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11月になって3日は貴船・鞍馬。6日は高梁。13日は奈良と紅葉を求めて出掛けているのではあるが、満足がゆく紅葉が観れていない。
仕事中の車で流れていたラジオ番組のアンケートで関西のNO.1紅葉スポットを視聴者に問うたところ、奈良の談山神社がトップに挙がった。 談山神社?・・・行ったことが無いので早速ネットで調べてみた。 近鉄 桜井駅から7kmほど離れた山に在り、さらに山道を抜けると飛鳥 石舞台へ行けるコースがあるので今回はこのコースを選択した。 いつものO君を誘ったところ快諾をもらい、O君も下調べをしたところ石舞台の近くに健康福祉センターたちばなという施設に銭湯があるので「風呂の用意をして行こう」ということだ。 3日に鞍馬山を走破した帰りに鞍馬温泉に浸かった快感を今一度味わおうということらしい。 12時に桜井駅に到着。駅前の韓国料理店で腹ごしらえとアルコール補給をして出発した。 しばらく歩くと等禰神社に見事に色付いた紅葉があった。 眩しいくらいに紅色が冴えていて、その木の下で立ち尽くしてしまった。 幸先の好い紅葉を目にして、私達は期待に胸を膨らませながら先を急いだ。 談山神社へは対面通行の道が1本しかなく、談山神社で突き当たるので、紅葉の時期は自動車の渋滞が激しい。 私達は渋滞の車を横目に行くのだが、歩いて談山神社を目指す人は後にも先にも他にはいそうに無かった。 緩やかではあるがずっと登り坂が続くので、汗がにじみ息が切れる。 途中の見所や紅葉を見つけてはしばし休憩するのだが、7kmの坂道はキツい。 ようやく到着して談山神社を散策するのだが、さすがにトップにランキングされるだけあって見物客でごったがえしているといった雰囲気だ。 “解説” 大和多武峰鎮座 談山神社 御祭神 藤原鎌足公 " 舒明・皇極二代の天皇の世、蘇我蝦夷と入鹿親子の勢力は極まって、国の政治をほしいままにしていました。 この時、中臣鎌子(後の藤原鎌足公)は強い志を抱いて、国家の正しいあり方を考えていました。 たまたま飛鳥の法興寺(今の飛鳥寺)で蹴鞠会(けまりえ)があったとき、 聡明な皇太子として知られていた中大兄皇子(後の天智天皇)にまみえることができ、 西暦645年の5月、二人は多武峰(とうのみね)の山中に登って、「大化改新」の談合を行いました。 後にこの山を「談い山」「談所ヶ森」と呼び、談山神社の社号の起こりとなりました。 ここに鎌足公は真の日本国を発想し、日本国が世界に誇る国家となるため、一生涯を国政に尽くしました。 天智天皇8年(669)10月、鎌足公の病が重いことを知った天智天皇は、みずから病床を見舞い、 大織冠(たいしょくかん)を授けて内大臣に任じ、藤原の姓を賜りました。 藤原の姓はここに始まります。 鎌足公の没後、長男の定慧和尚は、留学中の唐より帰国、父の由縁深い多武峰に墓を移し、十三重塔を建立しました。 大宝元年(701)には神殿が創建され、御神像をお祭りして今日に至ります。 " 以上 本殿ではよく教科書に載る「多武峯縁起絵巻」の「蘇我入鹿暗殺の図」が見ることができる。 また、世界で唯一の木造の十三重塔があり周囲の紅葉と相俟って見事な景観をなしている。 私が撮影に熱中しているうちにいつ間にかO君とはぐれてしまったようで、携帯に電話するが圏外でまったく連絡がとれない。 神社の入口で待つのだが何時まで経ってもO君は現れない、時計は拝観時間を過ぎようとしたころようやくO君が下りてきた。彼もだいぶ探したようだが行き違いになってしまっていた。 気を取り直して石舞台へ向かう。 石舞台へは下り坂なので軽快に歩けるのだが夕刻が迫り、石舞台に着いた時には陽がとっぷりと暮れていまい、明日香村の道は灯りも無く真っ暗なのだった。 暗闇の中を探るように目的の銭湯を探し、到着した時には6時前になっていた。 ゆっくりとお湯に浸かってこの日の疲れを癒した。 さて、帰るのだが、ここから最寄り駅までの道が分からないので施設の人に聞くと2・30分かかるそうだ。 夜道なので周辺地図を入手して、念のために帰ろうとする入浴客に道を尋ねてみた。 すると60代後半くらいのご夫婦は驚くほどアッサリと「車で乗せて行ってあげる」と仰る。 ご好意に甘えて同乗させて頂いたが、大阪まで帰る私たちを最寄り駅よりもさらに先の急行停車駅まで送り届けてくれたのだ。 車に乗せて頂きながら最寄り駅の飛鳥まではかなりの距離があるのが分かり、もし夜道を風呂上りの身体で歩いたとしたら、癒された疲れが消し飛んで、さらに疲れが倍増しただろう事が想像出来た。 地元の方のご親切が身に染みて、深く感謝してお別れし、電車に乗ることが出来た。 この日の反省会の京橋に着いた時には8時を過ぎていたが、友人のお店で美味しく飲食して帰途に就いた。 紅葉を愛でる。 これから先何回この季節を楽しめるだろうか・・・ 私が棺桶に入る前に、日本の素晴らしい原風景・・・死ぬ前に目に焼き付ける光景を数多く作っておきたいと思っている。 今日のような他人の親切に触れて、さらに美しい日本を感じておきたいと思うのでした。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2010年11月22日 11時15分44秒
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