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カテゴリ:読書
河井継之助がこの世を去って140年になる。
10年以上河井継之助ファンを続けて来てはいるが、新潟から遠く離れた関西在住と言うこともあり、頻繁に河井継之助に関連する史跡めぐりや行事に参加することもままならず、時に疎外感を感じることもある。 それでも今年は何とか長岡・只見へ行く事が出来た。 計画が進むにおいて、再度 河井継之助トレーニングを始めた。 出発の3・4ヶ月前から、既読の書物を再読することにした。 司馬遼太郎の「峠」「英雄児」稲川明雄「河井継之助 立身は孝の終りと申し候」安藤英男「河井継之助のすべて」 また関連本として奥羽越列藩同盟や会津戦争の本も再読した。 いよいよ決行、長岡へ。 以前、2度行った時にはまだ無かった記念館が出来ていて、そこの館長を稲川明雄先生が勤めておられる。 稲川先生のことは知り合った河井継之助ファンの方々から色々と話を聞いていたので、お会い出来るのが楽しみだった。 実際に会った時、あれほど嬉しいことはなかった。 お話を聞かせてもらうことも出来たし、サインも頂き、とても心地良い空気は発しておられる期待どおりの人柄で一層喜びが増した。 翌日、只見の墓前祭にも先生は来られ、同じ時間を持てることに幸福感を感じるのだった。 帰宅後も長岡で購入した。稲川先生の新刊「河井継之助」と「長岡城奪還」中島欣也「愛憎河井継之助」を読了、以前から持っていたが未読だった安藤英男「塵壺」も読了した。 この半年、河井継之助漬けになって、歴史認識も変わったし、継之助に対する考えも変化してきたように思う。 また、現地を訪ねることで、新しい発見と前回とは違う感慨もあった。 中でも只見では地元の方とふれあうことで、土地の風土が醸す人情や人間性が、人になす行いに、人の心の動きが読み取れたような気になり、歴史の中にキラメキを残し、その光が今の自分の目を見開かせたような感覚にもなるのだった。 塵壷には、河井継之助の人間味あふれた心情や想いが滲み出ていて、ほのぼのとした想いにさせられる。 河井継之助を取り巻く人々が接する情景を推し量ると、いろんな書物で描かれる河井像とは少し異なる表情もうかがえる。 悠久山の三島中州が撰した河井継之助の碑文の「君、怒りて、まなじりを決すれば、人よく仰ぎ視るなし・・・」などを読むといかに河井継之助が厳つい強面で、容易に人を受け入れないひとのように思わせるが、家族に宛てた手紙や妹の安子を心配する様子や「ますや」のお嬢との遣り取りは優しさに溢れている。 河井継之助が決し、踏み切った長岡戦争。 勝利と敗北、また勝利。そして負傷の上の敗走。 長岡における大きな被害と犠牲、そして怨嗟の声。 只見で迎える終焉までの村の人々の河井継之助に対するいたわり。 河井継之助を通して幕末・戊辰戦争をいろいろと考え合わせると、いつまでも、未だに薩長史観が拭われていないのに憤りを感じる。 取り立てて片側の薩長を批判しても仕方ないのかもも知れないが、河井継之助に埋め込まれた思想で歴史を観ると薩長に私利を感じざるを得ない。 歴史を究明するには出来るだけ前後のスパンを広げ、達観することで、その評価をすべきかも知れない。 しかし、一人の人物を通して歴史を観る事が、歴史の真相に近づけるのではないかとも思えてくるのだ。 この半年、河井継之助に首まで浸かる気持ちになって、歴史の妙に気付きが訪れるような想いになった。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2008年09月04日 23時26分17秒
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