第1回「イージーライダー」
第一回は「イージーライダー」いつ見たのかは正確に覚えては居ませんが、「映画」というものの概念を、それまでのものと根本的に変えてしまった作品です。あくまで僕個人の体験としてですが。手元の資料では(一応年表は用意しましたが、作品を見直している時間はないのであしからず)1969年の作品になっていますが、「文芸座」に上がるのは何年か経ってからなので、僕的には「70年代映画」でOKです。映画界にとってもいろんな意味でこの作品は衝撃でした。でも、それ以前の映画製作環境がどうであったかなど映画オタク初心者の当時の僕に知りようもなく、ただただ「自由」を求めてチョッパー(あの前輪シャフトが無意味に長い、ハンドルが曲がったバイクです)で疾駆するヒッピーがかっこよかった。それに、ステッペン・ウルフの曲『♪ボ~ントゥビワ~~イ~♪』だよ。かっこいー。「自由」という言葉は、いつの若者も反応する。「自由」を求め憧れ羨望する。じゃあそんなに不自由だったのかといえば、はて?でもその「涸渇感」が青春の証だったんだなぁ。良かったなぁ、むきだしで。しかし、僕はバイクの乗りたいとも、旅に出ようとも思いませんでした。ラストシーンに、心が固まってしまったのです。キャプテンアメリカのバイクの前輪が煙と共に転がっていく…。この「心の塊」がほつれるにはしばらく時間が必要でした。そして、ぼくの志向するところは「映画」そのものへ向かっていくのでした。しかし、ピーター・フォンダとデニス・ホッパーとジャック・ニコルソンですよ。その時は誰がなにやらまったく知りませんでしたけど、後追いで考えれば凄いメンバーですよね。ジャックなんてこのときはたぶん新人だったと思いますが、今や「一本の映画ギャラトップ」のギネスホルダーですから。何の映画でそうなったかはクイズです。ピーター・フォンダはヘンリー・フォンダの息子で、ジェーン・フォンダの弟。ジェーンの名前は「ウーマンリブ」の闘士として知っていました。日本でもありましたねえ「中ピ連」とか。時代を感じますねえ。ジェーンと父親ヘンリーはそれが故確執が生まれ、後に和解してうまれた作品が「黄昏」です。ピーターは村上龍の「だいじょうぶマイフレンド」というひどい映画に、年老いて力が出せなくなったスーパーマンという役どころで邦画出演もしてますが、この時は殴ってやろうかと思いました、村上(怒)。