046748 ランダム
 HOME | DIARY | PROFILE 【フォローする】 【ログイン】

沖の千鳥の陸あそび

PR

Calendar

Comments

蒼鰻@ Re[1]:はなみ 1(04/08) takahasiさん >また、誘ってください …
takahasi@ Re:はなみ 1(04/08) いろいろ、ご心配おかけいたしました ま…
蒼鰻@ Re:友達失ってないよ(笑)(04/19) Rちゃんさん >ずっと、ずっと良い仲間で…
Rちゃん@ 友達失ってないよ(笑) 冒頭から驚いちゃいました ずっと、ずっと…

Category

Headline News

Profile


蒼鰻

全17件 (17件中 1-10件目)

1 2 >

カテゴリ未分類

2012年06月04日
XML
カテゴリ:カテゴリ未分類
河歩きを続けているといろんな出会いがある。
ふと見つけた樹木に生っている山いちごの様な実。
摘み取って食してみる。
フルーティで酸っぱく無く、ほんのり甘い。
歩きながら見付けては4つ5つ食べる。
樹木の種類に疎いので食中毒の心配も無きにしも非ずだが、
何と無く自然に溶け込んだようでウキウキするのだった。

  • berry2.JPG
  • berry1.JPG






Last updated  2012年06月04日 12時53分52秒
コメント(0) | コメントを書く
2012年05月21日
カテゴリ:カテゴリ未分類

今朝は普段よりも早く目覚めた。テレビのスイッチを捻ると金環日食の特集ばかりである。
いつもの朝よりも脳に血液が行き渡るのが速かった。
家にあるレイバンのサングラスを二つ持ち出し出勤。会社に在る自動車のウインドに張るフィルムを何重かに折り重ねると太陽を直視しても問題なさそうである。
しかし、空は曇り太陽を覆っている。それが幸いした。サングラス無しでも太陽を直視出来るし、太陽のかたちはクッキリと判る。
金環になるのを待ってシャッターを押し捲った。

  • kinkan3.JPG
  • kinkan1.JPG
  • kinkan2.JPG






Last updated  2012年05月21日 18時20分24秒
コメント(0) | コメントを書く
2012年04月28日
カテゴリ:カテゴリ未分類

4月は私にとって気持ちが高揚する月なのだ。
1日は小学校の2回目の同窓会だったが、生徒の参加が少なく、消沈するおもいだったが、恩師や旧友に会うと昔の記憶が甦り、懐かしく楽しい会話で弾む。
なぜ4月にアドレナリンが活発に作用するかというと、桜が咲くからでもある。ピンク色に誘われて跳ね回るように花見に行く。
7日は背割堤の桜の開花状況を確認するため、20kmほど歩く。翌8日に従兄弟夫婦と兄夫婦と家内とで背割桜の下で宴会をし、醍醐の桜を観に行く。
14日は小学校の同級生と鴨川から賀茂川の桜並木をさかのぼり京都府立植物園で花見を楽しむ。
15日には春物の服を買いにブラブラと樟葉まで歩き、独り食事をし、酒を呑んでまた淀川河川敷を家まで歩く。
22日は花見のクライマックス、御室桜を観に行くのだが、あいにく前日の風雨で花びらが落ちてしまい見頃とは言えず、古寺を散策することで休日の楽しみを満たす。
26日は家内と一緒に井上陽水のコンサートは行く。昨年テレビで陽水のコンサートを放映していたが、声の衰えが目立った。40年間聞き続けた陽水をどうしてもナマで観たかった。コンサートは行くのは30年ぶりだ。満席の会場は中高年が大方で平均年齢は私よりも上を行くだろう。年配のファンはこの日を楽しみに来た様子がありありと分かる。
久しぶりのコンサートはやはり好かった。引き込まれるように聞き入り、見入り、陽水の魅力を満喫出来た。
ビデオに撮った陽水の衰えは微塵も感じさせず、60歳を過ぎても透き通るような高音は健在だった。
家内も次第に乗って来て、歓声を挙げる。最後のアンコールはスタンディングオベーションになる。
そして4月も月末29・30日は再び江戸の町歩きを予定している。
東京ではいつもの気の置けない仲間が下見に予約と準備を整えてくれていて、大船に乗ったつもりで安心して行くことが出来そうで楽しみで仕方ない。
遊びに遊びまくった4月の最後を飾るのにふさわしい古地図片手の散策。私にとってまさにパラダイスだ。







Last updated  2012年04月28日 11時03分48秒
コメント(0) | コメントを書く
2012年02月20日
カテゴリ:カテゴリ未分類
仕事の話になるが・・・
お客さんが広島の親戚から車を譲ってもらうのだが、お忙しい方なので引き取りに行けないので陸送すれば幾ら位かかるのかと訊ねられた。先方の詳しい住所と陸送費用を調べてみると結構な高額になる。インターネットの地図を見てみると、そこは「しまなみ海道」が跨ぐ生口島であることが判った。
 島好きの私は頬が緩んだ。お客さんに陸送費用と私が自走で引き取る料金を知らせると、えらく喜んで頂き、「是非、あなたが引き取ってきて欲しい」との返事であった。もちろん陸送費よりも低い値段であるのと時間的な融通もつくので私を選択してくれたのだ。しかしながら私はお客さんが喜んでくれたのもさることながら、瀬戸内の島へ行けるのが嬉しかったのだ。
 前もってしっかりと打合せをして午前9時の新幹線に乗り込んだ。昼前に島に到着すると先方の方はたいそうな歓迎で直ぐにコーヒーを入れてくれたと思うと、飲んだ途端に昼食の準備が出来ているので食べに行こうと急きたてる。近くの料理屋さんで穴子の定食を頂く。以前に一度尾道で穴子の押しすしを食べたことがあったが、あまりの美味しさにお土産に買って帰ったほどこの辺りの穴子は美味い。
 食事をしながら色々な話を聞き、仕事を忘れて地元の名所を聞き出すのだった。帰りにはお土産まで用意して下さり地元名産のお菓子とみかんを1箱車に積み込んでくれるのだった。
 暖かいご親切に感謝し、お礼とお別れを告げるのだが、短い間でしかないのに妙に感慨が沸いてくるのだった。
 お預かりした車を駆って、先ほどお聞きした島の名所へと急いだ。西の日光東照宮といわれる耕三寺はゴージャスな建物が立ち並び高台まで行き、島の周りを展望する。耕三寺の隣には平山郁夫美術館があり、平山郁夫はこの島の出身だということを知った。仕事の途中と言うこともあり、じっくりと観賞できず、さらっと足早に絵画を観て回った。
 名所も好いのだが、私はなんといっても島の風景を堪能したかったのだ。人口1万人ほど島で、どこもそうだが、人口の減少は止まらず、昔は7校ほどあった小学校が今では1校に集約されると言う。
 昨年に行った塩飽諸島も島と島との間隔が過密な感じがしたが、ここはもっと間隔が短く、まるで川を挟むように隣の島がある。遠くを眺めても山と山が連なるよう見えて本土に居る様な感覚になるが、そこはなんといっても小島なので海の風景が素晴らしい。この日は雨交じりで煙っており視界はよくないが海辺に佇むことが私にとっての慰めなのだ。が、しかしのんびりとはしていられないので急ぎ島内1周・縦断をしてみるとあっけないくらいに短時間で巡ることが出来た。
 こういう島では1日のんびりしたいという思いを打ち消し会社へと向かうのだった。
 






Last updated  2012年02月21日 08時29分06秒
コメント(0) | コメントを書く
2011年05月31日
カテゴリ:カテゴリ未分類

気が合う歴史仲間が福島・千葉・埼玉・東京・神奈川・京都・大阪からと総勢9人がオフ会に集まる。
タイトルは「ブラッと関西ほっつき歩き」サブタイトルが「Deepな大阪を探ろう!」でこれは私が勝手につけたもので参加メンバーは知ってはいないと思うが、自己満足なのだ。

何ヶ月も前から計画していた奈良・大坂の散策。延期になったりして長い間心待ちにしていた。
ところが天気予報は最悪である。降水確率が60%・80%前日には100%になったりするし、台風も近づいて来ている。
案の定当日は朝から雨である。三々五々それぞれの地域から奈良の橿原神宮前駅に集合したのは午前10時40分。そこから吉野線に乗り換えて飛鳥駅に立つ。思ったほど雨は強くなく、小雨の中を高松塚古墳へと向かう。
オフ会の幹事というのはコースと天候には神経を使うのもので、あいにくの雨によるコースの変更を告げてもメンバーはすんなりと受け入れてくれる。
傘を差しながらの行程を小グループが入れ替わりながら歩く、その時々の小グループの会話が自然の流れのように淀みなくコロコロと弾む。
史跡の前に立っては話し、道の草花について話し、遠くの山を眺めながら話す。散策のコンディションは良くなくても軽やかに歩けるのだ。

昼食は古代米の定食などを頂き、明日香村の橘寺・石舞台・飛鳥寺を回り、西ノ京へ移動し薬師寺へ行く。
高取城へ行きたかったのだが、残念ながら雨の為行けなくなった。薬師寺の東塔がもうすぐ解体修理されるのでその前に是非見てもらいたかった。
薬師寺でも色んな話しをしながらブラブラ・ゾロゾロ歩く。

yakusi1

夕刻になりこの日の反省会の場所へと移動する。
Deepな大阪 No.1ではないだろうか、コリアンタウン鶴橋で焼肉を食す。
鶴橋も昔から比べると清潔な街になった。焼肉の煙と油にまみれたような街が今は排煙設備が整い、お店も綺麗で小洒落れた焼肉店が軒を連ねる。
リーズナブルな値段で絶品の味を楽しめる鶴橋の焼肉だが、皆さんは満足してくれただろうか?それとも刺激がきつ過ぎただろうか?

上本町のホテルにチェックインを済ませ、南の繁華街へ散策に出る。
戎橋・宗右衛門町・千日前を歩き、この日は解散となった。

grico

翌日 午前10時に天満橋駅に集合
ホテルに宿泊された方々は既に天満界隈の散策を済まされたと言う。
京阪電車 中ノ島線 大江橋まで移動し、長岡藩蔵屋敷跡地へ向かうが土砂降りである。
歩道に叩き付ける雨は波打つように流れて、傘をさしていてもずぶ濡れになり、靴の中はズクズクになる。
そんな中でもメンバーは不足一つ言わない。河井継之助の足跡を訪ねることを楽しく思ってくれているようだ。

その後 敵塾見学。ビショ濡れの靴下のまま畳の間を歩くのには気が引けたが、2階の書生部屋であれこれと歴史談義に花を咲かせる。

tekiteki

さて、昼食はDeepな大阪 No.3か4ではないだろうか、京橋でお好み焼きを食べる。
パチンコ屋・ピンサロ・呑み屋・たこ焼き屋・組事務所がひしめく京橋は私の出生地でもあるので無理やり連れて来たようなものだ。お世辞にもお上品とは程遠い雑多な繁華街京橋をメンバーに歩いてもらう。
男性陣は昼間にも関らず、ピッチャーのビール4杯空ける。
ほろ酔い、満腹で店を出て、タクシーに分乗し、真田丸へと向かう。
大雨の中、真田丸・宰相山公園の散策はマニアの粋を極めたようなコースでいささかてらいも感じたが、他にも同じような人数のグループが来ていたのには笑いが出る思いだ。

その後、地下鉄で天王寺へ移動。大阪市立美術館で開催されている「歌川国芳展」を観る。
関東からの方々の帰りの時間もあるので今回の「ブラッと関西ほっつき歩き」はこれにて終了。

最後 お見送りをかねて新大阪で反省会をするので急いだ。反省会に気を取られ過ぎたせいか、折角のDeepな大阪 天王寺 新世界 ジャンジャン街を案内するのを忘れてしまった。

新大阪の串かつ屋で9人揃っての反省会でも皆さん熱く歴史を語り合う。
出発の時刻も迫り、いよいよお別れである。

昨年の長州を巡る旅もそうだったが、今回も実にスムースに事が運び、心地よく同じ時間を楽しめた。
ふと気付いたのだが、今回のメンバーと一緒だとどうしてこれほど気持ちが和むのだろうか?
私は河井継之助ファン イコール 山田方谷ファンだと思っている。
山田方谷の言葉に「惻隠の情」がある。他人を思い遣るという意味だが、思い遣り イコール 優しさであって、優しい気持ちで接することで物事がスムースに進むと思う。
今回のメンバーにはその優しさが備わっているので、悪天候にも関らず行動に乱れが生じなかったのだと気付いた。

2日間 気持ち好く過ごせて、皆さんの優しさを感じ、この先 私も他人に優しくなれそうな気がした。







Last updated  2011年05月31日 12時46分56秒
コメント(0) | コメントを書く
2010年11月22日
カテゴリ:カテゴリ未分類
11月になって3日は貴船・鞍馬。6日は高梁。13日は奈良と紅葉を求めて出掛けているのではあるが、満足がゆく紅葉が観れていない。
仕事中の車で流れていたラジオ番組のアンケートで関西のNO.1紅葉スポットを視聴者に問うたところ、奈良の談山神社がトップに挙がった。
談山神社?・・・行ったことが無いので早速ネットで調べてみた。
近鉄 桜井駅から7kmほど離れた山に在り、さらに山道を抜けると飛鳥 石舞台へ行けるコースがあるので今回はこのコースを選択した。
いつものO君を誘ったところ快諾をもらい、O君も下調べをしたところ石舞台の近くに健康福祉センターたちばなという施設に銭湯があるので「風呂の用意をして行こう」ということだ。
3日に鞍馬山を走破した帰りに鞍馬温泉に浸かった快感を今一度味わおうということらしい。

12時に桜井駅に到着。駅前の韓国料理店で腹ごしらえとアルコール補給をして出発した。
しばらく歩くと等禰神社に見事に色付いた紅葉があった。

談1談2

眩しいくらいに紅色が冴えていて、その木の下で立ち尽くしてしまった。

幸先の好い紅葉を目にして、私達は期待に胸を膨らませながら先を急いだ。
談山神社へは対面通行の道が1本しかなく、談山神社で突き当たるので、紅葉の時期は自動車の渋滞が激しい。
私達は渋滞の車を横目に行くのだが、歩いて談山神社を目指す人は後にも先にも他にはいそうに無かった。
緩やかではあるがずっと登り坂が続くので、汗がにじみ息が切れる。

談3談4
途中の見所や紅葉を見つけてはしばし休憩するのだが、7kmの坂道はキツい。

ようやく到着して談山神社を散策するのだが、さすがにトップにランキングされるだけあって見物客でごったがえしているといった雰囲気だ。

談5
談6

“解説” 大和多武峰鎮座 談山神社
御祭神 藤原鎌足公
" 舒明・皇極二代の天皇の世、蘇我蝦夷と入鹿親子の勢力は極まって、国の政治をほしいままにしていました。
この時、中臣鎌子(後の藤原鎌足公)は強い志を抱いて、国家の正しいあり方を考えていました。

たまたま飛鳥の法興寺(今の飛鳥寺)で蹴鞠会(けまりえ)があったとき、
聡明な皇太子として知られていた中大兄皇子(後の天智天皇)にまみえることができ、
西暦645年の5月、二人は多武峰(とうのみね)の山中に登って、「大化改新」の談合を行いました。
後にこの山を「談い山」「談所ヶ森」と呼び、談山神社の社号の起こりとなりました。

ここに鎌足公は真の日本国を発想し、日本国が世界に誇る国家となるため、一生涯を国政に尽くしました。
天智天皇8年(669)10月、鎌足公の病が重いことを知った天智天皇は、みずから病床を見舞い、
大織冠(たいしょくかん)を授けて内大臣に任じ、藤原の姓を賜りました。
藤原の姓はここに始まります。

鎌足公の没後、長男の定慧和尚は、留学中の唐より帰国、父の由縁深い多武峰に墓を移し、十三重塔を建立しました。
大宝元年(701)には神殿が創建され、御神像をお祭りして今日に至ります。 " 以上

本殿ではよく教科書に載る「多武峯縁起絵巻」の「蘇我入鹿暗殺の図」が見ることができる。

談7

また、世界で唯一の木造の十三重塔があり周囲の紅葉と相俟って見事な景観をなしている。

談8談9
談9
私が撮影に熱中しているうちにいつ間にかO君とはぐれてしまったようで、携帯に電話するが圏外でまったく連絡がとれない。
神社の入口で待つのだが何時まで経ってもO君は現れない、時計は拝観時間を過ぎようとしたころようやくO君が下りてきた。彼もだいぶ探したようだが行き違いになってしまっていた。

気を取り直して石舞台へ向かう。
石舞台へは下り坂なので軽快に歩けるのだが夕刻が迫り、石舞台に着いた時には陽がとっぷりと暮れていまい、明日香村の道は灯りも無く真っ暗なのだった。
暗闇の中を探るように目的の銭湯を探し、到着した時には6時前になっていた。
ゆっくりとお湯に浸かってこの日の疲れを癒した。

さて、帰るのだが、ここから最寄り駅までの道が分からないので施設の人に聞くと2・30分かかるそうだ。
夜道なので周辺地図を入手して、念のために帰ろうとする入浴客に道を尋ねてみた。
すると60代後半くらいのご夫婦は驚くほどアッサリと「車で乗せて行ってあげる」と仰る。
ご好意に甘えて同乗させて頂いたが、大阪まで帰る私たちを最寄り駅よりもさらに先の急行停車駅まで送り届けてくれたのだ。
車に乗せて頂きながら最寄り駅の飛鳥まではかなりの距離があるのが分かり、もし夜道を風呂上りの身体で歩いたとしたら、癒された疲れが消し飛んで、さらに疲れが倍増しただろう事が想像出来た。
地元の方のご親切が身に染みて、深く感謝してお別れし、電車に乗ることが出来た。

この日の反省会の京橋に着いた時には8時を過ぎていたが、友人のお店で美味しく飲食して帰途に就いた。

紅葉を愛でる。
これから先何回この季節を楽しめるだろうか・・・
私が棺桶に入る前に、日本の素晴らしい原風景・・・死ぬ前に目に焼き付ける光景を数多く作っておきたいと思っている。
今日のような他人の親切に触れて、さらに美しい日本を感じておきたいと思うのでした。






Last updated  2010年11月22日 11時15分44秒
コメント(0) | コメントを書く
2010年05月26日
カテゴリ:カテゴリ未分類
勤務時間中に車で移動している時に娘からの電話が鳴った。

泣き声である。胸が騒いだ。
「おとうさん 大学から 帰る バスの 中でな・・・  お腹が 痛くなってな・・・  救急車で 運ばれてな・・・  今な・・・ 京大病院に 居てる」
「それでどうなった!?」
「まだ 診察待ち」
「大丈夫か?そっちへ行こか?」
「たぶん 大丈夫・・・」
「分かった! 診察が終わったら もう一度電話してきなさい」

この後、私にはお客さんとの時間の約束がある。
急ぎ会社に戻り、義理の姉に娘に連絡をとってくれるよう頼み、客先へと向かった。
手早く用件を済まし、また会社へと急ぐ。
その間に京都へ行く手筈を考えながらも気が焦る。
義姉に娘の様子を聞くが、いくら電話をしても出ないと言う。
私は別の車の手配をし、乗り込もうとしたところに娘から連絡が来た。
「診察が終わって、薬を飲んだら、大分楽になったから、一人で帰る」
「無理をするな、迎えにいったる!」
「大丈夫!5時からバイトやし、今から帰ってバイト行くわ!」先ほどと違いすっかり元気な声である。
「へぇぇぇ~~?!?!」

なにわともあれ元気そうな声に安堵せざるをえない。

帰宅後、夕食を済ませ、くつろいでいても娘は10時近くなるのに帰ってこない。
バイトは9時までである。なにかあったのか?
そんな心配も裏腹に間も無く帰って来た。

健康そのものの顔で今日の出来事を快活に話し出した。

帰宅中のバスの中、腹部に鋭い痛みが襲い、脂汗が流れ、座席の横に手をついて、うなだれて痛みをこらえていると、右隣のご夫人が気付いて声を掛けてくれ、あまりに苦しそうな表情に驚き、運転手さんに救急車を呼ぶように頼んでくれた。
運転手さんはバスを停車させ、救急を依頼し、他のお客さんを後続のバスに移ってもらい、救急車の到着を待った。
変異に気付いたのか警邏中のパトカーの警察官もバスに乗り込んできたらしい(コレハ オオゴト デアル)

その間、左隣に座っていた外国の観光客らしい夫人は心配して、娘の手を握ってずっといたわるように声を掛けてくれたそうだ。
娘曰く 腹を押さえて苦しんでたら、その外国人は「ソルマック?ソルマック?」と優しく言ってくれたと言う。
えぇー!「ソルマック???・・・ストマックと違うのか?」
「あー、そうそう!」と娘はケロリと応えた。私はコケタ。

私は身体の力が抜けて、その後は熱心には娘の話を聞いていなかった。
まぁ、娘の無事はなによりであったが、いささか大げさでそそっかしくはなかったかとも思う。しかし当人でないとその苦しみはわからない。

娘の話の中で気にかかったのが、外国のご夫人のことである。
他の乗客はそそくさと後続のバスに乗り移り、最初に声を掛けてくれた方もその場を離れていった。乗り合った方々には多大な迷惑をお掛けしたと思う。
しかし、その外国人だけは救急車が到着するまで、ずっと娘の手を離さず、通じない言葉でいたわり続けてくれたという。

日本人の全てがそうだとは思わないが、特に都会では他人に対し淡白で無関心すぎるように思うのだ。
他人が困っている時に自然と手を差し伸べられる素養が失われつつあるのではあるまいか?
ややもすると公衆で他人に親切な行いをしようとすることに恥ずかしみや照れを感じることがあるが、困っている人にとっては手助けがなにより頼りになる。
我が身のことや他人の目を気にせず、自然と他人に親切に出来る気持ちは持ち続けなければならないし、それをそのまま行動に移せなければならないと思う。

住み難い世の中になってしまったなと感じるこの頃ではあるが、身近な事で自分が出来ることをもう一度見詰め直さなければならないのではなかろうか・・・

人の痛みを和らげられるのは、他の人への関心と思い遣りと優しさと笑顔であろう・・・

今日の外国のご夫人の話を聞いて、そう思うのだった。






Last updated  2010年05月26日 12時28分59秒
コメント(0) | コメントを書く
2010年05月10日
カテゴリ:カテゴリ未分類
晴れの休日。予定も無いのでウォーキング。
出掛ける前に家内を誘ってはみたが、気の無い返事なので独りで出発。

自宅から淀川の河川敷までは1kmと少々。
グランドでは少年たちが野球にサッカー・ラグビーと、健全な汗を流している。
私はというと息を切らして身体を動かすような激しい運動は初めから無理だと思っているのでただ黙々と歩く。
若者たちの姿と独りで歩く自分を対比してみるとまるで老人のリハビリのようにも思えて、ワンパターンのウォーキングからステップアップしてみては?!と自問したりするが、どうも踏み出せないでいる。

そんな事を思いながら枚方大橋をくぐる。ここまでくるのに約1時間、5kmほど。
枚方までは野球・サッカーグランド、テニスコート、バーベキュー広場などがあり、休日は多くの人出がある。

この先からはそういう施設が比較的少ないので、林の中を小鳥のさえずりを聞きながら長閑に歩く。

この日の淀川はまるで湖のように川面が静かで、景色が鏡に映したように上下対象の風景が楽しめる。

591
59
また、気候も穏やかで、風も無く、薄い雲が広がって日差しを和らげてくれるので暑くなく快適に歩ける。

河歩きを始めてしばらく経つが、いつも変わりばえの無いコースを繰り返し歩いている。それはそれで季節のうつろいや草花の成長や変化が感じられてその都度新鮮には思える。
けれど、やっていることがマンネリのように思えることもある。
年齢を重ねると、変化を好まず同じ事をすることで安心感に浸り、さらにそのまま歳をとってしまうように思う。
何とかすべきだと思うのだが、どうも踏み出せないでいる。

独りで歩いていると、急に人恋しくなる。誰かを誘ってくればよかったと思いながらも、こんな道楽に付き合ってくれる物好きもいまいと、諦めてしまう。

前回歩いている時には娘に連絡したが、この日は京都に住む甥に電話してみた。
が、不在だった。仕方なく歩き続ける。

歩きながら色々なことを考えてはいるのだが、思い浮かんでは消え、思い浮かんでは他の事に考えが移り、実にとりとめが無い。
まとまった前向きなところまで考えが立ち行くことが無く、途中で気移りしているのが解る。

しかしながら、青空の下、自然の中での思考はマイナーな考えに陥ることがなく、比較的気持ちは明るい。

川沿いを牧野・楠葉辺りに来るとゴルフ場を横目に歩くことになる。
そういえば永い間ゴルフもしていない。スポーツらしいことは何もしていない。

さらに行くと橋本になり、いつもはここで河歩きを止めて、電車に乗るが新しく道が出来ているので八幡まで歩く。
八幡の駅で時計を見ると4時間経っていた。約20kmは歩いたと思う。

時間も早いので、いつもの独り贅沢をする為、十条のステーキハウスへ行くことにした。
いつもは京阪電車で鳥羽街道まで電車に乗って国道十条まで歩くが、疲れもあって丹波橋で近鉄線に乗り換えた。

電車に乗ってふと前の座席を見ると見覚えのある方が座っている。
以前、歴史の飲み会で一度だけお会いしたことがある方だ。
相手は気付いていないようで、連れの方とお喋りをされている。

声を掛けようか?止めておこうか?迷ったが、思い切って声を掛けてみた。
失礼だとは思いつつ話している内に何とか思い出していただいて、通じることが出来た。
十条駅に近づいたので、挨拶もそこそこにお邪魔した。

その方の知り合いであるKさんに電話で事情を話し、お声掛けした方のお名前を確認したが、飲み会の時にはお目にかかっただけで、特に話をさせてもらってはいない方だった。
Kさんへの電話の後、やや恥ずかしい思いになり、Kさんにも意味の無い連絡をしたようで、歩きながら赤面するのである。

その後、いつものように独りで食事をし、酒を呑み、程よく酔っ払った。
考えてみれば、一体自分は何をしているのだろうか?
いい歳をしたオッサンが少女のように人恋しさに電話したり、一面識だけの人に声を掛けたりと、やっていることが幼いように思った。

まだまだ大人になりきれていない、幼稚な自分がそこにあってもがいているような未熟さを感じるのだった。

人生の折り返し点も過ぎて、これから先は下り坂を行きつつあるのに、なんとも不甲斐ないと思う。

独り歩きも好いが、もう少し人と協調しながら、有意義な時間作りが必要ではないかなと思うのだった。






Last updated  2010年05月10日 11時59分24秒
コメント(0) | コメントを書く
2010年04月18日
カテゴリ:カテゴリ未分類
 先週 絶好のお花見が出来た翌日からの1週間は雨と風が吹く不順な天候で花びらが散ってしまい、住まいと職場の近辺はほとんど葉桜になってしまい、桜が作用させる興奮も沈静化してしまう時期になった。
 久しぶりに晴れ上がったこの日、私の興奮は収まらない。
 お昼も過ぎて、これといってすることの無い休日、家に残った家内と下の息子を誘って、京都の仁和寺へ行くことにした。
 はじめ、私の誘いを断ろうとする息子をなだめすかし、強引に連れ出した。
 家内は私と二人だけで出掛けることを嫌がるがのだが、息子が同行することで機嫌好く準備をする。

京阪電車で三条まで行き、市バスに乗り換える。
市街は順調に走れたが、次が「御室仁和寺」というところで渋滞に巻き込まれ、全く進まなくなってしまい、車内でイライラが募るのである。
やっと到着し、バスを降り立った時、息子もかなりイライラしているようだったが、境内に入り、めずらしい御衣黄桜や満開の桜を目にして、苛立ちが和んだようである。

timoto

「わたしゃお多福 御室の桜 はな(花×鼻)は低とも 人が好く」
仁和寺の桜は遅咲きで、京都の桜の最終を飾るにふさわしい絶好の花見ポイントである。
普段は境内に入るのに入場料は要らないが、桜の時期だけは有料になる。しかしながら、多くの花見客で境内の御室桜の林は大混雑である。

 御室桜は花びらが大きく、低木なので花びらに囲まれるように木々の間を歩いて行ける。
 京都案内の写真に必ず出てくる満開の桜の上に五重の塔が浮かぶ様は、普通に立ったままでも撮影できるのである。低い花びらに囲まれて、家内は「桜餅のにおいがする」と空腹を刺激されているようだ。

ゴジュ
 
 ぐるりと林を回ると観音堂で法話を行っていたので、拝聴する事にした。
 この観音堂は普段拝観することが出来ないが、花見の時期だけ4日間だけ開放されているそうで、仁和寺には既に5・6回は来ていたが、はじめて拝観出来た。
 解説によると「あらゆる困難から人々を救うとされる千手千眼観自在菩薩を本尊とし、脇侍として不動明王・降三世明王が両脇を固め、従属として二十八部衆が祀られている。」とある。
 ありがたい法話を聞き、千手観音に手を合わせると、心が休まるのであった。

 当然の事であるが、私はわざわざ法話を聞く為や、寺社仏閣を参拝する為に京都まで足を運ぶほど信心深いのではなく、目的は常に美味い酒を呑むことにあり、花見と言えばアルコールである。
 美しい花を観賞し、ありがたい法話の後のお酒は、これまた最高なのである。
茶席に座って酒食をとっている瞬間が至福のひと時である。
 息子も今のところ素直に育ってくれていて、中学3年生という多感な時期にも関わらず、こうして親と一緒に出掛けてくれるのが嬉しい。
 家内も息子と一緒に居る事がたまらなく嬉しそうで、私といる時と違って笑顔が絶えないのである。

トモ

 日も暮れかけたので、JR花園まで歩き、帰宅する。
前日が息子の誕生日だったが、家族それぞれに用があって揃わなかったので、この日に誕生日を祝う事にした。
途中でケーキを買って帰り、夕食の時に家族みんなでHappy Birthdayを歌うのであった。

ケーキ






Last updated  2010年04月18日 11時41分35秒
コメント(0) | コメントを書く
2009年12月14日
カテゴリ:カテゴリ未分類
永い間、Mixiもブログもさぼって3ヶ月・・・

ここ数ヶ月小学校の同窓会を開催するのに懸命で、気持ちに余裕が無い私としてはあれこれとは手が回らなかった。

小学校を卒業してから来年で40年になる。
6年生の時に担任をしてくださった先生の所在がつかめ、卒業以来初めての同窓会を開くことが出来て、とても懐かしく、楽しい時間を持つ事が出来た。
同級生の消息が徐々に分かってくるにつれて、自分が勤める会社のある地元に多くの同級生がいまも沢山居る事がわかり、なんとなく地元に愛着が湧き、風景が新鮮に思えるような感覚になった。

同窓会での話でそれぞれの来し方を聞き、今回会えなかった人の現在を聞くと、もっと多くの人と是非会いたい気持ちが強くなった。
そんな一人に一度も受け持ってもらった事は無かったが印象に残っている先生が、淡路島に移り住まれていると担任の先生から聞き及んだ。
それも両親の生家とはさほど離れていないところに住まわれているらしい。
電話で連絡をとり、思い切って訪ねることにした。

車を飛ばしながら見る淡路島の風景は私にとって何よりも癒されるのである。
スッキリと晴れ渡った空気の中の田園風景と海を眺めていると心が安らぐ。

昼過ぎに先生の家に到着すると、懐かしい先生とご主人が出迎えてくれた。
40年近く会っていないにも関わらず、そこには何の違和感もなく話が弾む。
何よりも私としては淡路島を終の棲家として選択されたことが嬉しく、その心情に共有できるものがあるような気がして、心が開かれるような気持ちになるのである。
2時間以上もいろいろと話し、おいとまするタイミングを見失いそうになりながらも、再会を約して先生の家を後にした。

父の実家である伯父の家を訪ねる前に、しばし浜辺に下り立った。
ここの浜辺には小さい頃からこれまで何度も来ているのだが、いつ来ても心が洗われるのである。

スッキリとリフレッシュ出来て、気持ちも爽やかに伯父と伯母に会い、四方山話に時を過ごし、別れを惜しみながら辞去する。

そこにYさんから連絡を受けた。
東京からMさんが京都に来られているので来ませんか?とのお誘いである。
時計を見ると4時、集合の時間にはとても間に合いそうも無い。
しかし、私もせっかくの久しぶりに会える機会を逃したくはないので帰宅を急いだ。

息子とも親しくさせていただいているお二人なので、家に連絡を取り、事情を話し、息子に先に行くように促した。
息子は1も2もなく承知し、集合場所に急いだ。

高速道路の渋滞にイラつきながらも、お二人にお会いできることを喜びながらハンドルを握る。

集合の時間にかなり遅れはしたが、なんとかたどり着いて再会を楽しむ。

ここでも何の隔たりも無く、話に花が咲く。

夜も更けて、お二人と別れを告げ、息子と二人で帰途につく。
お互い何をしゃべる訳でもないのだが、私の気持ちはほんのりと暖かくなるのだった。

この日、先生、伯父伯母、お二人と。
普段、お会い出来ない方々と再会できて、忙しい一日ではあったが、淡路島の風景と共に私の心の中をとても豊な気持ちさせたのでした。






Last updated  2009年12月14日 10時18分42秒
コメント(0) | コメントを書く

全17件 (17件中 1-10件目)

1 2 >


Copyright (c) 1997-2020 Rakuten, Inc. All Rights Reserved.