幸福の王子ツバメは急いでいた。今年の秋は、早めに“わたり”を始めるはずだった。 しかし、昨日も寄り道をしてしまった。 海辺の街の夕日が、あまりに美しく、すべてを忘れさせてしまったからだ。 いけない、いけない、もう時間が無いぞ。 冬将軍はそこまで来ている。 誘惑を振り払い、一目散に旅立ちだ。 あの人に挨拶を済ませたら… ツバメは街の広場の中央にそそり立つ、高い台の上に立つ銅像の足元に止まった。 「やあ王子様、今年も寄らせてもらいましたよ」 銅像はこの国の100年前の王子だった。 「ツバメか。そろそろ通るはずなのに、まだかまだかと毎日待ちわびたぞ」 王子といっても、100年立っているので、中身はすっかり老人だ。 「それは申しわけございませんでした。つい悪い癖が出ちゃって遅くなりました。そんなわけで今年もゆっくり出来ません」 「ああ、いいだろ。顔が見れればそれでいい。元気そうだな」 「はい。あんまり先のことを考えていませんから、悩みが無いのが元気の秘訣です」 「そりゃあいい。お前がうらやましいぞ」 「王子にうらやましがられるなんて、嬉しいような馬鹿にされてるような」 「馬鹿にするなんてことはない。お前はほんとにうらやまし奴だ」 「へへ、じゃあ素直に喜ぼう」 「来年もまた寄ってくれ」 「はい。生きていましたら」 「なんと、縁起でもないこと言うではない」 「本当のことですよ。おいら達は死ねば終わりです。100年も変わらず立っていられる王子様とは違います」 「そうだったな。だが、100年変わらず立っているのも、案外つらいものなんだぞ」 「そんなもんですかね。それは、失礼しました。でも、何も変わらずに立っているってことは大変な価値ですけど」 「価値?立ってることがか?」 「そりゃあそうですよ。この国の人は、みんな王子様を愛して、誇りに思ってます。王子様がここに立っているからこそ、今日も元気に一日を過ごせるんじゃないですか」 「そうかあ…」 「そうですよ。―いったいどうしたんです?いつもはもっと浮世離れしちゃってるのに」 王子はすこしくらい表情で、 「うん。わしも最近、ちょっと悩むこともあってな」 「悩み?―似合わないなあ」 「わしが悩んで悪いか」 「あっすいません。でも何かあったんですか」 王子は搾り出すような声で言った。 「実はな、わしは、―みんなを幸せにしたいのじゃ」 「―し・あ・わ・せ?―みんなをって誰を?」 「だから、みんなじゃ。街のものみんな…」 「う~ん。それはとてもいいお考えですけど…いまのままじゃだめですか?さっきも言ったように、王子はこの広場に立っているだけで街の人の誇りになっていますけど…」 ツバメはそういいながら、長年掃除が行き届かず『ほこり』がたまっている王子を見てくすりと笑いそうになった。 「わしは、もっと直接、手を差し伸べたいのじゃ。はっきりとした形で」 「人助けをしたいんですね」 「そうそう、人助けをしたいんじゃ。困っている人を助けてやりたい」 「だけど動けないから何も出来ない」 「そうじゃ。それが悩みじゃ」 ツバメは空を見上げた。 雲の流れが速くなりはじめた。 「解りました王子様。ただ、おいら今はもう行かなくてはならないので、ちょっと時間がありません。何かいい方法を考えてきます。来年また必ず寄りますから、その時相談しましょう」 「そうか、引き止めて悪かったな」 「いえ、とんでもありません。何かお役に立てればよかったのですが…」 「そうだ、行きがけに一つ頼みごとがある」 「はぃ―?」 「お前は南に向かって飛んでゆくのだろ。実は南の方向に、貧しい洗濯婦が住んでおる。女手一つで幼い子を育てておるが、その子が今病気なのだ。だが金が無くて医者にも見せられん。看病しておると仕事も出来ん。まさにクビになりかけておる。不憫とは思わぬか?」 「はぁ?そりゃぁ、不憫ではありますが、おいらにはどうしようもありません」 「それが違うのだ。ちょっと待っておれ」 「何ですか」 ツバメが王子の顔を見上げると、水滴が落ちてきた。 王子の涙だった。 「わっ。王子!どうしました」 「今落とすぞ!しっかり受け止めろ!」 涙の後から、紫に光る石が落ちてきた。 ツバメはわっと驚いて避けそうになったのを、受け止めろと言われたので、必死でそれをくちばしで受け止めた。 カナブンぐらいの大きさの石だった。 「受け止めたか?」 「ふぁい。うけひょめまひは。これはなんでひゅは?」 口にくわえてるので上手くしゃべれない。 「わしの目に埋め込めれていたサファイアだ。それをさっき言った洗濯婦に届けて欲しい。それを売れば、あの子を医者に見せることも出来るじゃろ」 ホコリまみれの王子の像の目が、サファイアだったなんて全く気がつかなかった。 ツバメはぽっかり空いた王子の左目を見て、なんだか自分も涙があふれ出てきた。 「わかりまひた、しっかりとどけてまいりまふ」 「頼んだぞ。それから、―また来年、必ず会いに来るのだぞ」 ツバメは大きく頷いて大空へ飛び上がった。 行きがかり上妙なことに巻き込まれたと思いながらも、王子の心に感動していた。 洗濯婦の家はすぐに見つかった。 窓から子供を看病する疲労の色濃い母親が見えたから。 ツバメは、その窓にサッと飛び込み、母親の手に王子のサファイアを乗せた。 驚く母親に、事の成り行きを説明したかったけど、ツバメは人の言葉をしゃべれない。 とりあえずウィンクだけして、また窓から飛び去った。 あとで思えば、そのまま旅立てばよかったのだが、この出来事の余韻に浸ってしまった。 向かいの家の煙突に止まって、しばらく様子を見ていると、母親が出てきた。 大通りに出れば宝石商があるから、そこで換金すればいい。 旅立ちの前に、親子の喜ぶ姿を見てから行こうとツバメは思った。 ところが、母親の行く先は宝石商ではなかった。 ツバメは頭から血の気が引いていくような気がした。 「王子様~たいへんだ~」 ツバメは大声を上げて王子のもとに戻ってきた。 「おや、もう旅立ったとばかりおもっとったのに。どうじゃ、上手く渡せたか?」 「―は、はい―渡すには―渡したんですけど―」 ツバメは息を切らしながらも、なんとか説明した。 洗濯婦は宝石商には行かず、反対側の交番へ入った。 警官にサファイアを渡し、ツバメがくわえて来たのだと説明した。 警官は上司を呼び、上司は再び説明を聞き、そして部下にこの女を捕らえるように支持した。 驚く女に、縄がかけられ、奥へ連れて行かれた。 女の泣き叫ぶ声が響いた。 事の顛末を、説明すると、王子はぽかんとして反応が無い。 「王子様、いかがしました?」 「なぜだ…」 「―宝石は、女が盗んだんだと思われたんでしょう。盗んでから、処理に困って、ツバメが運んできたといううそをついてるんだと…」 「なぜだ…あれを売れば、金が入るのに」 「―貧乏人といえども、正しい心があれば、まず届けようと思うんじゃないですか―」 王子は混乱した。 しかし、急がねばならない。 「ツバメよ。悪いが、もう一度頼みを聞いてくれ」 「はぁ?」 「今行った洗濯婦の家の斜め向かいじゃ。足の悪い靴職人の老人がおる。昔は腕のいい職人だったが、今は体が不自由で仕事が出来ん、かわいそうな男じゃ。素奴にこれを―」 といいながら、王子はまた涙を流し、今度は右目のサファイアを落とした。 ツバメはそれをあわやというところで捕らえた。 「その老人が、同じように交番に届ければ、女がうそをついてないことになる、解ってもらえれば二人とも救われるじゃ」 「おうじさま、ひょれではおうじさまは、めがなくなって、みえなくなりまふよ」 「かまわん。早く行け。病気の子供を助けねば」 両目がぽっかり開いた王子の姿を見て、ツバメは何も抗えなくなった。 一目散に老人のもとに飛び去った。 老人は、火の無い暖炉の前でボーとしていた。 その顔は土気色で、表情が無い。 ツバメが手に止まっても気づかない。 くちばしで突っついてようやく気がついた。 手の上にサファイアを載せると、しばらく見ていた。 すると、だんだん顔に血の気が戻り、目を輝かせ始めたではないか。 急にすっと立ち上がり、悪い足を引きずりながら、外に出て行った。 ツバメは、大通りに向かう老人の後姿を見て迷っていた。 どうしよう、今旅立てばまだ間に合う。今行かないと、かなり、まずい― しかし― 結局ツバメは老人を追った。 後のことは後で考えればいいさ。 老人は大通りへ出た。 しかし、交番へは向かわず、宝石商のドアを開けた。 しばらくして出てきた老人の手には札束、そして満面の笑み。 「王子様―。たいへんだー」 「おうツバメよ。戻ってきたのか。で、どうであった」 目の無い王子の顔は期待に輝いていた。 「なぜだ…」 その期待に輝いていた顔が、怒りに震えだすのは数分掛からなかった。 「なぜだったって、王子様はもともとそれを望んでたんでしょうが。宝石をお金に変えて欲しいって」 「そうだったかもしれないが、今回は違う。拾ったものは交番に届けて欲しい」 「上手くいきませんねえ」 「上手くいかんが、それでは困る」 「どうしましょうか」 「わかった、こうしよう。わしの剣の柄にルビーが埋め込まれておる。それを…」 「ちょっ、ちょっ、ちょっと待ってください王子様。まだあったんですか宝石。でもダメですよ、もう日が暮れてきた。おいら日が暮れると見えないんです。鳥目なんです」 「おお、もうそんな時間か。じゃあ、明日、日が昇ったらすぐに行ってくれ、その先に母親を看病している子供が居る…」 「しっ!王子様誰か来ます」 ツバメはさっと王子の影に隠れた。 人影は、警官と縄をかけられた洗濯婦、そして同じく縄をかけられた足の悪い靴職人の老人、それと宝石商らしかった。 「この銅像の目に埋められていたものなのか?」 警官は尋ねた。 「はい、ホコリに埋もれてましたが、確かにこの両目に埋め込まれていたものです。私は商売柄知っていましたけど、よごれていて誰も気づかなかったと思います」 宝石商は応えた。 「たしかに目の位置に穴が開いておるのう。なるほど、あんな高い所じゃ誰も気づかんだろう、こんなお宝があったなんて」 警官は振り返って女に尋ねた。 「あんな高いところのもの、どうやって盗ったんだ」 女は目をむいて、大きく首を振った。 「滅相も無い。あの石が王子様のものだったなんて知りませんでした。だいいち私ではあんな高いところへ上れません」 警官はあごに手をやり頷いた。 「確かに、お前じゃ無理だ。―おい、老人お前はどうだ。上れるか」 「わしも無理ですじゃ。ご覧の通り、足が不自由です」 「では、誰か仲間が居るということだな」 警官はじろりと睨んだ。 「だから、違うんです。ツバメが勝手に持ってきたんです」 「そうなんです、信じてください。ツバメが、どういうわけか不意にやってきて…」 「もうよい、そんな作り話、誰が信じると思う。とにかく仲間の名を明かさない限り牢から出れないからな。 それから、宝石屋、他にこの像に宝石は残ってないか」 「はい、実は、刀の柄にルビーが埋め込まれています」 「なに?…」 警官はそれを聴いて口をつぐんだ。 そして、気づかれないように周りを見渡した。 人影がゆれたようにも見えた。 それから、黙って縄のついた二人を引っ張って行った。 「王子様。なんと老人も捕まってしまいましたよ。たぶん、あの宝石商が告げ口したんでしょうね」 「これで二人が、ツバメが運んできたと言っておるのに、あの警官、なぜ信用しない?」 「普通、信用しないかもしれませんね。そんな話」 「それじゃあ、どうすればいい」 「とりあえず、今は何も出来ませんから、成り行きを見守りましょう。何も出来ないときはほっとくしかないんです。明日になったら何か変わるかもしれないし」 ツバメは徐々に風が強くなってきた空を見ながら言った。 明日になったらとにかく旅立たねば。 もう間に合わないかもしれないけれど。 王子の懐の辺りに、ちょうどツバメがすっぽり入るくぼみがあったので、そこで寝ることにした。 どれくらいたったころか、物音で起こされた。 鳥目のツバメには見えないが、近くでぎしぎし音がする。 「王子様―。なんか変な音が聞こえますけど?」 「変な音は、たぶんわしの右手に掛かっているロープの音じゃろ。誰かが上ってくるようじゃ」 「誰かって、誰ですか?」 「解らんが、かなりいやな予感がする」 すると、今度は何かをたたく金属音がした。 「解ったぞ、誰かが剣の柄からルビーを取ろうとしておるのじゃ」 さっきの警官と宝石商のやり取りを盗み聞いた誰かがルビーを盗みに来たらしい。 「えっ―、どうしましょう」 「どうも出来ん」 音はだんだん激しくなり、だんだん乱暴になってきた。 なかなか取れないらしい。 王子が渡すまいと踏ん張っているのかもしれない。 すると、バキリと鈍い音がした。 「うっ、柄ごと折りおった」 ルビーが取れないので、剣の柄ごと折ったらしい。 その時、鋭い警笛が広場じゅうに響き渡った。 「ピー!ピー!こらー動くなあー!」 さっきの警官が仲間を引き連れ、回りを囲んでいた。 驚いた盗賊はバランスを崩し、ロープにしがみついた。 ところが今度は王子の像が、重さに耐えかねバランスを崩してしまった。 盗賊と王子の像と懐で寝ていたツバメがまっさかさまに落ちた。 王子の像は石畳に打ち付けられ、もんどりうった胴体が盗賊の上に落下し、盗賊はそのまま動かなくなった。 ツバメも逃げ遅れて王子の懐に挟まれていた。 いや、逃げ遅れたのではない。 ツバメは、落ちそうになった王子を必死に支えようとして、共に落ちてしまったのだ。 「ツバメよ、大丈夫か、怪我は無いか」 「はい、大丈夫です、怪我は、―よくわかりません。何の感覚も無いので。王子様は?」 「わしも、右手がどこかへ飛んで行ってしまったようじゃ」 体の半分がつぶれていた。 「すまなかったなあ、わしのために。わしに会わなければ、いまごろ南の国だっただろいうに…」 「何をおっしゃいます、おいらこそ王子様のお役に立てなくて…」 「みんなを幸福にしたかったのに、結局みんなを不幸にしてしまった…。この盗賊も、ルビーの話など聞かなければ、こうはならなかったろうに…」 「めぐり合わせです。そういう運命だったんですよ。自分を責めてはいけません。第一、おいらは王子様のおかげで幸福になれましたよ」 「えっ、な、なんと」 「だって、王子様がいなかったら、人助けをしようなんて、いままでこれっぽっちも考えたことなかった。―結局ダメだったけど。それでもおいらの心は少し洗われました。生まれてきた価値があったってことです」 「ありがとう。うれしいぞ」 「王子様は、やっぱり、―幸福の王子です。―おいら、あなたに、会えて、よ、よかった…」 それだけ言うと、ツバメは頭を胸にうずめて冷たくなった。 目の見えない王子もそのことはわかった。 ぽっかり明いた両目から、とめどもなく涙が流れ落ちた。 その後、王子の像は、すべて溶かされ、新しい王子の像に作り直された。 新しい姿で、また広場を見渡すようになった。 ツバメも、その時一緒に焼かれて、王子と一つになった。 そして、王子とツバメは、今日もみんなの幸せを祈っている。 |