トーク法の学び方の一つ 増補
さる会議に出席せざるを得なくなっている。 金銭にからむ交渉なので通常の会話など成立しようがない。 ”交渉”というものである。 元来関西で言うところの”しゃべり”と言う習性がいつしか身に付いている。 きっかけさえあれば発言したい、言いたいと言う性向と言えばしっくり来るかも知れない。 でも迂闊なことをいうと足下を掬われ不利を被ることになる。 そして仲裁人が介在するからそれに向けても自己の主張を理解してもらう必要がある。 と言って饒舌になることも出来ない。 簡潔にして要を得なければならない。 これが結構大変なのである。 責任が伴うからである。 営業職ならそれなりのトーク法を学んでいる。 それに長い時間をかけて編み出した自分なりの長所を加味した雰囲気を随所に入れてその人なりのトークとしている。 なるほど巧いしゃべり方だなと感心することがある。 紋切り型のトークではなく、イヤミでないその人の人柄が仄かに伝わってくるそれに感心するのである。 丁々発止の場ではそれが一種の”緩衝”となる 。 それが介在人のトークであればなお結構だ。 今回の介在人はまさにその役割を果たしている。 その人はもうすぐにも退職してゆくかのような年齢である。 私のような若輩の者にはその境地まで行けるのにどれくらいの修練なり、時間がいるのかと思うと一瞬、途方にくれそうになる。 余談はともかく人の気持ちを片時で和ませ、荒みがちな会議をすこしでも実りにあるものにしようとする姿勢を出来るだけ早く身につけなければならないと思っている。 出来れば、今の若い人に社会的基礎力というべき能力の一つ対人折衝力つまりコミュニケーション能力を目覚めさせればと思っている。 これは就職前には少なくとも身につけておかなければならないちからであるのだが...。 私はこんなことは常識として高校でも大学でも教わらなかった。 でもそれなりに意識して励んでいた結果身に付いていた。