2021/03/11(木)15:23
東日本大震災と阪神淡路大震災
最高気温18度、最低気温11度の予報です。
暖かいですね。
出窓の温度は18.6度あります。
サンルームは窓を閉めていますので、もっと暖かいみたいで、ライはずっとサンルームに置いているベッドで寝ていました。
風がないので、暖かいのかもしれないですね。
でも、明日からはしばらく雨が降る予報です。
今日は朝から、東日本大震災の事をテレビで言っていました。
いまだに心に傷を負った人たちが多いことか。
それを聞くたびに、私も涙がいっぱいになりました。
大地震の事を思うと、その前の1995年に起きた阪神淡路大震災の時の事も思い出しました。
平成7年1月17日。
平成9年の1月に再就職をしたので、その2年前だったと覚えていました。
また日にちは私の初めての子供の生まれる予定日が1月17日でした。
1995年は娘が9歳、息子が7歳。時が経つのは早いです。
その日は、まだ小学2年生に、幼稚園生。
主人が単身赴任で早朝に出かける時だったので、用意をしていて、地震速報が流れ、ニュースで関西だと聞き驚いたものでした。
関西で遠いのに、早朝に揺れがあり、すぐテーブルの下に潜りこんだ記憶が残っています。
その後、主人は京都に留まり、数年復興にかかわっていました。
(国土交通省の嘱託員として会社にいました。要するに出向ですね。)
1年目は新幹線も通っておらず、飛行機で通っていて、月に一度しか自宅に帰ってこれなかったです。
あの時、ずっとテレビにくぎ付け、火が襲ってくる事態をじっと見ていました。
その後、2005年の3月20日、福岡西方沖地震、娘がちょうど大学に入学して、大学に行かなくてはならない日だったので、電車も不通になり、仕方なく、福岡市まで私が車で送っていきました。
帰りも迎えに行って、大変だったことを思い出します。
東日本大震災の時も、テレビをずっと見ていました。
大きな船が港に打ちあがる様子なども見ていました。
車も飲み込まれ、恐ろしかった。
主人は佐賀県に、娘と息子は福岡市にいました。
たった一人家でいた私はやはりテレビから目が外せなかったです。
その後、息子は福島に会社の研修所があるので、行きましたが、
山間部だったので、あまり関係はなかったみたいですが。
余震などがまだまだ続いていたので、心配でした。
地震や、災害、洪水の多い日本。
ほんと我慢強い国民性だと思います。
ガンバレ三陸。
ガンバレ日本。
昨日撮った写真です。
こっちを向いていますね。
午前中は、サンルームにずっと寝ていたライ。
サンルームにいても、安心して落ち着いているのですよね。
ほんと外に猫が来ても怖くないのかな。
明日は主人が大腸がん検査の日です。
今朝から食事を検査食にしています。
食べていいものと、食べてはいけない物が決まっていました。
病院によって違うのですね。
私が検査した病院は、簡易食が用意されていて、それを食べましたが、主人がかかっている病院は自分で作らないといけないです。
朝食から夕食までレシピを考えて作ります。
お弁当も考えて作りました。
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ぽちっとね、いつもありがとうございます。励みになります。
娘から昨日連絡があって、全国で流れる某会社のCMを作っているそうです。
期限が決められていて、意外と大変らしく、頑張ってほしいです。
相手会社ともリモートでやりあっているみたいです。