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翔建築設計の所長日記

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yoshiki@ Re:●建築家のお仕事(634)竹内日祥上人の講演(01/21) はじめまして私も2000年から竹内日祥上人…
2009.08.24
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カテゴリ:研修会
久しぶりに一円会の例会に参加した。
忙しさのため、ずいぶん欠席してしまった。

この烏山研修は見逃せないので、朝から1日掛かりの研修に参加
した。

二宮尊徳翁が、桜町で仕法を展開していた時に、天保の大飢饉
で凶作となった時があった。尊徳翁は、現筑西市や烏山で困窮
した民衆を救済した。

烏山では、半年もの間、6坪の仮小屋12棟で延べ11万2千人もの
窮民を救済した。

それを切っ掛けに、財政破綻寸前の烏山で仕法を展開したが、藩士士
族の反対に会い、1年で頓挫してしまったという。農民1万人に対して
藩士は260人弱。
頓挫の理由はというと、桜町でやっていた分度を実施したところ、
藩士にうまみがない。そりゃそうだ、財政を立て直すため倹約して支出
を止めるところから始まるわけだから。農民に利があって、藩士に利なし
と判断したためだそうだ。

財政再建を推し進めた家老菅谷八右右衛門は追放されてしまった。
また、精力的に改革を推し進めた立役者である天性寺の円応和尚も
領内の発展に尽力したが、疫病に感染して亡くなった。
改革推進派の藩士は左遷され、お寺も別にされてしまった。

烏山藩は財政難が深刻になり、頓挫3年後にまた仕法を開始したが、
改革の勢いは戻らなかった。財政難の中、尊徳翁からの借入金返済
もされないまま仕法は終わってしまった。

財政再建の難しさと失敗実例を学ぶことができる研修だった。

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山あげ会館に到着。烏山報徳会の大金会長と合流。

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天性寺門前のお救い小屋跡を視察。

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天性寺。那須の与一の那須6代の墓もある由緒あるお寺。

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円応和尚の墓。

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菅野八郎右右衛門の墓。東京に子孫が健在。

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那須家6代の墓。

007.jpg
福田製紙所。烏山和紙は有名だが、現在では和紙製造所はここ
1件だけになってしまった。烏山和紙は鎌倉時代から製造されている。

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和紙で作った照明器具。

009.jpg
和紙会館。

010.jpg
東力士の島崎酒造。予約制で、見学・試飲ができる。

011.jpg
どうくつ酒造見学。戦時中、戦車の組み立て工場の目的で掘られたが、
結局使われることはなかった。島崎酒造が借り受け、日本酒の
ビンテージ物を保存することに使っている。洞窟内は年中気温17度に
保たれている。
012.jpg
ここでコンサートも行われる。保存されている酒は20年物が
もっとも古いそうだ。


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Last updated  2009.08.24 16:35:11
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