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沖の千鳥の陸あそび

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蒼鰻@ Re[1]:はなみ 1(04/08) takahasiさん >また、誘ってください …
takahasi@ Re:はなみ 1(04/08) いろいろ、ご心配おかけいたしました ま…
蒼鰻@ Re:友達失ってないよ(笑)(04/19) Rちゃんさん >ずっと、ずっと良い仲間で…
Rちゃん@ 友達失ってないよ(笑) 冒頭から驚いちゃいました ずっと、ずっと…

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蒼鰻

2006年05月06日
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カテゴリ:旅行
ゴールデンウィークである。家族持ちの私は家でダラダラという訳にはいかない。
しかしながら予定も立たず、日ばかりが迫り半分諦めかけていたのだが、何とか宿泊先の予約も出来て出発に漕ぎ着けた。

今回も史跡めぐりがメインになってしまう。昨年のGWは岡山、前々年は会津の史跡めぐりであった。
娘も中学3年になって自我が芽生え、親の言うことに従順にならなくなっている。それをさほど興味も無い史跡めぐりに素直に付いて来なくなるだろう時期であるが、今回は付いて来た。

今年は岐阜・名古屋を旅することにした。
今年のNHKの大河ドラマは「功名が辻」でそれに倣ってという訳では無いのだが、結果そういうことになってしまった。一昨年の会津の旅も大河「新撰組!」の年であったのでやはりミーハーのオッカケなのかも知れない。

午前8時過ぎ ゆっくり出掛けたのがいけなかった。渋滞が甚だしい。
最初の目的地 関が原に着いたのは午後12時ころだった。

歴史は好きなのだが、時代限定で幕末が好きで、他は戦国・第二次世界大戦の本をよく読んだくらいだ。が、実際に戦国時代の史跡に立って記憶を辿るのだが、怪しいものである。
石田三成陣跡の笹尾山で色々な表示物を観て「あぁ!そや!そや!」「そうかぁ!そうやったんやぁ~」と思い出すのである。ある意味 実地の復習と考えればよいのだが、あまりに頼り無い記憶力に情けなくなったりする。

天下分け目の合戦がこの地であった。
北国街道・中仙道・伊勢街道が合流する関が原は想像よりも狭いと思った。小高い山が迫り、笹尾山・桃配山が対峙するように在る。松尾山は横から睨む様に在り、南宮山は桃配山を背後から襲うように在る。この地形で徳川方の陣形を観ると決死である。石田方は必勝であろう。
毛利の不動と小早川の裏切りが無ければ、明らかに徳川は負けていただろう。
戦さは戦力・陣形だけで無いのが良く解かった。

空撮

根回しと調略が裏切りを生み、作戦が覆るのであろう。
笹尾山に登りながら、三成がこの山を登ったり、降りたりする姿。島津隊が一直線に家康の陣に突っ込んで行く様を想像すると、歴史を知り、その場に立つのが如何に楽しいかを実感させてくれる。

三成陣地 笹尾山
笹尾山
歴史民俗資料館で沢山の資料やDVDを購入し、近辺の史跡を観て回った。

次の訪問地は迷ったのだが、思い切って郡上八幡まで足を伸ばすことにし、車を走らせたのだがまたもや渋滞がはげしい。

郡上八幡に着いたのは午後5時前。昼食もまだである。
とにかく食事を!ということで、飛騨牛ステーキを食した。やわらかい、とろける、美味である。腹と気持ちが落ち着いた。

郡上八幡城へ向かったが、すでに閉館時間を過ぎていたのである。
山内 一豊の妻「千代」は郡上八幡城主 遠藤 慶隆の二女 と言う事で、この地では「千代」の里をキャッチフレーズにしている。
司馬作品「功名が辻」の千代との出目とは違うようだが、千代自身の出生が不確かなようで、内助の功や、鏡の裏に隠した十両も諸説があって、架空の話も多々あるということなので、深く追求しようとも思わない。
千代

郡上八幡は山間の城下町という森閑とした落ち着いた風情が素晴らしい。四方を山で囲まれ、川の合流点の小高い丘に立つ郡上八幡城の景観がとても好風景である。街のそこ、ここから湧き出る自然水に舌鼓を打ちながら歩くと都会では味わえない安らぎを感じるのである。

夕映えの郡上八幡城
郡上城


この日の宿泊地は岐阜なのでゆっくりしていられない。車を急がせる。
ぎりぎりに予約した岐阜グランドホテルだったが、恐らく岐阜では最高のホテルのようで、皇室の方々も宿泊されているようだ。
家族もホテルの雰囲気に大満足のようで私も安心した。






Last updated  2006年05月06日 15時34分35秒
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