テーマ:今日の出来事(295651)
カテゴリ:歴史
謎の大寺・薬師寺
歴史はくりかえすという。歴史を知らなければ、人間 の同じ間違い同じ試行錯誤を繰り返し、発展がそれだ け遅れたり、のっぴきならない事態になったりするだ ろう。 私は歴史から学ぼうというわけでもないが、歴史が好 きで興味津々なのです。 栃木県の歴史の中で、ひときわ大きな存在が謎の大寺 ・薬師寺である。 時は8世紀初め。 律令政治が始まって、仏教を国家宗教として着実に定 着させるために律令政府は「戒壇」を設けた。 寺院や僧侶が毎年増加するに従って、国家の管理下に 置く手段として「戒壇」を取り入れたわけです。 しかし、仏教の急速な普及は、「授戒」など正式な手 続きを踏まないで僧侶になる「私度僧」といわれる僧 侶を生み出した。 8世紀の民間私度僧の最大の人物が行基である。 行基は668年河内国生まれ。 法相宗を日本に伝えた道照に師事し、栃木県の薬師寺 で法相教学を学んだ。 行基の弟子は千人とも言われ、彼らを引き連れて畿内 をはじめ諸国巡りをして、行く先々で橋を架けたり道 や堤を作ったりなどの社会事業を行った。 各地に布施屋と呼ばれる無料の宿泊施設を設けたり、 田を開き道場を建てて民衆を教化した。道場は畿内だ けで49カ所もあったという。 民衆からは熱い支持を受けていたが、朝廷から見ると 勝手なことをしている不埒者ということになる。厳し い弾圧を加えられる。 それでも行基人気は衰えなかった。 743年に東大寺に大仏が建立されることになると、 朝廷は資金集めに行基の力を利用することになる。 弾圧の対象だった行基は一転して大僧都に任じられ、 宗教上の最高位にたったのである。 仏教を国家宗教にするためには、僧尼や寺院を国家の 管理下に置かなくてはならない。大化の改新以来国の 施策で、すべての寺院に対する経済援助は天皇が行う ことにしたり、大宝律令の中で、「僧尼令」で僧尼の 罰則規定を事細かに定めている。 「僧尼令」に基づいて政府はたびたび取締に乗り出す が、私度僧を一掃することはできなかった。 これが1300年も前の話なのである。なんだか現代 と変わらないと思いませんか? ●起業して会社経営を楽しむ ●建築士から見たユニバーサルデザイン ●古民家再生プロジェクト ●健康住宅は健康家族から ●犬はかわいい ●お父さんの株が上がる住宅リフォーム術 ●建築はおもしろい 当社のhpも見てね ![]() ←ポチッと押してご協力お願いします。元気の源です。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2007.04.02 11:27:48
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