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テーマ:今日のこと★☆(103980)
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半年前くらいから、毎日毎日「早くバッテリーを変えろ」というアナウンスが表示されていた。パソコンの起動がどんどん遅くなって、途中でフリーズしたりしていたがだましだまし使っていたが、とうとう電源が入らなくなった。
バッテリーの注文に量販店に行くのが面倒で、あと一日もう一日と日延べしていたが、屋っと先週の日曜日、30度越えのマ昼時に出かけてきたが、購入してから7年以上は経過しており買った当時のバッテリーはもう製造中止だという。違う型番のバッテリーが使えるかどうかメーカーに問い合わせるので待ってほしいということで一週間もたたないうちに入荷したとの連絡が入った。 7月中旬過ぎに姉が住む北海道に旅行に行くので、スマホからガラケーに変更しているので、航空券に予約や宿探しなどをするにはやっぱりパソコンが必要で、今日のお昼時は34度越え。でも、早々日延べもできなくなっているので、冷凍庫から凍り始めたペットボトルをもって自転車で15分。このたった15分を自分に課すことができないことから、一か月半以上はパソコンが使えなかったのだけれども、パソコンがないからと言って日々の暮らしに何か支障があったかと言えば、NO! である。FB も ブログも見ればそれなりに情報を得られるのだけれども、葉っぱの切れ端のような情報をいくらたくさん仕入れたところで、何か自分の中に新しい何かが生まれるかと言えばそんなことはない。 情報量が多いからと言って、その情報を自分なりに組み立てて利用できなければ何の意味もない。 私の仕事である看護についても、40年以上前の看護学生時代には本当に看護に関する情報は教科書以外にはあまりなくて、看護雑誌もあるにはあったけれど経験のない学生がすぐに使いこなせるようなものはほとんどなかった。経験も知識もないものがいくら考えても考えても何も生まれてこない。実習で患者さんの前に行っても、何もできない。それ以前に自分の親兄弟や親せきの人以外の大人とそうそう接していないので、患者さんの病室のドアをノックするだけでも勇気がいて、患者さんの前いにっても挨拶以外の言葉をかけることができなかった。 看護師になって現場で働くようになると、やらなければならないことは山ほどあって、こんなにすることが沢山あることに驚いた。 今の学生や若い看護師にはほんとうにたくさんの情報が用意されていて、看護ケアに対する知識や技術に関する情報は探そうとするだけでたくさんのものに接することができる。でも、悲しいかな、世の中にいくら情報があったとしてもその情報を集めて自分なりに整理加工できないと全く無意味になってしまう。 うろ覚えの情報は全く役に立たない。脈拍測定時の指の当て方とか、血圧計のマンシェットの巻き方とか。自分の力で自分の体をうまく動かせない人の血圧を測ろうとしているのに、腋を閉じている人の腕に直接マンシェットをまこうとしてうまく巻けずに数分間も右往左往している。できなければそばにいる看護師に聞けばいいのに、尋ねるということをしない。 私だって、患者さんを前にして迷うことが少なくなってきたのはここ十年間ぐらいであることを思えば、自分のものにするまでには長い時間がかかることなのだとは思うが、情報の量以前の課題があるように思えて仕方がない。 切れ端のような情報を集めるより、長編小説を読むとか、思想の本をじっくり読み自分のとっての意味を落ち着いて考える方が大切のような気がする。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2018年07月01日 23時28分35秒
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