2009/11/16(月)00:07
キャンプの様子
これが、私たちが、ネイティブと時間を共に過ごした、キャンプの様子だ。
アースダンスのダンサーたちに見習い、
私たちも、そこに滞在中は、断食で過ごした。
おおよそ、一日半(2泊)。
食事をしないせいなのか、
なんだか、とっても、沢山の時間があったような気がする。
やることは、踊ることと、スエットロッジだけ。
後は、移動もないので、キャンプ地で、ゆるゆると過ごした。
キャンプ地には、大きな樹があり、
そして、広々とした広場もあった。
大きな樹の陰でくつろぐひとときは、
何にも代えがたい、平穏な、平和な一時だった。
写真で見ると、この木の大きさがわからないかもしれないけれど、
人間が小さく感じられる、素晴らしく大きな木なのだ。
時差のせいなのか、
断食のせいなのか、
着いて早々、睡眠時間も、食事時間も、めちゃくちゃ。
頭が、ぜんぜん働かない、集中力がでない、
しょっちゅう、物をどこに置いたかわからなくなってしまう。
つまり、
しょっちゅう、物を失くして、また、出てくる。
失くすだけでなく、きっと、また、見つかるところが、
なんだか、可笑しかった。
ある時は、私は、お気に入りの腕時計をどこに置いたのか、
失くしてしまった。
おおよそ、12時間ぐらいも経ってからだろうか、
そう言えば、顔を洗った、あの共同のキッチンに置き忘れた。
と、思い出し、その場所に行ってみると、
何事もなかったかのように、時計は置きっぱなしになっている。
こんなところで、フィンドホンを引き合いに出すのも、変だけれど、
その感じ、なんとな~~く、フィンドホンの感じに私の中では、似ている感じがするのだ。
その安全な感じとか、
旅先なのに、家に居るような感じとか。
風が語りかけてくる感じとか、
樹に守られている感じとか、
植物や動物、自然がいつもより、ずっと、なにか、語りかけてくる感じがある。
そんな中で、私が、メッセージのように受け取ったことは、
ただ自然や、樹や、パワースポット、聖地、があるのではなくて、
人が、そこに働きかける、
人間の役割みたいなものがあるということ。
人の意識、愛、思い、が、その場の波動を上げている。
ただ、セドナという土地があるだけでなく、
そこを聖地として、
大地を敬い、守ろうとするその意識が、
その場所を、特別な場所に創りあげていく。
フィンドホンの創始者の3人も、初期のころ、
土地に愛を鋤きこむように働くように、
ガイダンスを受けていた。
その土地が、もともと、特別であるのも、そうなのだろうが、
人が、そこに、働きかける、その役割も、大きいのではないかと思った。
だから、彼らの祈り、敬いを学んだなら、
私の日常の場を、サンクチュアリにするために、
私の生きている、その場所で、実践することが、大切なのだ。