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《 幸せのひろいかた 》  フェルトアート・カントリー木工 by WOODYPAPA

《 幸せのひろいかた 》  フェルトアート・カントリー木工 by WOODYPAPA

心・幸福・運命

〔所詮"損得"など取るに足らないことだ。幸運は人を幸せにしない。そこから学ぶものは何もないからだ。誰かに幸運の席を譲り、損な役割を進んで行えば、きっとその経験が人間を育ててくれる。神の管理下にありながら、自分だけ得をしよう、楽をしようなどと振舞えば、自ら成長の芽を摘んでいるのと等しい。死の間際まで、人は成長することが出来るはずだ〕



〔科学の発展は、知識の集積による。知識がなぜ求められたのか、という問題は、本来人はなぜ生きるかとか、どう生きるべきかという、哲学的命題が発祥である。つまり、人を幸福にするための方程式を探ってきたのだ。それが時には道を外れ、人殺しの武器を作り、猛毒を撒き散らす発電所を造ったりしてしまった。科学は人を幸せにするためのものだと言っても、何をもって幸せというかが解ってなければ、目的地のない冒険旅行のようなものだ。道に迷って白骨になるだけだ。世の中には科学の進歩を拒否する“アーミッシュ”のような宗教もある。彼らの幸せは、科学では得ることが出来ない〕



〔指の長さが違うのは、違うだけの理由がある。適者生存の進化論に寄れば、指の長さが違っていた人間だけが、環境に適応したということだ。5本の指がそれぞれに同じように役に立っているとは言いがたい。よく働く指と、普段は怠けている指とがある。しかし、それはまったく問題ない。一本一本の指に存在意義があり、それぞれが貴重なのである〕



〔僕の読書は、無分別に読み散らかして、書き散らかして、次々違う本をめくってしまう。さっぱり身にならなくて辟易(へきえき)している。読んだ本すべてを覚えて、活用できていたらどれだけ素晴らしい人物になったであろうか。知の燃費が恐ろしく悪い車だ。それでもこうしてブログに残し、一緒に成長してくれる人がいれば、読んでいる価値はあると信じたい〕



〔無茶走りを推奨しているわけではないが、不幸にして転んでしまった時は、一生懸命走ったんだからしょうがないや、と痛みに耐えろ。失敗はしたけれど、一途に突っ走った自分は、いとおしくもある。石に躓いたり、壁にぶつかったり、人生って面白いではないか〕



〔人間はこまかく見ればすべてが違うが、大雑把にはおんなじだ。仮に、人間を食す捕食動物がいたとして、その目で見ればみんな一匹のえさでしかない。えさ同士が、ああだこうだけなしあっていがみあっている意味がない。人を評価する必要などない。まして裁くなどというのは神様のすることだ〕


〔言葉には"言霊(ことだま)"という魂がこもっている。言葉を発した当人が忘れていても、受け取った側に魂が宿ってしまうこともある。宿った魂が、何十年も住み着いて、影響を与えることにもなる。だから、澱んだ言葉、汚い言葉は極力発しないほうがいい。一言一言を大切にして、受け取った側に清々しく伝わるように心がけなければならない〕



〔学歴社会は、体面を整えるための、世間体社会である。価値観が多様に移りながらも、どこかで世間体というものに固執している。社会を形成する上では、みんなが同じ常識に縛られているほうが安全かもしれない。しかし、社会の常識と個人の幸せにはずれがある。今を生きている人間は、常識に縛られないそれぞれの幸せを感受していいはずだ。本当の個人向けの幸せを考える時、世間体は除外して、今、手の中にある幸せを大事にしなければならない〕



〔自殺未遂をして、後に幸せに巡り会ったとき、本当に生きていてよかったと思う。「命ありがとう」という気持ちだ。でも、"死"に取り付かれている時は、他の選択肢など思いつかない。その時は、"絶望"という病気に罹っている。誰かの手で救ってやらないと、あり地獄のようにどんどん吸い寄せられていく。まず、解ってあげてほしい。そして油断なく見守り続けてほしい〕


〔こんなに頑張っているのに、なぜ誰もわかってくれないのだ、という心の苦悩が僕の精神を破壊した。壊れたのは精神だったが、異常が表れたのは体だった。眠れず、心臓が締め付けられ、嘔吐した。苦しみから逃れるには、死ぬしかないとまで思った。

それが、人を助けることで、生き甲斐となり、心が解放されるという発見をした。振り返れば、運命的な出会いであった〕


〔自分がしてもらいたいことを(自分がしてもらいたいから)人にしてあげる、ということではない。人に尽くすこと自体に"愛"があるのだ。見返りを求めず、愛を捧げることで、幸せとやすらぎを得ることができる〕




〔心のやすらぎを得るためには、"許しの壁"を越えなくてはならない。誰かを憎んだり、恨んだりしていては、自分の心は永遠にやすらがない。誰かにこだわっているということは、過去の自分にこだわっているということだ。すべて過去の怨念は忘れ、すべての人を許し、そして自分をも許すことが、まずしなくてはならないことだ〕



〔真の意味の自己中心の考えでよい。自分を愛すればこそ、人にやさしくできる。自分に対する不安がある限り、他人に対する猜疑心はぬぐえない。自分を他人の攻撃から守ろうとすれば、必然、他人は敵になる。すべての人に愛の気持ちで臨めば、他人に怯えることもなくなる〕



〔同じ風景であるはずなのに、心の持ち様で違って映る。今まで見えなかったものが、ある日見えるようになったりする。人の見るものには、心のフィルターがかかっている。美しい心のフィルターを通せばすべて美しく見えるし、醜い心のフィルター越しには、汚れた景色しか映らない、真っ黒のフィルターをかければ、何も見えない〕



〔誰かのお役に立てるということは、素晴らしいことだ。神様のミッションに応えていることになるから。それが僕のこの世に生まれてきた理由だから。具体的に助けてあげることができなかったとしても、愛を捧げること自体に価値がある。他人を思いやることで、自分の心も救われるのだ〕



〔今を生きている人にとって、大切なのは、今しかない。過去の出来事は、時と共に浄化され、今に還元される。しかし、その過去はすべて消えてしまうのだ。今しかない。今のことを考えればいい。今この時の、幸せの手触りを感じよう〕



〔過去の重荷を背負っているのなら、すぐ捨てなさい。過去の失敗や挫折の鎖を引きずっているのなら、ここで断ち切りなさい。今の自分は過去の自分ではない。毎日毎日人は生まれ変わる。新しい自分が誕生している。大切なのは、生まれ変わった今の自分の心〕



〔人は常に分かれ道を選択しながら進んでいる。ここにたどり着いたのは、自分が選んだからだ。それを悔いている人もいるだろう。道を誤ったと。しかし、過去の選択を後悔しても、何の得にもならない。どれだけ夢を描いていたか知らないが、後悔の念が、現在の幸福を見逃してしまう原因なら、ばかばかしいことだ。後悔している内容の価値は、どうせくだらない見せ掛けだけのものだろうに〕



〔最後に心が残るなら、捨てて惜しいものなどない。心があれば、幸せを感じることができる。捨てたくない物や金や地位が、せっかく手にした幸せをないがしろにしている。執着しているものがある限り、欲望と別れることはできない〕



〔愛のために生きるは、精神ではなく実態である。心にやすらぎがほしいなら、執着を捨て、感謝をしよう。自分を不安でがんじがらめにしているのは、猜疑心あふれる自分自身だ。幸せになりたいのであれば、手の中の幸せに気づけばいい。今ある幸せをかみしめればいい。神様は、すべての人に幸せを配っている。状況に惑わされずに、愛の心ですべての人に接すれば、自分の心はどんどん昇華されるだろう〕

"愛"と"許し"が幸せの扉を開ける鍵である。

人は一生涯、日々成長する。自己変革には、柱になる考え方が必要である。

学ぶ姿勢をやめたら、心の成長も止まってしまうのだ。



〔うつになるほど自分を追い込んだ経験があるのか、ということでもある。闘うことがいつも解決策になるとは限らない。適当に身をかわす術も会得することを勧める。大切なのは、自分自身の人生であり、個人の幸福である。

うつという危機に直面して、防衛策を身につけることになる。それが現実的に人生を楽しむこと、幸福になることに直結することになった。〕



〔うまくいけば出来るし、状況によっては出来ない場合もある。イスラムの言葉で「インシャラー」(神の思し召しのままに......なるようになるさ)〕



〔まず今の自分を“全肯定”することが大切。それによって、過去の苦悩、挫折、失敗、不運がすべて正当化されるのである〕



〔ストレスに対する過剰反応が、自身の体を攻撃し、うつになる。世の中のことはすべて神様が段取っているのだから、極端に心配することはない。問題は具体的に対処すればいい。抽象的な悩みは、問題の解決には向かっていない〕



〔社会生活の中のストレスは、ほとんどが人間関係である。無人島で生きるなら、こんな苦労は要らない。ストレスの対象となる人間に、意識を奪われるからストレスになる。「色即是空」、ストレスの主を意識の中から消してしまえば、なにも恐れることはない〕



〔追いかけているのか、追いかけられているのか、われわれは強迫観念の中で生活している。自分を苦しめているのが、自分自身だったと気づくためには、距離を置いて自分を見てみなければわからない〕



〔欲望の虜になった姿が、見栄である。物事の判断を、見栄に振り回されて下すことほど、愚かなことはない。他人を意識した自己満足など、真実の目で見れば何の価値もない〕



〔人間だもの、いろいろあるさ。マイケル・サンデル教授は"正義"について論議を行い、旋風を巻き起こしたが、そもそも正義などというものは、矛盾に満ちた絶対的なものではない〕



〔人生、最後は帳尻が合うように出来ている。待てば甘露の日よりあり。人間万事、塞翁が馬〕



〔厳しい冬を迎え、花を散らし、葉を落とし、すべてを捨て去ったとき、本当に大切なものが残り、新しい芽が息吹き始める。後になってわかることだが、それが自然の摂理なのだ〕



〔心の病にしても同じである。体の健康に問題が発生すると、心も折れてしまうものだ。体を治すのは心だし、心を守るのは体だ〕



〔自らの力だけで立っていると思うのは驕りである。見えざる力の加護に置いて、人は生かされている。悠久のいにしえから続く現在のすべてに、感謝を捧げなければならない〕



〔目の前の人を、少しだけ、幸せにするという思いが大事。それ以上の思いは傲慢であり、相手からの見返りを要求するものにもなる〕



〔新たな辛い状況は、過去の辛い状況を乗り越えた経験が軽くする。経験が心の筋肉を鍛えてくれるトレーニングなのだ〕



〔自然界の動物は、危険が訪れれば避ける行動をとる。危険から逃げるための仕組みが、ホルモンの分泌である。本能に従って行動をすれば、生命の安全は保たれる。従うべき行動に逆らって踏ん張るから、神経が混乱するのだ〕



〔生まれてきたからには、生きなければならない。生きていれば、生命体の使命は達しているのだが、人生を生きるとなると、もう少し何かが必要になる。それが何であるかによって、人の価値も変わるし、幸福かどうかも違う〕



〔日々、目の前に起こる出来事を楽しめれば、人生の達人である〕



〔万物は流転する(ヘラクレイトス)。ゆく川の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず(鴨長明)。

己の人生と、その時代を振り返って、最後の審判の日に、何を思うのだろうか。

人の力では抗えない、大きな流れの中で、自分を信じて、身を任せ流されて生きるのが、うつを遠ざける良い生き方だ〕


〔掃除をしている自分、笑っている自分、感謝をする自分を、自分で認める。そうやっている自分に喜びを見出せるならば、幸せの扉は開きます〕



〔あなたがこのストーリーの主役です。すべての共演者、シナリオ、舞台、衣装、音楽、...はあなたのために用意されたものです。物語は必ずハッピーエンドになりますから、最後まで見てください〕



〔この世のあらゆる物は、神様が用意してくださったものです。全て何かの意味がある。あなたは試されている。ひとつひとつの謎を解くには、時間がかかります。時間をかけて、ゆっくり解きほぐしてください〕



〔毎日を、より多くの「ありがとう」を言うゲームにしてみよう。「ありがとう」を言うタイミングをいつもねらって、うまく言えたらワンポイント。たくさん言えた日は、楽しい一日になります〕



〔社会の問題を考えることはいいことですが、悩んでもしょうがないことは棚上げしましょう。自分の役割を把握したら、任せる人に任せて、あなたの大事な時間は、あなたの楽しみに使いましょう〕



〔現在の自分を認めることができれば、過去に関わりあったすべての人を認めることができます。今の幸せを体感できれば、過去の全てに感謝することができます〕



〔人生の目的は"幸せ"になることです。お金や地位や名誉がそのための手段だと思われていますが、それは間違いです。幸せになるには、あなた自身以外のものは何もいりません。あなたが今持っている"幸せ"に気づけばいいだけなのです〕



〔自分のことは、自分では良くわからないものです。自分の顔を肉眼で見ることができないのと同じです。自分の顔を見るためには、鏡を見ます。その鏡に当たるのが、他人の目です。他人の目に映った姿に、自分の本質が隠れています。いろんな人にいろんな角度から見てもらって、だんだん分かってくるのです。中には不本意な意見もあるでしょうが、違うと思ったら無視すればいいし、そう見られたくなければ、反省して自分が思われたい方向に努力すればいいだけです。鏡だってゆがんだ物もありますから。なんとなく自分も納得できて、心に負担がない生き方ができれば、それがあなたの姿なのです〕



〔神様は、全ての人に幸せになってもらいたいと思っています。それを信じて、素直に自分の幸せを確認すればいいのです。人それぞれ幸せの形は違います。だから、人と比べたり競っていては、自分の幸せを見失ってしまいます。何か嫌なことがあっても、それは神様からのメッセージなのではと考えて見ましょう。あなたの周りには、いいことがいっぱいころがっています。それをしっかり自分の喜びにしましょう〕


〔幸福になるための必要条件は"考え方"である。自分を幸福にする考え方をもっていなければならない。それには、人を責めない、自分を責めない、固執しない、感謝する、今を大事に生きる。幸せになる生き方がすなわち、うつを遠ざける生き方であった。

反対に、うつになるような考え方が不幸の元凶になっていると言える。

うつ病患者は真面目な性格の人が多いという。真面目すぎて、反省しすぎて、自分を責めすぎてしまう。過去の失敗にとらわれてしまう。将来の不安を考えすぎてしまう。それがすべて苦悩になり、脳を狂わせる。

もしかすると、真面目に修行に打ち込むあまり、うつ病になってしまう修験者が多かったのかもしれない。

その苦悩の後、悟ったうつ回避の方策が、幸せを得る方法でもあったということか〕


〔充分健康でも、不幸な人がいます。

傍から見て気の毒なほどの病気を抱えていても、幸せな人もいます。

病気になると、欲望を満たせないということで、不幸を感じますが、それは判断基準を“欲”の目盛りで計るからです。

自分に与えられた、今持っている“幸せ”に目を向けてください。〕



〔人間の成長には、インプットとアウトプットのバランスが重要です。

未知のものを探求して、新しい知識を得たら、それを体内で昇華し、新しい自分を外に表現して初めて自分のものとなります。

どんどん経験をして、人と語り合って行動に移してこそ、進化した自分にめぐり逢えるのです。〕



〔病気には、体の何処かの部分が悪くなって、それが原因で不調が現われている“器質的疾患”と、原因を決められないけど不調が現われる“機能的疾患”とがあります。

医者は、臓器や器官に異常を見つけたときにその部分を処置をしますが、まだ異常がはっきり限定できない場合は「しばらく様子をみましょう」としか言えません。

そんな状態でも、不調を和らげ、快方に向かわせる方法があります。

それが"言葉"です。

“言葉”は“言霊(ことだま)”であり、魂(たましい)が宿っています。

言葉による癒しを活用すれば、たとえ原因不明の不調でも、自身の力を蘇らせることによって、患者を救うことができるのです。〕



〔人は感情に振り回されます。

時に感情が爆発して、過激な行動に出てしまうこともあります。

その時に主義・主張を掲げると、自制が利かなくなり、思わぬ暴走を起こすことにもなりかねません。

国家主義、民族主義、選民主義…

そんな時の主義・主張は“悪魔の扇動”なのだと覚えておきましょう。〕



〔人の知恵など、しょせん神のまねごと。

大切なのは、“心”です。

テクニックなどではなく、純粋に心のそこから、人に優しく出来るようになりたいものです。〕



〔相手の立場を思い過ぎると、自分が損をしてしまう気がするものです。

でも、相手の気持ちを深いところから理解できないと、問題の解決は生まれません。

衝突はお互いの不利益です。

人生は勝ち負けではありません。

みんなが幸せになる方法に、みんなが近づいていきましょう。〕



〔なぜ希望を持てないのか。

不安に眼を向けるからです。

私たちは“偉大な力”に生かされているのです。

じたばたしても仕方ないこと。

自分は計り知れないおおきなサイクルの中で、幸せになるべく生きています。

素直な気持ちでそれを信じましょう。〕




〔同じ環境だと、同じ考え方に縛られてしまうかもしれない。

新しい環境に身を置けば、新しい自分が芽吹いてくる。

自分の中には、もっといろいろな可能性が秘められています。

新しい自分に逢う楽しみを得たければ、過去に固執してはいけません。〕



〔民族・国家の衰退の原因は、成功体験を踏襲しようとすることにあります。

役人国家がすべて没落するのは、前例主義に偏るからです。

行き詰まりを感じたなら、思い切って逆に舵をきってみるのも打開策です。〕



〔僕たちの体はDNAの設計に従って出来ています。

DNAは個人だけでなく、すべての生命の存続のために、あらゆる仕組みが出来ています。

過去からのバトンを未来へつなげるために、現在の自分がいます。

そして、それを成功させるために、地球上の全生命が助け合っているのです。〕



〔僕は昨年まで、30歳年長の義父を介護しつつ、30年後の自分と向き合っていました。

寝たきりで、話すこともままならぬ、オムツ姿の義父を見て、自分の最後もこうなのかと暗澹となりました。

いうことを聞かない老人の気持ちは、自分が老人にならないと解らないものなのかと虚しくなった時もありました。

でも、今はもう一つの進む道が見えています。

健康を学び、心を磨き、感謝の気持ちを忘れなければ、きっと違うステージに進めるはずだ。

義父を介護することで、僕は神様から、学習する機会と時間を与えられていたのです。〕


〔今の自分があるのは、すべて過去の経験の賜です。

数々の失敗、恥ずかしかったこと、迷惑かけたこと、弱くてずるくて怠け者の自分が果たせなかった後悔の山。

すべてがいつしか栄養となり、現在の僕がいます。

そして僕は今、自分を幸せであると認定することにしました。

そうすることで、過去の負の出来事が熟成して、幸せな人生の基盤になったと思えるのです。〕


〔僕の精神がどん底で苦しんでいた時もそうでした。

僕さえこの状況に耐えれば、会社や家族は助かるのだと思い込んでいました。

自分に対して、随分ひどい仕打ちをしてしまいました。

自分の行為が、周りに理解されていないと感じたとき、精神は砕けました。

“自己犠牲”は美徳と考えられています。

仏教でもキリスト教でも、崇高な行為とされています。

しかしながら、自己犠牲の精神が、問題の解決を阻む場合もあります。

あるいは、自己憐憫に酔いしれる欺瞞的感情である場合も。

自分の人生劇場は、自分が主役です。

神様の用意した舞台で、主役は必ず成長できるのです。

そのためには短所も含めて、今の自分を素直に認めて、自分自身を100%愛することが最優先です。

そして、同じように他人も愛すことができたとき、幸せが訪れるのです。〕


〔危ないことは何事もなく、平和な人生をまっとうする人もいるかもしれません。

でも多くの人は、長い人生で困難な状況に遭遇することがあるものです。

中には、災厄のごとき危機的状況に見舞われてしまう人もいます。

生命の危機に見舞われること、あるいは自ら生命の崖っぷちに身を投げ出す寸前に追い込まれる人もいます。

それを試練として乗り越えた時、初めて解ることがあります。

その時に、宇宙(かみ)の声が降りてくるのです。

人生において、最も大切にしなければならないことが。

そして、自分の前に、自分がこれから選ぶ生き方が、一条の光に照らされ、はっきりと解るのです。〕


〔"うつ病"にならないタイプの人というのが、失敗の原因を他人や環境に転嫁できる人です。

つまり失敗を自分で受け止めないタイプの人は、うつ病にはなりません。

無責任で、ちゃらんぽらんで、嫌なこともすぐ忘れられる人はうつ病になりません。

うつ病を回避するという基準なら、そういう人は優れた人と言えます。

逆にうつ病に対し劣っている人というのは、几帳面、真面目、責任感が強い、努力家、思慮深い、正義感がある、我慢強い。

おおむね仕事ができて、思いやりがある人ですが、うつ病になりやすいという観点から判断するとダメな人なのです。

仕事ができるなんて、所詮人と比べてのことで、絶対的価値ではありません。

自分の力を過大評価しないで、逃げることも覚えましょう。〕


〔宇宙が誕生してから、永遠に時間は流れていくと考えられていますが、あなたの時間はあなたが死んだ瞬間に止まります。

あなたの時間はこの世に限りある、ダイヤモンドよりも貴重なものなのです。

人の幸せは、時間があってこその幸せです。

この宝物を、ぞんざいにしていいはずがありません。〕


〔「人事を尽くして天命を待つ」ということもありますが、何もしなくったっていつかは”神様”が決めてくれるものです。

焦って混乱してあがいたために、深みにはまって事態を悪化させてしまったってこともありました。

思い込みの”わく”を外すには、まず深呼吸です。〕


〔自分が幸せになろうと利己的行動をとると、必ず後ろめたさと更なる欲求が残ります。

目の前の人の幸せを考え、利他的行動をとると、神様から充実感がもらえます。

自分の損得は微々たるものですが、他人への奉仕の機会は無限です。

個人の正義などは狭い基準でしかなく、幸せとは結びつかないものです。〕


〔辛いとき、悲しいとき、憤っているとき、苦悩しているとき、とにかく無理にでも”笑顔”を作ろう。

笑っていると、どんな苦労も楽しくなってくる。

楽しくなれば、試練の意味も見えてくる。

笑っていれば、心と身体の免疫力が上がってくる。〕


〔人の心と接触すると、必ず裏切られます。

本当は、自分の傲慢さが反転して自分を打ちのめすのです。

どうしてわかってもらえないんだろうという苦悶自体が、思い上がりなのです。

すべてを受け止め赦す覚悟がなければ、人の心に触れてはいけません。〕


〔自分は正しい、間違っていない、と胸を張ってもその場だけの決め事。

世の中には千の理屈と、万の答えがあります。

人の心を傷つけることは、人の寿命を奪うこと。

尊大な振る舞いは慎み、いつでも誰にでも、思いやりを持てるようになりたいものです。〕


〔あなたをこの世に招いた神様は、あなたに金持ちになれとか社会的名声を得よなどというミッションを与えてはいません。あなたが幸せな人生を送ることだけが、あなたの使命なのです。〕


〔『ドラゴンクエスト』のような”ロールプレイングゲーム”は結構複雑なからくりが仕組まれているのですが、やっていることは単純なことの繰り返しです。人生の困難にぶつかったら、これはレベルを上げるための試練なんだと思って、繰り返しを楽しめば抜けられます。〕


〔仕事の成功は、社会とのつながりで生まれるものなので、必ずしも”絶対”とは言えません。目指すべきは、誰かに認められようとするよりも、自分を幸福のステージに乗せる、心の安定ではないでしょうか。〕



〔人生の喜びは「成功体験」にあります。

物事がうまくいくと、脳が幸せホルモンに満たされるので”快感”が生まれるからです。

大きな成功を目指すと、果てしない時間がかかるので、なかなか快感に結びつきません。

幸せな日々を望むなら、日常生活の中に”小さな成功(決め事)”を用意しておくと、そのつど喜びが生まれ、毎日幸せでいられますよ。〕


〔人は、言葉によって、動物から人へ進化しました。

言葉で考え、言葉で悩み、言葉で喜び、言葉で自我を築いたのです。

だから、言葉はその人自身なのです。

自分の望む姿を求めるなら、言葉は選ばなくてはなりません。〕


〔「感謝」は、「許容」であり、「安定」であり、「成長」です。

すべてを許し、受け入れなければ本当の感謝はできません。

しかし、感謝をすることで、不満は静められ、心は修まります。

そして、神様の試練を乗り越えて感謝をすることで、次のステージへと進めるのです。〕


〔人の損得勘定で計ると、物事は矮小化します。

神様の目で判断すれば、人にやさしくすることは喜ばしいことです。

自分の欲を満たす喜びなどたかが知れています。

自分が与えた人の喜びを、自分の喜びに変えていければ、喜びは無限に広がるのです。〕




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