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カテゴリ:大好きな事
丸山城を後にした私達は再度、国道113号線に出て、一路金山方面へ…。 そのまま国道を走って行くと、見えて来ました!!
政宗公が15歳で初陣を果たした土地である丸森町は金山地区です。 更に道なりに進むと
看板が見えて来たので、ここを左折すると金山城下の名残がある場所がありました。更に上って行くと金山城の全体図が描かれている看板を発見!
ちょっと分かり図らいですね~。ごめんなさい…。がくり…。 この看板から更に上って行くと入り口があるんです。
登り口!?登りだとぉ~!!! 山の上にあるのである程度は覚悟をしていますが、少々嫌な予感がします。
嫌な予感を抱えつつも、上の方にある(はず)の金山城跡地に向かって登り始めたくまごろう達。 当たり前の山道なんですけど、丸山城同様、獣道の方が近いですね~。しかも昨日まで雨が降っていたのでぬかるんでいる所があって大変でした(笑) 登りは鬱蒼とした草木と蚊とクモの巣との戦い~(笑) しかし、登っても登ってもなかなか目的地が見えなくて、所々跡地の看板があったり、神社が祀られていました。
しかし、ここで思わぬハプニングが…! なんと、ここから先に進めないんです!
どう頑張っても無理!絶対、無理!! 先に進めな~~~~~い!という事で泣く泣く諦め、一旦車まで戻り、違うルートである金山神社から登る事にしました。
この先から登れるという事なので、再度チャレンジ!! 金山神社に御参りしてから、気付いたのですが…、屋根についている家紋が、
なんと…
伊達家の家紋の一つである「九曜紋」ではございませんか~~!! 感動しちゃったよ~! しかし、ここからも鬱蒼とした草木とぬかるんだ山道しかなく登れなくて断念しました…。 どうしても合点が行かないので再度ふるさと館に戻り話を聞いてみると… 「今の時期は草が生い茂って登れないんですよ~!春のお祭りの時は下刈りをするので登れます!」と観光客をどうでもいい扱いの返事だったわ~! っていうか、きちんと管理していないよ!!丸森町!!! これだけ歴史的重要価値があるのに何故に蔑ろにするのかな~。 白石市を見習ってほしいわ~。 さて、ふるさと館に戻る最中、わき道にはいったら「瑞雲寺」という「金山城主・中嶋家」代々の廟所があるお寺を発見! あ、瑞雲寺の写メ撮っていなかった…。 この瑞雲寺からも金山城跡地が良く見えました~!
ちゃんと御参りをして来ました~!廟所は瑞雲寺の後ろの山にあります。
廟所からも金山城跡地が良く見えました。
ここでもふるさと館に記載されていた金山城について紹介します。 金山城は天文の乱に敗れた稙宗が隠居している時、相馬の家臣である藤橋紀伊の手で築城され、稙宗没後にこの地一帯が相馬氏の勢力下に置かれました。 その後、伊達勢の「中嶋 宗忠・宗求」親子が金山城を攻め落とした功績として金山城が与えられた。 中嶋家は明治維新まで15代まで続いたそうです。 今回は殆どが山登りだったのでエライ目に遭いましたよ…。 汗だく…。 またひろ氏が草が生い茂っている道を歩いている最中、ずっと「兵どもが夢の跡~」と奥の細道の一句を読んでいました!(笑) どうでしたか~?第3弾は~! まだまだ続く予感がします!
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Last updated
2007.07.08 23:22:52
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