カテゴリ:島・岩
石垣島へ
鍾乳洞 波照間島へ 高那崎 集落の家々の石垣 島の最南端 ニシ浜の夕方 ニシ浜の朝 。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。 波照間とは、果ての「うるま」(=さんご礁)という意味だそうです。 旅の最初、那覇空港から、小型のプロペラの付いた飛行機に乗って、与那国島へ飛んだのですが、プロペラが回り始めたときの音が、太平洋戦争の飛行機の音に思えて仕方なく、 なんともいえない気持ちになりました。やはりそこが、沖縄だからなのかと思いました。 わずかの間で、写真に撮れませんでしたが、飛行機の窓から、すぐに見えたのが、 海にまるく浮かんださんご礁でした。 それより10日から2週間くらい前の昼間、うとうとしていて、夢うつつでした。 夢の中で、カラーの写真の冊子をめくっていると、青い海にまるく浮かんださんご礁の写真が鮮やかに目にとまり、「私は島だった」という言葉が浮かんできました。そして、次の頁は、映像は浮かびませんでしたが、「島になる」という言葉が浮かびました。 そのときは、ナンだろう?と思いました。 夢で見たときの映像の方が鮮やかでしたが、飛行機の窓から見えたのが、そのときのさんご礁かなと思いました。 夢うつつで浮かんだ言葉は、さんご礁のつぶやきだったのでしょうか? 波照間島の集落の家々の石垣のそこかしこにあった石碑や石標には、「石敢當」と書かれていました。 ウィキペディアによれば、日本では沖縄や鹿児島県に多い、T字路や三叉路などのつきあたりに設けた魔よけで、中国が発祥だそうです。 由来は、中国の後漢代の武将の名前とか、名力士の名前であるとの説の他、 石の持つ呪力の石神信仰に由来するという説もあるとのことです。 由来は、イシカミや、イシジンかもしれないと思えました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
January 10, 2009 05:16:01 PM
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