What Is House?
実は俺、そんなにテクノとの関わりは言うほど深くないし長くない。これは軽いカミングアウトだ。最近「91年病」を名乗って「あの時代」を熱く語る俺だが、実際の所俺自身はあの時代、そういう「現場」的な場所にいなかった。 ストーン・ロージズやジーザス・ジョーンズが出てきた89年、俺は18歳。ロッキン・オンを読んでいた絡みでその辺のロックは「まあまあ聴いている」程度には手を出していた。だからあの時代を体験していたというのは間違いないと思うし、91年には東十条の学校に通っていた関係で「ビートUK→新宿のVirgin」という流れは確立していた。時には新宿や渋谷のシスコで12インチを漁る程度には「あの時代の音楽ファン」をやっていたのは本当だと思う。 ただ俺は当時まともな(充分な給料の)バイトをしていなかったから買えるレコードには限界があったし、なにより俺はテクノ好きとして致命的なことにクラブに行くという発想がなかった。それは金銭的なものもあったし、酒も呑めなかったし、その手の文化(場)に対する敵意もあったし、自分の容姿に対するコンプレックスもあった。だから俺は当時肝心の「ダンスミュージックを本来の意味として感じる」という体験をしていなかったわけだ。コレは今でも悔いている部分。 テクノを本格的に聴き始めたのはやっぱり90~91年ごろだと思う。ソレまではテクノポップとテクノの区別が付かないレベルで、多分その差が解らないまま語感の面白さから「ハードコアテクノ」に手を出したのが本格的にのめり込む切っ掛けだったはずだ。その前から808やKLF、ディー・ライトとかくらいは聴いてたけどね。勿論ハウスだかテクノだか理解してないレベルでね。 同じ頃プライマルのScreamadelicaやヒプノトーンの2ndが出て、シェイメンもアルバムが出たり、ジーザス・ジョーンズも2ndの頃か。とにかくロックもそういう流れだったじゃん。で、ハウスとアシッドジャズもあんまり境界が解ってなかったからウェラーの再デビューシングルも「ハウスっぽい」とか全く理解してない発言したりね(笑)、とにかく当時はまだそういうレベル。 で、本格的に解ってきたのは多分92年以降で、そこから丁度電気が本格化し出すでしょ、その辺が指標になったよね。それで95年くらいまでは結構一生懸命色々聴いてたはず。エイフェックス・ツインやハードフロアを知ったりね。ハードコアテクノがジュリアナで俗っぽくなってた頃で丁度良かった。 何が丁度良いって、ここで電気が「テクノ専門学校」ってコンピを出すんだ。コレが色んな面から丁度良かった。まず前述した俗っぽいハードコアからの脱却。トランスやアンビエントは頭良さそうに見えたし、それからワープが提唱してた筈の「家で聴くテクノ」っていうコンセプトはクラブに行かない俺にとっては免罪符だった。 ところがここでOasisの2ndが出るんだ。そしてクーラ・シェイカーのデビュー、OCSの復活。そして重なるようにエイフェックスのVentlinに俺は決定的な嫌悪を抱く。コレで一気にテクノ熱が冷めた。丁度その頃友人のバンド(現在のthe MDK'sの原型)に誘われて60年代のロックとかにも回帰しつつあったから、そのまま俺は「ロックドラマー」に戻ってしまう。 だから今度はこのくらいの時期の所謂ビッグビートには乗れずに来てしまうのね。ビッグビートって言葉さえ知らなかった。デジロックとかさ(笑)そういうレベルで。ケミカルのDig Your Own HoleはOasisの流れで聴いたけど。あとはプロディジーか。そんなもんだな。電気は継続して聴いてたけどね。ファットボーイ・スリムとか殆ど興味持たなかったんじゃないかな。マッシヴ・アタック買ってもピンと来ないで放置とか、そういう時代。 どうやってまたテクノに戻ってきたのかな。勿論90年代に好きだったものは時折聴き返したり、電気やプライマルは相変わらずだったし、そういうのはあったけど。2000年代前半はずっとロックだったんじゃないかな。 もしかしたらURのA Hi-Tech Jazz Compilationだったかも知れない。コレで久々にテクノの素晴らしさ、美しさを思い出した。いや、むしろ「美しい音楽」としてのテクノを再発見したのかも知れない。2005年かな。翌年ジミー・コーティが絡んだって言うTransit KingsやSystem 7の「火の鳥」が出て、この辺でまた完全に「テクノもロックも全部あり!」に戻ったんだと思う。 その後はもう、順調に来てそしてこの夏、潜伏し続けていた91年病が完全に発症する。あとはもう、治癒の気配はない。俺はもう踊り続けるだけだ。それしか生きる道はない。