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『呪い』を書き間違えてるのではなく、『祝い』で合ってたりする。
若きファラオ、『ツタンカーメン』のことでもなく、『妙な豆』の話やったりする。 昨日、いつものJA直営店まで買出しに行き、他の野菜と共に数種の豆を購入(笑) そら豆、絹サヤ、スナップえんどう(『スナック・・・』てのは『スナップ・・・』の一品種らしい)、 そして、うすいえんどう(所謂グリンピースね)の一種で『ツタンカーメン』って品種。 この豆は、生の状態ではうっすら紫がかった鞘で粒は普通のえんどう豆と区別がつかない。 それが、乾燥すると濃い紫になる。(大豆に対する黒豆の感じかな...) そして、豆ごはんにすると、炊き上がった直後は普通の豆ごはんやねんけど、 暫く時間をおくと、何処からともなく豆の色素が染み出して来て、 何時の間にやら、まるで赤飯みたいになるっちゅう、不思議な豆。 (せやから、『祝い』ってことで...) で、『ツタンカーメン』っちゅう、たいそうな名前の由来を調べてみると、なんかすごい。 英国の考古学者、カナー・B・カーターがツタンカーメン王陵を発掘した際、 副葬品の中から、当時のえんどう豆が見つかった。 このえんどう豆は、当時のエジプトで食用に栽培されていたものと考えられる。 (古代エジプト第18王朝ツタンカーメン王の統治は紀元前1358~1349年) カーターによって、発掘されたえんどう豆の栽培が成功し、その一部が米国に渡り栽培される。 1956年、V・イレーヌフアシスワース婦人から日本の大町武雄さんへ、このえんどう豆が数粒送られる。 (この大町武雄さんは、所属する「世界友の会・水戸支部」の活動として、 米国にサクラ・イチョウなどの日本固有種を送っっており、そのお礼として譲り受ける) これが、1960年代より知人を通じるなどして寄贈される形で、茨城→千葉→群馬の小中学校を経て、 1997年、群馬県立自然史博物館で群馬県内の小学校で栽培されたえんどう苗が配布される。 これが更に全国に広まったものやから、『ツタンカーメン』らしい。 小中学校から、どういうルートで農協の種苗販売ルートに乗ったのかは不明やし、 そもそも、本当にこの種から来てるんか、エジプト近辺の現存種から来てんのかは不明(笑) ま、種の由来は不明でも、話の種にはなるんで、一度食してみては?(爆逃) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
May 22, 2004 12:37:44 PM
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