館で開催中の「フェルメール展 光の天才画家とデルフトの巨匠たち」を見てきました。
 昨年国立新美術館で開催された、「牛乳を注ぐ女」1枚だけでフェルメールを冠にした展覧会(私は行きませんでした)に比べれば、「7枚も」フェルメールを集めた今回はマシなんでしょうけど、主催者の1社TBSが第一生命スポンサーで「今世紀最多の来日」とかCM流してはしゃいでるの見るとイヤになりますね。現存する作品が三十数点しかないフェルメールですから、希少価値は希少価値ですが、1995年11月~1996年6月のワシントンとハーグでのフェルメール展には20点出品されていますし、2001年のニューヨークとロンドンのフェルメールとデルフト派展ではフェルメール18点(全体で157点)出品されたそうです。確かに、「今世紀」(ってまだ9年しかたっていないこれまではねということですが)、「日本」に限定すれば、「最多」でしょうけど。
 それも、今回の出品はいかにも数あわせって感じで、いかにもフェルメールっていう代表作はなく、私の中では当初出品予定だった「絵画芸術」が出品されないと報道された時点で、行かないという選択肢もかなり有力になりました。TBSと朝日新聞が煽りまくってひたすら入場者増を図ってるからいつ行っても混んでること確実で、人混みの中で遠くから落ちつかずに見る展覧会って最悪。それで来る絵が、フェルメール初期のフェルメールらしくない物語画の「マルタとマリアの家のキリスト」、フェルメールの真作か議論が絶えない「ディアナとニンフたち」、私の好きな作品だけどフェルメールの分野といいにくい風景画の「小路」、フェルメールのいい時期の作品だけど今ひとつ品がない「ワイングラスを持つ娘」、フェルメールの最盛期の作品の1つではあるけど華がない「リュートを調弦する女」、盛りを過ぎたといわれる時期の「手紙を書く婦人と召使い」、真作か疑問を呈する声があり小さい「ヴァージナルの前に座る若い女」ですもん。「小路」が来なかったらきっとやめたでしょうね。「絵画芸術」とか、元々予定もされてないけど「合奏」とか「天秤を持つ女」とか「デルフト眺望」とかが来るんなら混んでても何するものぞで行くんですが・・・

 最初から、不満が長くなりましたが、一応、ひょっとして空いてないかなという期待で平日の2008年10月28日午前中に行ってみましたが、やっぱり混んでました。まずチケットを買うところから行列で、入場の列が20分待ち。TBSの展覧会サイトのトップにも開催62日で入場者40万人突破とか誇らしげに書いてますからね。1日平均6500人ですもんね。
 20分並んで、ようやく中に入り、出品目録を手にしてまたビックリ(大々的に展覧会のサイト開くのなら出品目録くらいネットで公開して欲しいと、いつも思います。別に絵を掲載しろとは言いません。でも画家とタイトルくらいは公開してもいいでしょ)。わずか37点。それで1600円。同じ37点でも、全部フェルメールなら、つまりフェルメールの作品全部集めたら、たぶん1万円でも見に来る人いっぱいいるでしょうけど、フェルメールは代表作と言えるものなしの7点と、それほど有名ではないオランダ画家の作品を1人数点ずつで全部合わせて37点ですよ。まぁ17世紀オランダの風俗画には関心がありましたから、空いててじっくり心ゆくまで見れる、間近で見れるんならそれでもいいと、私は思いますけど、入る前から大行列ですからね。それにまたどうせ柵に阻まれて遠くから眺めるハメになるんでしょうし。絵を見る前にもう気持ちが萎えました。これだからマスコミ主催の展覧会ビジネスはイヤなんだって。

 17世紀オランダの画家の作品を少しずつ、最初は風景画、肖像画、そして人物による物語画・風俗画と並べて、その後フェルメールに行き、その後また類似のテーマの風俗画という展示構成です。
 そうして見ると、風景画では、ハウクヘースト、ウィッテの大教会室内の建築画が目を引きます。遠近法の教科書みたいな感じもしますが、美しく白い柱の存在感と細部の描写にうならせられます。
 ファブリティウスが5点、出品目録に載っていて、ちょっと期待しましたが、肖像画以外は、「楽器商のいるデルフトの眺望」と「歩哨」だけでした。「楽器商のいるデルフトの眺望」は小さな絵で迫力不足。「歩哨」は今ひとつ細部に魅力を感じませんでした。
 ピーテル・デ・ホーホ。フェルメールと同時代の風俗画家で類似のテーマの作品が相当数あり関係が議論されています。この展覧会で最多の8点出ています。ちょっと期待してみたのですが、並べてみると、デ・ホーホの作品は、部屋の風景・情景が描かれているというか、絵の中で人物の占める部分が小さい。フェルメールの作品は、物理的にも人物の占める割合が大きく、人物が遠目に見えるときも人物に関心が行く描き方をしています。そして、他のオランダ風俗画家も含めて、実際の、あるいは自然な光をそのまま描く技術ではむしろフェルメールより上の絵が少なからずあるのですが、上品で柔らかくしかし印象的な光を描く点でフェルメールの絵の方が魅力的なんだなと思いました。

 さて、フェルメールです。予想通り、柵で1m以上は近寄れませんし、人だかりがなかなか動きません。遠目で哀しかったけど、「小路」は煉瓦の色が目に染みました。「ワイングラスを持つ娘」は遠目では顔もはっきり見えませんでした(私の目が悪いからですが)。スカートの赤ばかりが目につき、後景のかすみ具合というかボケ具合が哀しい。「リュートを調弦する女」も元々少しぼやっとした作品ですし、遠目ではあまりしっかり見えませんでした。暗め遠目になると、むしろ、フェルメールにしてはハイライトが目につきすぎる「手紙を書く婦人と召使い」の方がくっきり見えていい感じでした。会場の客もこれに一番集まっていたみたい。「ヴァージナルの前に座る若い女」は25cm×20cmの作品ですから1m離されたらねぇ。という具合。あぁ「小路」もっと近くでじっくり見れたらよかったのに。

 フェルメールの後の風俗画で、コルネリス・デ・マンの「金を天秤にかける男」。細部の描写がしっかりしていていいんですが、それより感心したのは、保存状態がいいこと。17世紀の絵で個人蔵で、それですごくきれい。絵の具の褪色も感じられないし、ひび割れもすり切れも見えず細部がくっきりしています。

 終わってみて、あっそう言えば17世紀のオランダ画家なのにハブリエル・メッツーがないと思ったら、メッツーはアムステルダムやユトレヒトで活躍してたので「デルフト」の画家じゃないからですね。残念。デルフト限定じゃなくて17世紀オランダでもっとたくさん集めてくれたらよかったのに。 






最終更新日  2008年10月29日 01時07分47秒
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2008年10月15日
カテゴリ:絵画
 渋谷bunkamuraザ・ミュージアムで開催中のジョン・エヴァレット・ミレイ展に行ってきました。
 「ミレー」というと、「晩鐘」「落ち穂拾い」「種まく人」のミレーを思い浮かべるのが普通ですが、それはフランス人画家のジャン=フランソワ・ミレー(Millet)。ジョン・エヴァレット・ミレイ(Millais)はイギリス人画家で、著名作品は「オフィーリア」(今回の展覧会以前にこれ以外の作品を知ってた人はかなり稀でしょう。もちろん、私も知りませんでした)。
 平日でもクチコミとリピーターでかなり混雑してると、ブログのチェックでわかっていたので、3連休にも仕事して今日(2008年10月15日)の午前中を狙いすまして(今日は上野のフェルメール展がシルバーデーで65歳以上が無料で高齢の美術ファンはそちらに流れる、映画がレディスデーで割引・美術ファンが「宮廷画家ゴヤは見た」に流れるかもと期待)休みにして行ったのですが、それでもけっこう混んでました。
 そして虎の子別格の「オフィーリア」は絵から1m位のところに柵があって遠目にしか見えません。他の作品は30cm位の距離で見れるものが多く、見やすかったのですが。
 主催者の配慮でありがたかったのは、出品リストが完全に展示順だったこと。絵の横のタイトルをいちいち覗き込まなくてもいいので楽でした。他の展覧会も見習って欲しいものです。

 作品としては、宗教や寓意を込められた人物画が多く、人物の表情、どちらかというとりりしさよりも媚びとすねの混じったどこか投げやりな表情の人物に心惹かれました。そういう心の動きを描こうとしているのか、単にモデルが飽きてきてそういう表情をしているのかはわかりませんが。
 別格の「オフィーリア」や今回の目玉の1つ「露にぬれたハリエニシダ」などからすると植物の描写に長けた画家かなという先入観を持って行ったのですが、植物に限らず細かな部分の描写力に驚きました。
 17世紀オランダの画家たちにも通じますが家具類、敷物等の緻密な描写力。今回の目玉の1つの「マリアナ」では、背中を反らす立ち姿の女性の怪しげな魅力も捨てがたいものがありますが、テーブルと敷物、いすがとてもいい。ついでに女性の後にうずくまるあり得ないほど小さなネズミも。
 続いて私の目を引いたのは、「1746年の放免令」の犬。夫の放免を求める妻とくたびれた夫と兵士の人物画なんですが(だから本来犬に注目する絵じゃないんですが)よれよれの夫にじゃれつく犬の毛の緻密な描写がほんとにすごい。油絵の筆でどうやったらこんなに細くてしなやかな線を連ねられるのだろうと、技術面から感心しました。全然有名な絵じゃありませんが、この絵の犬は現物で見る価値ありです。タッチは違いますが、やはり全然有名じゃない「名残りのバラ」の女性が首に纏う毛皮のふわっとした毛の質感もすばらしい。人物画でも、絵によってばらつきはありますが、髪の毛が描き込まれています。こういう細くて柔らかな線を引く技術に、まずは感心しました。
 そして、今回私が一番ビックリしたのは、絵としての魅力でいうとそれほどではないんですが、やはり全然有名じゃない「目ざめ」。ベッドの上で身を起こし前方を眺めている女性の絵ですが、このベッドのベッドカヴァーの描写がすばらしい。白を基調とし淡いピンク系、茶系、グレイ系が少し入るだけの全体として白っぽい色調でこれほどまでにベッドカヴァーの質感を再現できるのはものすごいテクニックだと思います。脱帽ものです。これも現物で見れてよかったなという感想です。
 ただ哀しいかな、家具や日用品、とりわけ白っぽいベッドカヴァーがどんなにあり得ないほど緻密に描かれ本物そっくりさらには本物以上に本物っぽく描かれていても、それで感動する人はほとんどいません。そのあたりが、ミレイがこれまであまり有名でなかった原因かも。

 ミレイの絵にはぼかし系の幻想的な絵もありますが、私には細部の描写が魅力的でしたので、くっきり系の絵の方がいいと思います。ぼかし系でいいと思うのは「露にぬれたハリエニシダ」くらい。
 その「露にぬれたハリエニシダ」ですが、小さめの図版でしか見たことがなくて、それからすると特に中央部のハリエニシダはかなり細い線で書き込んであると思っていました。ましてや前半で犬の毛やベッドカヴァーの描写を見た後ですから、ハリエニシダはきっと緻密に描き込んでいるものと思っていました。ところが、現物を見ると、ハリエニシダの部分はぼかした彩色の上に点(ドット)が載っているだけで細い線はほとんどありません。すごく意外でした。遠目にはハリエニシダの細かい葉・枝が密集していると見えるのに。逆にぼかしと点でこういう絵にできるんだと感心しましたが。でも、私は「露にぬれたハリエニシダ」は離れて見る方がいい作品だと、現物を見て初めてそう思いました。

 ミレイ展に行って「オフィーリア」を論じないとは何ごとかと言われそうです。もちろん、悪い絵ではありません。しかし、目の悪い私には1m以上近寄れない状態で見せられた絵なんて、現物を見たという気になれません。ポスターの方が細部まで見えるというレベルでは、ちょっとコメントする気になれません。あしからず。






最終更新日  2008年10月15日 23時00分28秒
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2008年08月11日
カテゴリ:絵画
 東京国立博物館で開催中の「対決 巨匠たちの日本美術」展に行ってきました。
 はっきり言って私はこういう企画、好きになれません。室町時代から江戸時代(一部明治・大正)の国宝・重文級の作品を並べてまとめて鑑賞できるという意味はあるでしょうけど、時代も作風も違ういろいろな人の作品をちょっとずつ持ち寄っても、ただごちゃごちゃするだけに思えます。どこかで見覚えがある作品が多いですが、それだけに観光地に行ってガイドブック通りだと確認して回るパックツァー以上の感慨を得られた入場者がどれだけいたでしょうか。それに主催のマスコミが一生懸命煽るものだから、30日間で入場者20万人とかの大混雑。行列して待ってようやく見て、気に入った作品があっても立ち止まってゆっくり見れない状態の美術展って、見に行くに値しないと思います。
 で、ふだんなら休館日だけど特に開いている今日(2008年8月11日月曜日)は少し入場者が少ないかと思って行ってみましたが、やっぱり混んでました。まぁ午後遅めに行って行列しながらおおかた当たりをつけて、閉館30分前の入場者が途絶えたところで入口に戻って狙った作品だけゆったり見直しましたけどね。

 まず入口付近で大混雑の雪舟。国宝の「秋冬山水図」。雪舟と言えばこの絵がまず出てくる教科書によく見る絵です。これもともと東京国立博物館所蔵なんですがふだん展示されていなくて、初めて見ました。小さい。普通の掛け軸サイズの絵で、それをガラス越しに1mほど離れたところから見ても、実物を見たという感慨が湧きません。同じく国宝の「慧可断臂図」。こちらは大きい。これと松に鶴の「四季花鳥図屏風」が雪舟らしいデフォルメされた角々の岩や松と丸みのあるタッチの人・動物の組み合わせ。対比された雪村の一番有名な「蝦蟇鉄拐図」。いい絵なんですが、ものすごいシワシワ。これも東京国立博物館所蔵。ふだん展示しないで巻いてるからでしょうか。見ていて哀しくなりました。
 次のコーナーの狩野永徳。教科書とかではキンキラの絵の印象ですが、水墨画が意外にいい。国宝の「花鳥図襖」の松鶴芦雁図、初めて見ました。右半分の松に鶴の部分は雪舟風の角々の松で、左半分の雁は柔らかいタッチで、統一感がないとも言えますが、なかなかいい絵だと思います。やはり国宝の「檜図屏風」(これも東京国立博物館所蔵)は、教科書で見るいかにも狩野派って感じのキンキラの屏風ですが、こすられて剥がれた傷みが目立ち、これも哀しい。
 そして前半(第1会場)ラストは宗達vs光琳。この日から展示の目玉になる2人の「風神雷神図屏風」が並べられます。このコーナーは今日はそれ目当ての人が多いのか、閉館間際になっても人垣がなくなりませんでした。並べてみれば一目瞭然の同じ図柄ですが、やっぱり宗達の方が渋みがあっていい。光琳の方が後の作品だから褪色してなくてけばけばしく見えるということかも知れませんけどね。光琳では、あまり見覚えのない「白楽天図屏風」が、海の波のデフォルメが美しくて味がありました。
 私に掘り出し物に思えたのは、第2会場冒頭の応挙vs芦雪。応挙の「猛虎図屏風」のカラフルでどこかかわいい虎たち(豹もいるけど)と、芦雪の「虎図襖」のダイナミックな水墨画の虎。絵はどちらも少しアニメっぽい(だから今風とも言えます)んですが、これを並べて見るとなんか楽しい感じでした。応挙の絵で、この「猛虎図屏風」の虎の毛のフワフワ感とか、「保津川図屏風」の川の流れの描き方とか、日本画なのに洋画っぽいというか、今風の感じが、ちょっと新発見の気分でお得感がありました。

 著名な作品を集めたことが売りの展覧会で、初めて見た絵もけっこうありそこそこ楽しめましたが、考えてみると、出品作の相当部分がもともと東京国立博物館所蔵。特別展で高い料金とって見せるんじゃなくて、常設展で展示しておいて欲しいなぁと思います。 






最終更新日  2008年08月11日 20時17分14秒
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2008年06月19日
カテゴリ:絵画
 19世紀フランスの風景画家、カミーユ・コローの展覧会を見てきました。
 今回の展覧会の目玉はルーブル美術館所蔵の「真珠の女」「青い服の婦人」「モルトフォンテーヌの想い出」の3点で、ポスター類は「真珠の女」を「コローのモナリザ」と題して載せています。私の認識では基本的に風景画家のコローを、まるで人物画の大家のようにイメージさせた売り方には、行く前から違和感を感じていました。あのポスターだけ見てコローのイメージを作った人は、現実に見たら驚くだろうなと。

 コローの絵の主流は風景画で、緑-黒系の樹・林・森と水辺にアクセント程度の小さめの人物が配されているというパターンが、最も手慣れた/美しい絵となっていると、私は思います。
 人物画では、若い女性が描かれても肉感的でなく、どこか愁いをたたえた物思いの風情の絵が目を引きます。今回クローズアップされた「真珠の女」にしても「マンドリンを手に夢想する女」「もの思い」「身づくろいをする若い女」にしてもそうです。「真珠の女」は、手の組み方こそモナリザですが、その表情は愁いであって謎の微笑みではありません。この絵、悪くないんですが、コローが気に入って何度も手を加え続けたそうで、髪の部分の黒がそこだけ光の反射加減で妙にテラテラするのがちょっと興醒めしてしまいました。照明の配置の問題かも知れませんが。

 コローの風景画では、イタリア旅行時やパリでの都会での風景画のように樹がないものもあります。そういうものの中にも、「ドゥエの鐘楼」のようにハッとさせるほどの美しい建物の絵もあります。
 しかし、基本的には都会の絵であっても、樹が描かれている作品では樹の方が光って見えてしまいます。例えば、コローの絵としてはかなり初期の「ローマのコロセウムの習作、あるいはファルネーゼ庭園から見たコロセウム(昼)」(1826年)でも、主題の中央にきちんと描かれたコロセウムもいいんですが、右側、下側に描かれた樹々の美しさにうなります。細部まで描き込まれた葉、枝葉の明暗の取り方など、確かな技術に裏付けられた丁寧な仕事を感じさせます。

 コローの樹の描写の、樹だけが巧いんじゃないんですが、描写力を特に感じさせるのは、樹の枝が視界いっぱいに広がる構図の絵です。
 「ヴィル=ダヴレー、傾いだ樹のある池」が有名ですが、絵のほぼ中央に右下から左上にかけて傾いた樹の枝を張らせ、空の多くが木の枝越しとなっているいくつかの絵があります。構図の取り方として、普通に考えればよくない構図です。この奇抜な構図は他の画家の興味を引いたらしく、展覧会ではそれを真似た他の画家の絵も並べられていましたが、概ね失敗しています。しかし、このような構図でも鑑賞に堪える絵に仕上げてしまうところがコローの腕だと思います。
 結果としてそれ自体が名作とは思わないのですが、今回の展覧会で「緑の岸辺」という作品を初めて見ましたが、これがいかにもそういう意味ですごい。森の中に右下に小川のような小さな水辺を配し、左下に小さな人物を配し、そして上部は樹の枝葉に満ちて空はそのすきまに見えるだけ、視界いっぱいに緑の樹という構図です。こういうテーマならば普通、右側の水辺は目につくようにコントラストを付け、上部は空をそこそこの大きさで切り取った構図にしないと描きにくい。並みの画家に描かせたら、この構図では見るに堪えない絵になると思います。この構図で、全体の配色も概ね緑系で描いて、きちんと絵として成立させているところに、コローの力量を感じました。

 樹が中心の風景画では、緑系のくっきりした樹、緑系のぼかした樹、黒系のくっきりした樹、どれも樹の美しさにうっとりしてしまいますが、私はくっきり系の樹が好きです。葉も細部まで描き込んだもの、ぼかしたものがあり、現物を近くで見るほどに感心します。
 コローの絵の空は、どこか薄暗い印象が強かったのですが、視界の多くの部分に樹の葉が少し描き込まれたりぼかしてあるのが空とともに認識されてそう見えるためで、空の色自体は思ったよりも明るく彩色されていることも、現物を見ての発見でした。
 樹、水辺、アクセント程度に配した人物という、コローの風景画の印象に残るパーツがそろった絵としては、今回の目玉の1つ「モルトフォンテーヌの想い出」があります。元々評価の高い絵ですが、目の当たりにすると、樹の暗さと湖の明るさの対比、樹の葉と人物のふわりとしたタッチに魅せられます。

 私は、樹が中心の風景画だけ並べてもらってもよかったんですが、都会の風景画や人物画も並べられていて、絵の好みにかかわらず見やすい展覧会になっています(抽象画やキュビズムが好きと言われたら別ですが)。全体に大きな絵が少ないので、混んでいるとちょっと辛いものがあります。平日の朝なら行って損はないかなと思いますよ。 






最終更新日  2008年06月20日 01時29分53秒
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2008年05月03日
カテゴリ:絵画
 今年は生誕100年ということで東山魁夷展が全国巡業し、記念出版もいくつかあるようです。
 で、国立近代美術館の「生誕100年東山魁夷展」を見て、2008年3月発行の講談社東山魁夷Art Album3巻組を眺めてみました。

 東山魁夷展は、学生の頃、チャーミングな女子大生に誘われて行った甘酸っぱい想い出(*^^*)以来、28年ぶり。今回は、私の事務所から歩いて行けないでもない国立近代美術館で、木・金・土は午後8時までやってるというので、午後5時出発で行ってきました。朝日新聞の記事が出た翌日でもあり混むかと思いましたが、人だかりはなく、わりと余裕を持って見れました。音声ガイドが、半分は東山魁夷本人の声というので、張り切って借りてしまいました。

 東山魁夷というと、樹と森、山の絵を、緑と青、白と黒で描く画家というイメージを強く持っています。それ以外の色、例えば赤やオレンジ系の絵もありますが、でもやっぱり緑・青系の絵の方がいい感じです。
 赤系の絵では、私は「秋翳」(紅葉に覆われた山頂の絵)が気に入っていて、今回の出品作に「秋翳」が入っていたので喜んで行ったのですが、絵がガラスで覆われていて、ガッカリしました。展覧会に現物を見に行く楽しみは、東山魁夷のような画家の場合は、例えば山の一部の1本の樹や樹と樹の間などのパーツの中で色合いを微妙に変化させているその技術や味わいにあると思います。絵にガラスが張られていたら、照明や人影などがガラスに映り混んで微妙な色合いの変化なんてわかりません。これだったら画集で見た方がという気になってしまいます。
 出品作の半分くらいがガラス張りで、げんなりしました。「秋翳」の他にも、今回初めて見た「曙」なんて絵(これは朝の白から青・緑に変化して行く山の斜面の絵で普通に緑系の絵です)も、山の斜面の樹々の緑の微妙な変化を味わいたいと思ったのですが、ガラスの反射に阻まれました。
 でも、ガラスの張っていない大作もあり、「青響」(森と滝の絵)や「萬緑新」(山と森と湖の絵)、「白夜光」(森と湖の絵)がガラスなしで見れたのが大収穫。「白夜光」は、画集で見ていたときはなんてことのない絵だと思っていたのですが、現物の色合いに目を見張りました。手前の森の樹の色が画集ではどこか安っぽい感じがするのですが現物では味わい深い、奥の湖に反映する陽の光が画集ではただの白だけど現物では輝きを感じさせる。これが今回のイチオシです。
 1階の展示を一回りして、これで終わりかなと思ったら、2階に唐招提寺のふすま絵が展示されていて、「濤声」(唐招提寺宸殿の間の海の波を描いたふすま絵)の約8割と「揚州薫風」(唐招提寺松の間の鑑真の故郷揚州を描いた水墨画のふすま絵)の現物がガラスなしで見れました。これには感激。1階で感じ続けたガラスのうっぷんが晴れました。ぜいたくをいえば、私はどうせなら「濤声」より「山雲」の方が見たかったのですが、「濤声」もやはりすばらしい。唐招提寺の部屋とほぼ同様に12枚のふすま絵を一直線に並べた姿は思わず息を呑みます。「揚州薫風」の方は、水墨画では傑出しているとは思えませんし、鮮やかな青い海を見た後水墨画を見せられてもねぇ。だいたい唐招提寺の厨子を置く部屋のふすま絵を水墨画にするのは、厨子の絵の青や黄色、厨子の漆や金細工が浮いてしまうことを考えると、私には理解できませんしね。

 生前の講演の録音をピックアップしたという音声ガイドは、当然ではありますが、ごく普通のおじさんの声でちょっと安心しました。
 私が東山魁夷を画集で見ていて苦手分野だと感じていたのが、水面に映る風景と、降る雪の描写でした。音声ガイドでは、真ん中に水面を引いて上下対称に書くことを、東山魁夷自身、一つ間違えば失敗する冒険として意識していたことが語られていました。私の目には失敗と見える絵も少なからずありますが。ただ画集で見ると実像と水面に映る影の色の差が少なすぎるように思える絵も、現物で見るとタッチの違いとかでそれなりに水面に見えました。
 降る雪は現物で見てもやはりダメ。雨が降った後の晴れた日にガラスに残った雨の跡の汚れのよう。積もった雪は上手なんですけどねぇ。

 講談社の画集は3巻組だし、ほぼ全作品を網羅してるかと思ったんですが、展覧会に出品されている絵でもない絵が割とありました。
 油彩と違って日本画の場合、筆跡とか絵の具の盛り上がりとかはあまりないから画集と現物で質感にそれほどの違いはないのかなと思っていましたが、けっこう違うなと実感しました。画集でけっこうドットが立っているのでこんな塗り方してるかなぁと思うところは、現物はシルクの陰影だったり画料の粉の凸凹だったりして、色が違うような感じはせずより自然に感じられたりしました。やっぱりまだ写真や印刷の技術が追いついてないんですね。
 「夕静寂」なんて現物で見ると全体に暗く樹の色合いの変化は少し付けられてはいるものの、見分けがかなり難しい作品なのを、画集ではかなりコントラストを付けています。絵としては画集の方がわかりやすくなっていますが、現物と印象がずいぶん違っています。

 若い頃は不遇で苦労したけど後半生は日本画の大家となり政府御用達画家の感がある東山魁夷。そのあたりはあまり共感できないんですが、山と樹を描いた作品の清涼感というか透明感は独特の捨てがたいものがあります。今度は「秋翳」と「青い峪」(北山杉の森を青で描いた絵)と「山雲」をガラスなしで見てみたいんですが。






最終更新日  2008年05月03日 13時49分55秒
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