女人高野
数日前、テレビを観ていると、「室生寺」のCMが流れていた。特別拝観があるようだ。昨年まで休日の楽しみとして京都歩きを続けてきた。数年間京都に通い、主な名所・旧跡は巡り尽くして、真新しい未踏の箇所が少なくなり、興味が薄れつつある。昨年辺りから旧跡巡りを奈良県にシフトしてゆこうか?と思っていた。「室生寺」多分行ったことのないところだと思うので、いつもの友人O君を誘い出掛けることにした。JR京橋駅で待ち合わせ、鶴橋から近鉄線に乗り換え、急行にのること50分ほどで「室生口大野」に到着した。前日は荒天だった為、奈良奥地のこの辺りまで来ると、遠くの山は雪を冠っている。しばらく歩くと大野寺がある。門をくぐると立派な枝垂れ桜の木が二本。春に来ればさぞ綺麗な花を咲かすのだろう。寺からは川を隔てて、大岩壁に弥勒菩薩の尊像が線刻されている。1,208年に彫られたもので、高さは8,5mある。長い年月の間に朽ちて、はっきりとした姿を見取ることは出来ないが、見事なものである。 時計は12時近くを指していたので、近くにあったドライブインに入る。メニューに草鞋のように大きなトンカツ定食の写真に空腹を刺激され、私たちは同じものを注文する。ビールを二本と熱燗を一本。改めて新年を祝い乾杯する。心地よい気分になって、室生寺を目指す。駅から室生寺までは6kmほどあり、バスが出ているのだが、1時間に1本だけ、1日に5本ほどしかない。初めから歩いて行くつもりだったので、早速歩き出す。車道を行くと途中に自然歩道に分かれるので、我々は自然歩道へ向かった。緩やかな上り坂にO君は早くも息を切らす。30分も歩くと道は獣道のようになる。高みになるにつれ、辺りの木々や草は雪を冠っている。さらに進むと道の険しさは増し、まるで登山のように岩や木にしがみつきながら登らなければならないような悪路になる。1時間ほど行くと辺りには雪が積もり、寒気も増してきた。急勾配をよじ登るようにして行くと、その先には木々の間から青空が覗いている。なんとか頑張ろう!気持ちを励まして行くのだが、あまりにも険しすぎる上りに二人は息も絶え絶えである。雪道を両手、両足で這うように進むと、靴の中はズクズク、手袋はグショグショに濡れて、ズボンは泥だらけになる。何とか尾根に辿り着きはしたが、激しい横風と一気に下がった気温で濡れた手足と露出した顔や耳は切れるような冷たさである。尾根伝いに歩くのだが、どうも様子がおかしい。積もった雪で道らしいものは判り辛く、仕舞には行く手が倒木で遮られて、どうにも進みようがなくなった。ここまで来て、我々は身の危険を感じ、引き返すことを決意した。しかし、もと来た道が判らない。行ったり来たりしながら戻り道を探す。寒気に晒された身体からは体温が奪われ、心細さに恐怖感すら湧いてきた。何とか来た道を見つけ、引き返すことが出来た。戻る道々話し合ったが、あの道でよかったのか?自然歩道の入り口に近づくと立て看板があった。よく見ると自然歩道は別の道であったことが分かった。我々は道を間違えたのだ。最初来たときには看板を見落とし、全く別の道を辿ったようである。山中を彷徨う事3時間。分別盛りの50男二人はただやみくもに間違った道で喘いでいたことになる。時計は2時半を指していた。気を取り直して、車道で室生寺を目指す事にした。4時前、ようやく室生寺門前に着いた。バス停の時刻表を見ると、4時15分が最終のバスである。仕方ない、帰りも歩くことにして、拝観を急ごう!寺の前に着くと、なんと拝観時間が終了していた。せっかく楽しみにしていた金堂の秘仏を拝む事が出来ない事に落胆はしたが、室生寺の伽藍はしっかりと目に焼き付けて帰ろう。室生寺の金堂・本堂・五重塔は国宝であり、他の建物も重要文化財が多数ある。くどいようだが、金堂に収められた釈迦如来像など多くの国宝があるが、この日は見られない。屋根に雪を頂いたそれぞれの伽藍は古びていて、寂びを感じる。境内にはすでに人影もなく、二人でカメラのシャッターを押しながら、寂しく廻る。奥の院へ行くには長い石段が続く。二人はまたも息を喘がせながら、時間を惜しむように登って行く。山中の落日は早い。既に陽は落ちてしまったので、帰途につくことにした。門前の商店・旅館は既に営業を終えていた。二人は来た道を急いで歩く。次第に暗くなる夜道を歩くと、時折鳥の鳴き声や猿の奇声に驚きながらも早足で進む。街に近づくころには、もう真っ暗闇で街灯も何もないので、道の白さだけを頼りに歩を進める。ようやく駅にたどり着いたときには6時を過ぎていた。二人は今日一日を振り返りながら、負け惜しみのような達成感を喜び合うのであった。電車を乗り継ぎ、京橋に着いた時は8時を回っていた。友人が経営するお店で熱燗を口にして、やっと一日無事で帰れた安堵感と、年齢のわりには良く歩いた満足感で店の友人に自分たちの健脚ぶりを自慢するのであった。