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カテゴリ:読書記録
きのうの神さま あとがきを読むと、映画『ディア・ドクター』を撮るにあたって僻地医療の現場の取材をしたときの、いわば映画こぼれ話ということらしいです。したがって、映画の原作ではありません。 短編ですが、どれも舞台はのどかな島だったり田園風景が広がるところだったり、日本の原風景という感じです。ほとんど医療関係の話ですが、巻頭の「1983年のほたる」だけ田舎町の少女とバスの運転手の話でした。これだけ読んでも、「う~ん、うまいなあ」と唸ってしまいました。 一之瀬時男は村の寄り合いになんか来ない。村の中に友だちもたぶんいない。一之瀬時男は、バスを降りたら夜の間じゅう、ずっと一人であの古びたプレハブの中にいるしかない。わたしは一之瀬時男が苦手だった。週に何度か、夜中にひっそりと村に入ってきて、朝方出て行くまで、あのいやになるほど長く静かな夜を、一之瀬時男が一体どんなふうに過ごしているのかを考え始めると、それはまるでひどく深くて、真っ黒な沼の中に頭を突っ込んだような感じがして、何だかとても、とても怖くなるからだった。 引用してみましたが、これだけでは伝わりませんね。 よそ者である年上の男、しかも毛深いときている男性に対して小学6年生はシビアです。彼のことを「一之瀬時男」と突き放して呼ぶところが、すごく効果的です。 おそらく映像作家であるからでしょうか。西川さんの文章は、道具や人物をセットの中に並べて書くのではなく、そこにある風景を映し出しているという感じがします。嘘くささがないのです。でもただ素直なのではなく、切り口が鋭くて、人物の心情を予想もしない角度から捉えようとするのです。無駄な冗長さが少しもなく、表現する言葉選びが的確です。みごとです。 もしかしたら、今生きている作家の中で、もっとも優れた文章家なのではないかと思えます。もちろん自分が目を通していないすごい作家さんはたくさんいるのでしょうけど。私が知る限り、と言えばいいのか。 ストーリーとしては物足りないと言う人が多いかもしれません。もっと読んでいたいのに、席を立たれてしまったという感じです。だからすぐ次の章に移ってしまいます。でも終わってしまいました。ああ。 優れた文章とは何かと問われれば、何度読んでも飽きが来ない、再読したくなるものと思っています。なぜ飽きが来ないのかと考えてみると、説明ではなく、言葉そのものに魅力があるからだと思います。西川さんの文章はまさにそれが言えるでしょう。 ぜひ、中学か高校の教科書に載せて欲しいですね。やたらにレベルを下げるだけが「ゆとり教育」ではないはずです。あ、そんなものとっくに破綻してましたっけ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2009年10月12日 17時37分43秒
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