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沖の千鳥の陸あそび

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蒼鰻@ Re[1]:はなみ 1(04/08) takahasiさん >また、誘ってください …
takahasi@ Re:はなみ 1(04/08) いろいろ、ご心配おかけいたしました ま…
蒼鰻@ Re:友達失ってないよ(笑)(04/19) Rちゃんさん >ずっと、ずっと良い仲間で…
Rちゃん@ 友達失ってないよ(笑) 冒頭から驚いちゃいました ずっと、ずっと…

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蒼鰻

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旅行

2012年03月14日
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カテゴリ:旅行
 最終日は横浜を歩く。
SARAさんとKEIさんが入念に下調べを重ね、資料まで準備して頂き、 現代地図と古地図を見比べながらの散策である。
 幕末 外国人居留地として関内が出来た。馬車道を歩き、古地図を確かめながら区割りを眺める。
 河井継之助は関内のスネル邸に逗留。なにを思ったか頼まれもしないのに夜回りを買って出る。「火の用心!」継之介の声が聞こえてきそうである。
高層ビルが立ち並ぶ港町。海を臨み、多くの船が行き交う。
 冷たい海風に吹かれながらも私は興奮で身体の中が熱くなる。

 象の鼻の堤防を眺めながら歩いていると大きな客船が出航の時を向かえ離岸して行く、桟橋では紙テープで見送る人の姿も見える。美しい光景だ。
展望台に上ると海上保安庁の巡視船が停泊している。ここでもシャッターを押し捲る。

 山下公園へ行くと年代ものの客船が停泊している。見た所昭和の初期に造られた船型だ。そのことに気が行っている私を見て気の置けない仲間はその氷川丸を見学しようかと声を掛けてくれた。早足で氷川丸へと向かったが、この日は休館日で見学は出来なかった。それでも近くで観る往年の客船は好いものであった。

 時間もお昼になったので中華街で食事をすることに。
 円卓を囲んでの8人の昼食となった。
 出てくる料理がすべて美味である。ビールに紹興酒。昼間から酔っ払うのである。
 円卓というのはいいもので全員と顔を会わせながら真っ直ぐに話しが出来るので、ここでも大いに話が盛り上がる。会計もリーズナブルで大満足で店を後にする。

 中華街・横浜の街を歩きながらそろそろ帰宅の方向へ向かう。ここでSARAさんが船好きの私の事をおもんぱかって横浜駅まで遊覧船で行こうと提案してくれた。私の満面の笑みはいつまでも崩れない。
 天気晴朗なれど寒空の下ではあったが、私はいつものように独りデッキで海を眺め、行き交う船・停泊している船を眺めながら楽しい船旅を満喫する。

 新横浜で最後の反省会。
いつものように時間が迫るのが疎ましく思いながら別れの時刻まで飲み・食べ・喋り・笑うのだった。
 改札口ではさすがに胸が痛むような感覚になる。

 また会いたい、一緒に歩きたい、腹一杯の酒を共にしたい、大きな声で笑いたい。
 そんな想いで乗り込んだ新幹線の車内では缶ビールを1本開けた途端に撃沈してしまったらしい。
 車内放送で目覚めた時は京都だった。

 本当に楽しかった3日間。本当に嬉しい仲間達。こんな時をこれからも持ち続けたい。

 しかし、今回 ちょっと東京に嵌まってしまったようだ。我が家ではNHKの「ぶらタモリ」がブームで、近い内に家内と古地図方手に東京を歩きたいと思っている。
 その節はまた宜しくお願い致します。







Last updated  2012年03月14日 11時54分02秒
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カテゴリ:旅行
 翌日は横須賀を歩く。
 念願の戦艦 三笠を見るために来たのだ。
 8人で横須賀駅から歩くのだが、米軍基地の街をイメージしていたが、思ったほどアメリカの雰囲気は色濃くはないなぁという感想である。
 東郷さん・三笠をバックにみんなと記念撮影をし、艦内を巡る。気の置けない仲間たちと色々な話をしながら見学するのがなにより楽しい。艦橋に立ち東郷さんと真之の立ち位置を確かめ、この艦隊が帝国ロシアのバルチック艦隊を殲滅させたかと思うと興奮は抑えられない。
三笠もそうだが、そこから海を眺めるのが気持ちいい。横須賀の先には浦賀が在り、黒船が来航した時の鎖国日本の人達の驚きを想像する。
 見学中に春秋さんと匠さんと合流し、10人で三笠をバックに記念撮影。

 昼食は料亭 小松をセッティングしてくれている。
 先ず始めに応接室へと通された。海軍の歴代長官が訪れたという豪華な調度の部屋へ入ることが出来るとは思わなかったのでここでも興奮状態。
 三笠見学後、匠さんは帰られたが、ここで照姫さんと合流。9名での食事となる。
 東郷平八郎・上村彦之丞・米内光政・山本五十六の揮毫を見せて頂き、食事部屋へと通される。
 日本海軍のお歴々がくつろいだサロンで食事できるとは・・・セットしてくれたおなさんに感謝である。

 昼食後は鎌倉へ移動する予定だったが、前日の反省会の時に横須賀の海軍基地をめぐる遊覧船が出ていると聞き、私は是非ともその船に乗りたいとせがんだ。わがままにも関らず皆さんで寒風の中、軍港めぐりの船に乗り込む。
 イージス艦・潜水艦・木造の掃海艇、中でもミニッツ級の原子力空母が停泊していてそれを見られた事にこの日の3度目の興奮で、甲板を歩き回りカメラのシャッターを押し捲る。本当に嬉しかった。童心に返ったようだった。
 鎌倉の鶴岡八幡宮へお参りをし、東京へ帰る。

 八重洲駅の飲食街でこの日の反省会ですっかり出来上がりみんなに2次会へ行こうと絡む。2次会の記憶はほとんど無いのだが、ホテルへと帰る道。ヘロヘロになって千鳥足で歩いた記憶が翌朝残っていた。
 いい歳をしたオッサンの我が儘し放題を気の置けない仲間たちは受け入れてくれる。感謝しつつも反省をせねばと思うが、たぶん一生治らないであろう・・・






Last updated  2012年03月14日 10時55分09秒
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カテゴリ:旅行
 少し前のことになるが2月25・26・27日にかけて、いつもの気の置けない仲間が東京に集まった。
 メインは河井継之助記念館の稲川明雄館長の講演を拝聴することだ。
東京駅に9時半に到着すると埼玉県のおなさんと福島県から安司さんがわざわざ出迎えてくれた。
 二人は別に用があって稲川先生の講演会には行けないが、おのぼりさんの私たちの為に駆け付けてくれたのである。
 午前の時間に靖国神社へ参拝するので移動。ここでSARAさんKEIさんYURIさんと合流6人で向かう。
 初めて行く靖国神社はやはり独特の雰囲気を醸し出している。神前の駐車場には高級外車がびっしりと数十台並んでいて異様な感じがするし、参拝者もちょっと普通と違うように思える。
 我々が参拝を済ませた後に社殿に向かう丸坊主で黒の上下で固めた男性はまるで映画に出てくる軍人のような大仰さで二礼二拍一礼をしていた。
 その後遊就館をじっくりと時間を掛けて展示物を観て回る。私はお国の為に命を捧げた英霊の御霊に感謝し、慰霊することは日本人として当たり前のことだと思う。しかし、その戦争を賛美したり、肯定したりするのは違うと思っている。よく日本は自虐史観に捉われていると言われるが、先人の勤めが無ければ今の日本は存在しえないし、先人達のお陰で今があると思っているので、決して過去の事は否定したくは無い。けれども遊就館を見学していると戦争そのものまで賞賛しているように思えてストレートには受け入れられない気持ちになった。広島の平和記念公園とは対照をなしているようで思想の違いが著しいように思えるのだった。

 その後 いよいよ稲川先生との対面である。1年ぶりに会う先生は少しお歳を重ねられたように見えたが、何故か先生に会うとほのぼのとした気持ちになる。
 またここで10年ぶりに会う匠さんとの再会も果たした。
 先生の講演での話は私が普段の読書や映画を観た感想を照らし合わせて、疑問が氷解したり、自分の考えが間違っているのに気付かされたり、しっくりと受け入れることが出来る。
 短い間ではあったが先生とお話ししながら駅までお見送りする。別れ際には何度も何度も頭を下げられる先生の謙虚な姿勢には見習うべきところがたくさんあるのだった。

 この日の反省会場 嘉永3年創業の老舗 八重洲割烹 嶋村に9人が集合。いつものように和気藹々と歴史談義に花を咲かせ、いつものように記憶が無くなるまで酒を呑み続けるのである。私にとってはこのひと時が普段のストレスを忘れさせ、久しぶり会う気の置けない仲間に溜め込んでいた話を吐露できる最上の幸福な時間なのである。






Last updated  2012年03月14日 09時58分07秒
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2011年11月24日
カテゴリ:旅行
牛島から船で送ってもらって本島に到着。直線距離で4kmほどらしい。
港から今日宿泊する民宿に電話すると、迎えに行くという。程なく平成一桁年登録のダイハツのアトレーに乗ってご主人が来てくれた。軽自動車に5人乗って宿泊先に着いた。
時間はまだ4時過ぎである。晩のアルコールとおつまみがないのでどこかにお店が無いか、道行くおじいさんに聞いてみた。「その先にある!けど、はよ行かな 閉まってしまうぞ!」と言われたので急いで行ってみると、やはり閉まっていた。仕方なく店の前の自販機で飲料水だけを確保した。
民宿に戻る途中で先ほどのおじいさんに会ったのでお礼を言うと「開いてたか?閉まっとったか。あそこは閉めるのが早いんじゃ!」「朝は何時頃に開きますか?」「9時か10時頃じゃ!開けるのは遅いし、閉めるのも早いんじゃ!」
宿に戻るとおかあさんがもう食事にしろという。時間は5時。ちょっと早いような気もしたが勧められるまま夕食にした。今日獲れたての新鮮な魚がお皿にてんこ盛りである。
食事が進み、しばらくすると宿のおかあさんも缶ビールを飲みながら私たちの話に加わって来た。いろんな島の話を聞いているとご主人も焼酎を片手に加わる。
本島でも人口の減少は歯止めが掛からず、高齢者の世帯が目立つ。そんなお年寄りを狙って本土からヤクザまがいの連中が脅し半分に小金を騙し取りに廻って来るそうだ。それでも気丈な宿のおかあさんはそんな相手でも「ちょっと待っていなさい、今警察を呼ぶから」と通報すると海上警備の警察が高速船で6分もあれば駆け付けると言っていた。
ご主人は根っからの漁師で底引き網もするし、潜水もしてきたそうで、漁師という仕事は常に危険と隣あわせ、潜水病にかかって亡くなる人やフカに食われることもあるらしい。板子一枚下は地獄と言われる漁師の仕事は生死の間で従事しているのがご主人の話でよく分かった。

翌朝 我々はレンタサイクルで島内を巡る予定をしていたが、この日は快晴ではあるが強風が吹いている。宿のご夫婦はサイクリングは止した方がよい、自動車で観光案内をしてくれるサービスもあるのでと聞きに行ってくれたが、あいにく当日の予約では無理だった。そこでご主人はダイハツ アトレーを駆って自分で案内してくれると言う。私達はご好意に甘えアトレーに乗り込んだ。十数年経っているアトレーのエンジン音は高く、ステアリングが重いようでご主人はUターンするのに何度も切り返しをしなければならない。検査のステッカーを見ると1年以上前に検査が切れている。それでも走行距離は1万kmほどしか走っていない。島内では幾らも距離が上がらないし、違反の取締りも無いのだろう。
ゴロゴロゴロとゆっくりと島を巡る。抜ける様な青空と真っ青な海に浮かぶ島々の風景は実に清々しく気持ちが洗われる。
しばらく走ると水見色小学校がある。映画「機関車先生」のロケ地だった。教室に入ると昔の学校の雰囲気がそのまま残っている。足踏み式のオルガンがあったりして私達の父母の時代の教室はこんなだったのだろう。私は映画「瀬戸内少年野球団」を思い出した。

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本島を周遊する道は立派に整備されている。自動車の数も思った以上にあるし、同じくらいの大きさの淡路島の離れ小島の沼島と比べても想像していたより活気が感じられた。
笠島町並保存地区。城山番所があった地区で昔ながらの町並みと塩飽大工の技術の粋を凝らした建造物が残っている。かなりの財力と繁栄を誇っていたのが分かる。
塩飽勤番所。この島のメインの観光スポットであろう。数多くの史料・展示物を見ていると塩飽の成り立ちと歴史と繁栄が解った。瀬戸内の中でも狭隘な海上交通の要衝で行き交う船から通行税を徴収したり、秀でた操船技術で小島ながら栄えてきたのだ。

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宿のご主人は訥々とした口調で懸命に島の良さを語る。島内案内は不慣れな様子ではあったが、私達と一緒に巡りながら改めて地元を見詰め直しているようにも感じられた。
暖かく接してくれたご主人に別れを告げ、フェリーで丸亀まで戻る。船上 とても気持ちの好い航海であった。瀬戸内海の風景をじっくりと目に焼き付けながら島の人々の生業を想った。

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昼過ぎに丸亀に着いたのでもう一度讃岐うどんを食べる為に丸亀商店街を歩く。縦横に貫く商店街はかなりの規模なのだが寂しい。日曜日だというのに7割方の店はシャッターが閉まっている。
地域格差。繁栄と没落。過疎と過密。所得格差。丸亀の商店街を歩きながら何故かそんな思いが湧き出てくるのだった。
今回の旅で出会った島の人たちの思い遣りと優しさを感じ、本土から来て高齢者から金品を騙し取ろうとする輩の話を聞いて、人の心の豊かさとは何なのだろうと思う。
人の親切に接した時には当たり前に「ありがとう」というが、自分が発した「ありがとう」の回数以上に、人から「ありがとう」と言われているだろうか。金銭ばかりに目を奪われて、心の中の深さが埋められているように思った。
人と人の繋がりと自然との関りで気持ちは広がりを持ち、労わりと自分の地域に対する愛着を感じると思うのだが、今の日本にはそんなものが希薄になっているように想うのだった。








Last updated  2011年11月24日 08時05分24秒
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2011年11月22日
カテゴリ:旅行

 小学校1・2年の時に同じクラスだったRちゃんのお父さんの出生地が瀬戸内海の塩飽七島の一つ「牛島」と言うことは以前に聞いていた。
 普段 Rちゃんは週休1日なので旅行に行くのはなかなか無理なのだが、今回お店の都合で3連休が取れることになったので同級生4人で牛島へ行こうということになった。
 インターネットで調べてみると 面積 0.70平方km 周囲 4.2km 標高 95m 世帯数 11世帯(2008.1.1)人口 17人(2008.1.1) ということで瀬戸内に浮かぶ小さな島である。

 午前7時に守口を出発して四国丸亀市へ向かう。この日の天候は大雨で車のワイパーはフル稼働、高速道路は雨水が溜まって快調に飛ばすわけには行かない。
 約4時間の行程を経て丸亀に到着。先ずは昼食に讃岐うどんを食す。こしのある麺に舌鼓を打ちながらツルツル頂く。
 出航の時。小さな旅客船に乗り込み客室には入らず、外で雨の中の海を見渡す。
私は船に乗るのが好きで、小さな島を訪ねるのが好きなのだ。潮の香り、海を切り裂いて進む船の波飛沫を眺めているだけで気持ちが和む。
 何度も書いたが両親のふるさとが淡路島ということもあり、田舎へ帰るときには船を利用してきたので船に乗ると郷愁が沸いてくる。乗船から下船までずっと海を眺めているのが私に植え付けられたパターンになっている。

 牛島到着。15分ほどの船旅であった。旅客船は舳先を桟橋に近付けただけで客を下ろす。いかにも乗降客が少ないかを象徴するような接岸方法である。
 桟橋だけの浜に降り立ったのは私たち4人とあと4人。一人は島に住まわれているおばあさん。それと△△△教の信者で島に布教に来たというが、なんとも迷惑なような気がした。
 Rちゃんは牛島に来たのは40数年ぶりで、島の出身者のお父さんは既に亡くなられている。父とそのふるさとを懐かしみ、訪れたのだが、その生家が今、現存しているかは定かでは無いらしい。
 島のおばあさんに訪ねたりしたところなんとかRちゃんの実家が見つかった。たぶん誰も住んではいないだろうと思っていたRちゃんを驚かせたのは、従兄弟に当たる方が仕事をリタイアした後、家を守るために居を移し、住まわれていたのだった。
 突然の来訪に驚かれたことだろうと思うが、Rちゃんもまさか会えるとは思っていなかった様子で少し興奮状態にもみえた。
 座敷に上げてもらって、その方の話をじっくりと聞かせてもらった。Rちゃんの親族の消息、お父さんとの思い出、ルーツ、塩飽・牛島の歴史など非常に興味深く、地元ならではの貴重な話を聞くことが出来た。

 牛島の歴史は古く、大いに繁栄した時期もあり、江戸期には大坂の鴻池家を凌ぐほどの財力を持ったこともあり、古くは塩飽水軍、北前船、船大工など海上交通の技術の粋を極めた人々が日本の歴史に大きな影響を与えてきた。
 私の故郷の淡路島 都志の偉人 高田屋嘉兵衛を題材にした「菜の花の沖」にも塩飽の水主が出てくるし、幕末に太平洋を渡った咸臨丸の水夫は50人中35人までが塩飽の出であったという。

 Rちゃんのお父さんは大阪で大工をされておられて、塩飽の伝統的な気質を受け継いで技術を発揮されたのだろうことが分かった。ご実家には大きな神棚があり、船乗りの歴史が色濃く残っているし、北前船の頃使っておられたと思わせる飛脚箱や二朱銀を数える銭升を見せてもらうことが出来た。

kamidana
hikyaku

 また、繁栄を誇った牛島には貴重な財宝や歴史的資料が残っていたが、牛島が衰えて行く過程で、本土から来る骨董収集家が強奪するようにそれらの品々を持ち去って行ったとも話しておられた。
 その後、その方に連れられて牛島の史跡などを案内してもらったが人口が減少してしまうと、こうも荒れ果ててしまうのかと思わせるほど建物も山も朽ちて行っている。豊かな自然は人の営みの中で守られてゆくことも実感するのだった。
 私たち4人は島内を周遊してみたが、すれ違う人は2人しかなかった。次の訪問地「本島」へ行く船の時間は1時間以上ある。船着場で時間を過ごしているとRちゃんの従兄弟が自分の船で本島まで送ってやるという。私はしみじみと島の人の優しさと思い遣りを感じ、船上で島に生きる人達の人となりに思いを寄せながら海風を満喫した。

tanimaru






Last updated  2011年11月23日 07時54分27秒
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2011年10月12日
カテゴリ:旅行
いつもの気のおけない仲間との旅行だ。
当初、8人が参加する予定だったが前々日に1名がどうしても外せない出張で参加出来ず、当日に家族の具合が悪くなり、救急搬送されて参加を断念せざるを得なくなり更に1名が・・・
折角の再会を8人全員が楽しみにしていたのに参加者が減ってしまって寂しい限りだが、参加出来なくなった二人はもっと残念に思っておられるだろう。

新幹線 西明石駅に集合。先ずは昼食を明石焼きとした。
明石大橋を渡り淡路花さじきへと移動。天気は快晴で青空に青い海。淡路島に行くには快晴で無ければ本当の美しい景色には出会えない。そういう意味でこの日は最高のコンディションとなった。
色とりどりの花に囲まれて新鮮な空気を吸い込み、淡路島の四方を眺める。

saziki

次に笹野高史の生家を見て、伊弉諾神社を訪ね古代神話の話で盛り上がる。
いよいよ今回のメイン。わが故郷の都志の高田屋嘉兵衛を顕彰する菜の花ホールのあるウェルネスパークへ。
ここには瀬戸内少年野球団の郷ひろみ・夏目雅子そして少年たちの銅像がある。それだけでは片手落ちなので渡辺 謙がそれら銅像に割り込み写真におさまるのであった。
菜の花ホールをゆっくり見学し、私はゴローニンが著した『日本幽囚記』全3冊を購入した。
夕刻になり陽も傾いてきたので慶野松原へ車を走らせる。Oさんのリクエストだったサンセットラインを真っ赤に焼けた夕日を眺めながら行くのが今回の目的でもあった。
日本に数少なくなった白砂青松が残る慶野松原の松並木は数キロに及ぶ。砂浜で眺める夕日は一際美しい。

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陽もとっぷりと暮れたのでホテルにチェックインし、この日の反省会である。我々にとってこの反省会はなんとも言えない至福の時で、歴史話に花を咲かせ大いに呑むのだ。席を部屋に替え、夜遅くまで語り合う。

翌日 高田屋嘉兵衛ウォークマップを片手に史跡を歩く。今では淋しくなった都志港に立ち、瀬戸内少年野球団の話や昔の都志への交通手段や賑わいを語る。
港を歩いていると地元のおばあさんの話を聞くことが出来た。昔のことや今の町の現状などを話して下さり、ほのぼのとした気持ちになりながらも田舎町の悲哀のようなものも感じるのだった。
おばあさんの話を聞き入り過ぎて高田屋嘉兵衛翁記念館では充分な時間を取れず、ビデオを見ただけで次の目的地 沼島へと急ぐ。
沼島へは10分ほど船に乗れば到着する。ここでもウォーキングマップをもらい散策の助けとする。
時間は正午なので先ずは腹ごしらえ。島内には店が少ないので目に付いた店でバナナとパンを購入し浜辺で頂く。快晴の下での屋外の食事はとても心地よい。清々しい海風に当たりながら色々な話をする。
その後島内を半周し、沼島の名所 上立神石を見て2時間の散策を終える。
次は鳴門海峡で観潮船に乗っての渦潮見学である。クルーザーのような小型の船での観潮で案内のキャプテンの解説と操舵に迫力ある渦潮が見ることが出来て大満足であった。

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ホテルにチェックインしてからディナーまで時間があったので大浴場でゆっくりと疲れを癒す。大きな露天の岩風呂では旅の醍醐味を満喫できる気持ちの好いものであった。
フランス料理のコースに舌鼓を打ち、アルコールもすすむ。

3日目の予定は濃く組んでいなかったので、生石公園の砲台跡を見学の後、洲本城を歩いて今回の旅行はこれにて終了。最後に私の父方と母方の実家に寄って帰途についた。
午後6時に新大阪で解散の予定なので最終反省会の時間を取っている。
新大阪では当日になって来られなくなったNさんと私の息子が反省会に参加するために待機している。
ということで午後3時頃から8人での反省会になった。
旅の感想を述べつつ、日常の話にも及び、いつものように歴史談義で大いに盛り上がる。

気のおけない仲間と3日間。明石焼き・花さじき・高田屋嘉兵衛・沼島のウォーキング・生石と私のお気に入りの場所に行くため無理やりに皆さんを巻き込んだような旅になった。
私は気のおけない仲間と行けることが念願で、それが叶って大満足であるが、振り返ってみると強引で自己満足になってしまったようにも思う。皆さんはそんなことを感じさせない態度で最後までお付き合い頂いた。
いつもながら気を使わせない優しい仲間と一緒に過ごせた時間は私にとって何より貴重で嬉しい気持ちで一杯になるのだった。







Last updated  2011年10月12日 17時56分35秒
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2010年11月12日
カテゴリ:旅行
高梁を訪問するのは4度目。
片道の距離が約250km程あるがさほど苦にならない。
山田方谷を訪ねるのだが、小京都と呼ばれる街並みにも惹かれるのだ。
慌ただしさを感じさせない市内を散策していると長閑な気持ちになるのがたまらない。
「男はつらいよ」シリーズで2度のロケ地になったのも高梁のえも言われぬ雰囲気がそうさせたのだろう。

ショウレンイン
寅さんが息を喘がせながら登った寺の石段

私がリスペクトする河井継之助は方谷を師と仰ぎ、多くを学んでいる。
私は河井継之助のよりも山田方谷が偉い人物だと思っているし、経世家としてmostであると思っている。
肖像画や銅像に印される山田方谷の穏かで控え目な感じが如何にも能力の高さ表しているようにも思う。
方谷
多くの子弟を育て、方谷の意志は遺産として引き継がれているのが高梁を歩くとよく分かる。

柿の木
柿の木が 季節を告げる 中井村

方谷の生誕地で中井村西方は寒村と言ってもいいような静かな農村で、この村に佇むとエアーシャワーを浴びせられたかのように身も心も静謐になる。

農夫
農作業が終わり、柿を齧りながら家路へ向かう農夫

JR方谷駅ではほとんど人と出会うことがない。
したがってホームへも改札口を素通しで行ける。

ホームに立つと迫るような山並みが自然の厳しさを人間に誇示するような光景で、このような環境が人間に自然の中に融け込むには謙虚でなければならないことを教えているような気にさせる。

方谷駅
珍しく方谷駅に車両が集結した

今回、夕暮れの中井で過ごせて、秋の季節を充分に堪能することが出来た。
まさに日本人の琴線に触れるような風景が私の気持ちを『コウヨウ』させたのでした。






Last updated  2010年11月12日 16時20分09秒
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2010年10月14日
カテゴリ:旅行
パソコンを始めて十数年が経ち、インターネットが身近になって十年位になるか・・・
情報化社会は目まぐるしい進歩を遂げているが、人間の中身は本質的に左程変化はなさそうだ。

インターネットが流行りだして趣味の世界に広がりがもたらされた。
『ホームページ』『掲示板』を利用してオンラインの繋がりが出来て、さらに進むとオフ会での出会いが出来た。
そんな頃に歴史を趣味とする人達。中でも河井継之助を信望するホームページのオフ会が2003年の冬に京都で開かれ、全国から14名が集った。
それが縁になって時々オフ会が開かれる。
今年は長州を巡るオフ会に当時のメンバーから8名が参加した。
それらのメンバーはもちろん全国各地バラバラなので、それぞれしょっちゅう会っている人もおれば、京都オフ会以来久しぶりに再会する人と、様々なのだ。
 しかしながら何故か京都オフ会でなんとも言えない連帯感のようなものが出来て、オフ会の企画を挙げるとほぼこのメンバーは集る。
 
 東京から新幹線でそれぞれの乗車駅から徐々に集り、列車内で6人が集合。新山口駅で全員集合してレンタカーで出発。
出発に際してもそれぞれが役割分担を認識しているので、あれこれ指示をしたり、頼みごとをしたり等の打ち合わせも無くすんなり出発できる。

 我々が訪問するところと言えば、記念館・博物館・神社・寺・生誕地・終焉の場所がほとんどで車から降りると皆がカメラを取り出し同じ物を撮り続けるのである。
 訪問地の中で特に多いのが墓地でカメラ片手に目的の墓を目指し、ただひたすら墓石に向かってシャッターを押す。
数人の集団が墓石に向かって憑かれたように撮影する様は他人が見ればどう思うだろうか?
幸い私達の関心は世間一般の人には興味が薄いようなので、ひと気も少なくその点で気味悪く思われることも少ない。
史跡の前でも、それに関するありったけの知識を同行者にひけらかすようなこともなく、サラリと説明板に目を遣りながら済ませる。
車内でもワイワイガヤガヤと騒々しくなく、スピーカーから流れる音楽を聴きながら、それぞれに会話を楽しむ。
しかし、夜の飲み会になると皆さん人が変わったようにテンションが上がる。
顔を真っ赤にして、唾を飛ばしながら興奮気味しゃべりまくる。(主に男性陣ではあるが)
結果翌日の朝食は重い頭をもたげるように無口に食事をする。(主に男性陣ではあるが)

こんなメンバーが2泊3日を共にするのだが、実に心地が好い。
何度も言うがそれぞれが役割分担を認識しているので統一した行動が出来てスムースにスケジュールをこなせる。
 なので最後の解散の時がさみしいが何年かに一度集うこのメンバー。
次の機会も同じようなパターンで左程進歩も変化もなさそうなのであるが、今から楽しみで仕方がない。






Last updated  2010年10月14日 18時41分21秒
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2008年08月30日
カテゴリ:旅行
我が家の子供達 長女 高校2年 長男 中学3年 次男 中学1年
それぞれクラブや合宿等で、去年の夏休みは家族揃っての旅行が出来なかった。
今年はなんとか1泊だけ日程が合ったので、淡路島の伯父の家に泊まらせてもらうことにした。
とはいうものの、長女はその日までクラブがあるので、後から電車・バスを乗り継いで遅れての参加である。

先発組は朝発って、淡路島へ。
昼頃に沼島の渡船場の土生に着いたが、船が出てしまったところで次の便まで1時間半もある。
仕方なく近くの阿万海水浴場へ行くことにした。
ここで泳ぐのは初めてだが、設備が整っていて多くの海水浴が遊ぶ。

この日は快晴なのだが、風が強く、パラソルが吹き飛ばされそうになる。
家内はパラソルを抱えるようにして皆の荷物番である。

いつものように息子達は海に入ると出てこない。
私も子供に負けずに海坊主になる。

今年日本海へ行った時にシュノーケルで遊ぶ人が羨ましかったので、そこの海の家でシュノーケルを購入した(ボッタクリ価格ではあったが)

シュノーケルを着けて潜っていると時間を忘れていつまでも海中で彷徨しているのだ。

大きな魚や小さな魚と一緒に潜っていると、

蛸を見つけた。
大きく息を吸って、潜る。
巨大オクトパスとの格闘の開始である。
逃げるオクトパス!追うターザン!「Ah Ahhhhhhhh!!!!!」
捕まえた!
体長4mはあろうかというオクトパス(mの前に0cを入れるのを忘れた!)
素手で仕留めたオクトパスを観て、浜辺の人々は大騒ぎであった!

tako
asi

ってなこともありながら、身体の日焼けも忘れて童心に帰るのである。


夕刻になり、娘と合流し、伯父の家にお邪魔する。

伯父の家のベランダから眺める夕焼けは最高である。

1
2
3

普段は喧嘩ばかりしている仲の悪い姉弟も夕日に見惚れ、仲良く記念撮影を。

3nin

食事を済ませ。
見事な星空を眺めながら、浜まで歩く。
途中で花火を購入し、ささやかな花火大会の開催である。

hanabi
hirohana
kemuri


この先、子供達も大きくなって家族全員で旅行をすることが何度あるだろうか。
出来る時に、思いっきり家族との時間を楽しもう!






Last updated  2008年08月30日 16時22分22秒
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2008年08月28日
カテゴリ:旅行
徳島と和歌山に挟まれた紀伊水道にあり、淡路島の南の沖、4kmほど離れたところに位置する小島である。
島の大きさは南北に1km、東西に2kmといったところだろうか、人口は600人程だという。
主な産業は漁業で、古い昔から沼島の水夫の技量は格別優れていて、司馬遼太郎の「菜の花の沖」にも水先案内の水主として登場する。

昨年のお盆に友人と長男と一緒に淡路島に遊びに来た時に、思い付きで初めて渡ったのだが、息子のお気に入りになったらしく、「今年の海水浴は沼島だ」くどいほど言うので、一家揃って海水浴に行くことにした。

沼島には店舗と呼ぶには心細い店が1軒あるくらいなので、滞在中の食料・飲料水は予め淡路島のスーパーマーケットで調達せねばならない。
食料・飲料水・水着・着替え・シート・パラソル等、てんこ盛りの荷物を一家5人の手が足りぬほど抱えねばならない。
まるで夜逃げである。

沼島へは1日に10便ほど定期船が出ている。

teiki

所用時間は約10分、高速で渡って行く船がとても爽快なのである。

hune

港へ到着して、海水浴場までは荷物を抱えて歩く。
この島にはもちろんバスもタクシーも無い。

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海水浴場は最近出来たのだろう。
シャワー・更衣室などが完備され、水辺は砂浜でとても清潔である。
息子は、この砂浜と清潔さが気に入ったのだと思う。
それに何と言っても海が奇麗いのだ。

午前中に到着したせいか、人もまばらで、プライベートビーチのような贅沢な感覚になれる。
我が子達は、水着に着替えるやいなや一目散に海に飛び込む。

・ ・・・・海に入ったまま・・・・・

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まるで棲家に帰ったように、姉弟は延々と泳ぎ、潜り、飛び込むのである。

真っ青な空とキラキラ光る海、対岸には淡路島、遠くは四国を眺めながら、
夏の一日を、あまり垢抜けたとは言い難いが、隠れたリゾートに来たような気分にさせてくれるのだ。

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沼島の周囲は海から切り立った断崖になっているために、集落はほとんどが港周辺にかたまっている。
沼島を観光するには島に上陸するより、船で周囲を遊覧するのがいいようだ。
上立神岩をはじめ、奇岩・巨石が島の周囲に巡らされているそうだ。

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ルーツを淡路島に持つ私としては「淡路もいいけど、沼島もね!」と思うのだ。






Last updated  2008年08月28日 13時48分39秒
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