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カテゴリ:家族
亡き父のこと Part4
父の赴任した今市中学校は、県内でも指折りのマンモス校だった。 人数が多い分、不良ッ子も多かった。自分の古巣みたいであまり苦にはなら なかったようだ。両手はいつもはれていた。今ならPTAが大騒ぎだろう。 校内では、日教組の先生との対立が激しかったようだ。 日教組の先生が増えつつあり、父は大きらいだった。 日教組の先生は、自分が大学をでているくせに、生徒には学歴不要論を語り 、優秀なのに中卒で働く生徒がでてきた。これには怒った。 今市中学校には11年在籍した。私は別の中学校。 ちょうど私と同年齢ぐらい年齢層にあたり、中学時代になぐられた話を友人 達からよく聞かされた。 柔道部の顧問として、よく練習はしていた。県大会で優勝したこともあっ た。酒はかなり飲んだ。 父は、中学校教諭の世界の狭さに嫌気をさしていた面もあった。 校長教頭から見ると、ずぬけて破天荒な父は扱いが難しかったのだろう。 気の合う校長の時はよかったのだが。 年と共に病気がちになった。椎間板ヘルニア、糖尿病。 昔からの不摂生がたたったようだ。 兄が大学卒業。弟がコックの修行に入る。妹は高校生。 私が大学卒業して宇都宮の設計事務所に就職した年の5月に力尽きて亡くな った。病名は喉頭ガンだった。51才だった。 これから楽になるというときに、又育ててくれた恩返しがこれからという時 に亡くなって、なんともやりきれなかった。 私は49才になり、父の亡くなった年に近づいている。 父の分まで我々兄弟は生き抜かなくてはと思っている。 当社のhpも見てね ←ブログランキングに参加しています。ポチッと押してご協力 お願いします。現在、すまい・不動産部門で110位です。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2007.04.28 11:14:52
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