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カテゴリ:この頃思う事
昨日〇オンへ日用品を買出しに行って、何時もの様に買い物の 前に書店へ立ち寄り、読みたいと思っている本は田舎町の書店には まだ無い様だ。 ではアマゾンさんで。
先ずトイレットペーパーも買うのだが、大きいものは最後にと細かいものを カートに入れて、色々見て回ると一時間は過ぎていた。 すると何となく足が軽く痛み出し、今度は健常足のふくらはぎまで重くなり、 とうとうカートにつかまり状態になり、又レジを済ませて早々に帰ってきた。
この前から健常足のふくらはぎの筋肉痛の感じなのでサロンパス の様なものをバンバン貼っているが、全然改善を感じられない。 この前リハでその事を言うと、「半年以上サポートしてきたので 疲労状態だから今度は右足を休ませて上げてください」と言う。
普通、ふくらはぎサイズは両手の輪を通すとかなり余裕 で通るが、確かに今は一番太い所でひっかかってしまう。 昨日もお風呂でよくマッサージもしたが、やはり休ませる方が良いのだろう。 何だか次から次と具合悪い、心がポキンと音がしそう。 で・・・結局トイレットペーパーは買い忘れトホホ
私が買いたかった本の著者の本で、別の本は有って、ザット立ち読み していると、著者も病気ではなく死の寸前を体験したと、つまりそれほどの 極限を体験すると人生観や性格まで変わって、何が来ても怖くない、 恐れないと言う肝が出来ると、まあそう言う内容だった。
私もそれに近い経験をしたが、確かに人間何時命が亡くなるか分からない もので、資産家夫婦事件、グアム島の事件、ロシアの隕石等は全くの全く予期せぬ 事で、命を落とさねばならない。 今ってそう言う時代なのでしょう、しかし江戸時代だって、(切捨て御免)と、 普通に暮らしている人が突然武士によって殺される。 何時の世もそう言うものかも知れない。 私はまだ「何で私が・・・」と言う思いがあるので、肝どころか怖さが有る。 この「何で私が」が取れた時には小さいながらも肝が出来ると思う。
そう言うと夢も希望も無い話だが、これもある面では運も作用していると思う。 先日亡くなられた柴田とよさんの様に長寿の最後まで頭と心を働かせ、本まで 出され、そう言う幸運な晩年を迎えられる事も又運だろう。
私も若くはないので、明日が確実にやって来るとは言い切れない。 だからせめて、私が暮らしやすい生活に切り替えつつで、多くを持たない。 持っている物を大切に、数少ない家族や他人様に喜んでもらえる行動を 暮らしのマニフェストとしている。 しかしこれって実に結構難しい。
先日のリハで理学療法師さんが、「いつも私好みの服を着て来られる が、何処で買うのですか」と「えっ!こんなの良いと思って下さるの?嬉しい」 と言う会話「実はね、このブラウス600円よ」。やはり30代の若い療法師さん、 「ウッソ!」の連発。 「これは年2回隣町で開かれる大きなフリーマーケットで買うのよ、良ければ 開催の時お知らせすましょうか」と言うと凄く喜んでくれた。 でも私はフリマの服でもかっこいい・・・と言ってくれた事って嬉しいな! 数少ない衣類なので、手帳に出かける時着て行った服のイラストを 書いておく。
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Last updated
2013.02.19 11:50:48
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