作文は苦手でした
いつも長々と書いてて何を言ってるんだ、と思われるかもしれませんが、子どもの頃、一番苦手だったのが作文でした。
何を書けばいいのか、全く思い浮かばないのです。
自分の思ってること?そんなの空っぽだけど?っていう子どもでした。
それを克服する意味もあって、ブログ始めたっていうのもあります。
それと、一人でこんなに苦しんでるのに、誰にも知られないまま死にたくなかった、というのもあります。
どうにかして、自分が生きていたって証拠を残したいと思っていました。
そして書いてるうちに、思ったことを表現してもいいんだっていうのにやっと気づいたんだと思います。
書き始めた当時は、まだ進学するかどうかで迷ってた頃でした。
小学校の時、担任ではなかったけど、物事をハッキリさせるタイプの先生がいました。
その先生によると、作文が苦手な人は大学に行かない方がいい!(キリッ)
だそうです。
ああ、そうなんだ、なら自分は大学行けないかもってずっと思ってました。
テストで毎回のように100点取ってても、意味無いんだなって思いました。
作文はいつも、家に持って帰って、なんて書けばいいか親に聞きながら、一文一文、ひねり出して書いてました。
だからほとんど親が提案した文章でした。
自分の力だけで作文が書けたのは、「自分は作文が苦手だ」っていう内容の作文を書いた時です。
なんでこんなに書けないんだろう、何も思いつかないんだろうっていう自分の素直な気持ちが、初めて出せたんじゃないかと思います。
自分の中にだけ存在して、自分しか知らないこと。
それが自分の思いですよね。
自分の思いを、客観的に事実として書き出せたのがよかったのかもしれません。
普段は自分の思いをシャットアウトして、意識しないようにしてました。
いやいや、これは自分の思いとかじゃなくて、自分の頭の中で起きてる事実を客観的に見た結果ですっていう視点に立ったら、スラスラと書けました。
結局、自分を表現するのが苦手とか、自分の思いが無いというよりも、自分の思いや感情を出しちゃいけないものだとして、抑え込んできたんだと思います。
自信があるか無いかは、自分の意思を出せるか出せないかにも関わっていると思います。
自信が無い、と言っても大抵は意味がちゃんと伝わってません。
自信が無いとは、つまり自尊心が低いという意味であって、自尊心の低い状態というのがそもそも理解されにくい状態であり、プライドが高いと誤解されやすい部分でもあります。
簡単に言えば、強がりの反対の弱がりです。
全ての意識が、根底から真逆である、とでも思ってもらうくらいが丁度いいと思います。
ブログで初めて、自分の思いを書き出す手段を得て、そんで慣れてきたら、むしろ文章なんて止まりません。