カテゴリ:日記
■月刊少年マガジン50周年
おめでとうございます! 楽天さんの特別企画でしょうか? ■映画評ではなく映画の感想 「オッペンハイマー」★★★★☆ インターステラーなどの人気監督クリストファーノーランをもってしても日本公開が危ぶまれた作品。 それは「原爆」を扱った映画だから。 一昔前なら原爆の父と呼ばれた男などの副題が付けられたかもしれないが 火に油を注ぐかも知れないと感慨もあるのは私が広島出身で福山市では「原爆記念日」と称され(この記念日という言い回しが大嫌いだった)8月6日には学校で黙とうを捧げていた。 自分の故郷は広島市中心からは100キロ離れた尾道と福山の近辺で、原爆から逃れた方も沢山疎開して移住してこられたのは御祖母さんから聞かされていて、のちにその人達が差別的な扱いを受ける部落問題や広島ヤクザが台頭する問題へと発展する。 原爆は落とした後の問題の方が大きかったのだ。 更に日本規模で収まらない原爆よりも恐ろしい水爆実験… 日本人、広島人として、この映画を推奨できるか?と問われれば、はっきりとNOである。 同梱の「戦争のない世界へ:オッペンハイマーと原子爆弾」は見る価値がありそうなので ★★★★☆とした。 この胸糞の悪い出来事はどんなテクニックを使おうとも美化や正当化はできない ■コメント 自分が講談社に出入りするようになったのは37年位前からですね。 未だに講談社系で当時とあまり変わらないか?それ以上のハードスケジュールで方々の作家さんの背景をお手伝いしております。 (ジャンプ系などの仕事もあるので勉強になってます) 講談社裏の別館、正確には第二別館だったかな? アメリカ軍に占領されGHQに接収された歴史もあった古びた洋館で朝から晩まで作画し、今の講談社ビルの編集さんや警備員さんが仮眠をとる部屋の二段ベットがランダムに空いていて泊まっていましたが、たまに埋まっていると電車で家に帰る生活もしていました。 当時は月刊誌でも100万部出ていたり(数字は編集さんと飲みに行ったりでかなり教えてくれていたので作家さんより知ってたりしました汗)給料は今の倍はありましたが、とても大変でしたね。 そしてメインで入っている作品と並行でしたし、個人的に結婚したりもしましたが…毎日家に帰れないのは本当に地獄以外の何物でもありませんし未来もなくなるのはご想像いただけるかと思います。笑 一緒にペン軸を開発していた先輩の亡くなられた歳までは生きられそう?かも?今となっては良い思い出ばかりが頭をよぎります。 昔、某作家さんが一生涯でひける線の数は決まっていると言われていました。 あと数年くらいは行けるかな? ともあれ月マガでスタッフとして背景描きに行ったりお会いしたりさせていただいた先生方の数はとても両手では収まらないので思い出話はこのあたりで、…今年の年末のパーティーは週刊少年マガジンさんの方で予定を入れてしまいましたが月マガは思い出がいっぱい50周年(ハーフアニバーサリー)おめでとうございます。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2024.12.08 01:29:51
コメント(0) | コメントを書く
[日記] カテゴリの最新記事
|
|