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テーマ:脳性マヒ・体幹機能障害(592)
カテゴリ:脳性麻痺
脳性麻痺児の将来
脳性麻痺児はやがて脳性麻痺者となる。正常化することはない。加齢で障がいはさらに重くなる。歩行していたものでも歩容が悪くなり、関節痛が早期に出現する。また1/4以上は歩行不能になる。車椅子使用者のほとんどは関節痛や頸部、背部、腰部痛がある。脳性麻痺者で知的障がいがあると、50歳までに死亡する割合は一般人の数十倍と言われている。 脳性麻痺児のレベルに応じた適切な目標と療育が必要である。 知的能力、上肢の能力、手術を含めて考えなければならない。運動能力と知的能力はある程度相関している。 レベルとかけ離れた過度の期待は本人や親の負担となってしまう。能力が劣れば努力で補うしかないが、補えないこともある。訓練をかなりやって何とかできるというレベルは本人にとってオリンピック選手並みの努力を要しているかもしれない。訓練が日常的に維持できるレベルでないと将来にわたって使えるものではない。 レベルI、IIは歩行可能であり、知的能力と上肢の能力に問題がなければ、自立可能である。しかし、痙性が強いと関節の拘縮が進みアライメントが悪く抗重力筋が働きにくくなり歩行不能となっていくこともある。 レベルIIIは車椅子レベルだが、膝歩きが可能であれば適切な手術で家の中などの短距離歩行が可能となり、自立の可能性が出てくる。膝歩きができなければ、独歩の可能性は低いが、四つ這いができれば杖歩行は可能なことが多い。しかし上肢の能力が低いと杖歩行も普通型車椅子も実用的ではなくなる。 レベルIVは介助が必要だが、知的能力と上肢の能力が良く電動車椅子などが使用できればある程度の自立と介助の減少が期待できる。そのためにも上肢でしっかりと支える能力を育てることは必要。レベルIII、IVでは上肢の能力が将来に関係する。 レベルVは呼吸や食事がしやすく、普段痛みなく楽に暮らせ、介助が楽にできるようにQOLの向上が目標となる。QOLの向上を目的とすれば聴覚に直接訴える音楽療法や視聴覚、嗅覚、振動覚、触覚などの五感に直接訴えるスヌーズレンなどは良い方法である。 いずれのレベルも変形や脱臼など二次障がいを防止するために適切な時期に適切な手術が必要となる事が多い。 脳性麻痺とはなかなか歩けなくて発達が遅れていると言われ、やっと歩けるようになっても強い緊張のため関節の拘縮や変形性関節症を起こし再び歩けなくなる非常につらい疾患である。 正しい手術をして痙性筋を緩め、残された抗重力筋を賦活すれば脱臼や変形性関節症の進行が防止され歩容が改善する場合や、歩行可能となる場合もある。 症例を呈示する。両麻痺例1-1(図3) 小児期に膝でのハムストリングスの延長と内転筋の切離を行っている。以前は両松葉杖で歩いていた。両側の臼蓋形成不全があり、現在股関節と膝関節痛のため動けない。脳性麻痺でなければ、臼蓋形成術などの適応である。 両麻痺例1-2(図4) さらに膝蓋骨高位もあり、両膝痛がある。両膝の屈曲障がいのため四つ這いもできない。 選択的緊張筋解離術と術後の訓練で両股・両膝痛軽快した。長座位、四つ這い、松葉杖歩行ができるようになった。 股関節の脱臼について 脳の障がいが重く、抗重力筋の麻痺が強い場合は痙性筋を緩めても歩行は不可能である。しかし痙性筋をそのままにしていると関節の拘縮変形が進み、脱臼することとなる。 小児期は軟骨成分が多く脱臼や亜脱臼でも痛みは少ない。しかし成人になるにつれ軟骨部分が少なくなり、痛みが出てくることが多い。脱臼していなくても関節は痙性筋の強い力で圧迫され普通の人よりも早く変形性股関節症となる。 歩けない場合でも体重がかからないので脱臼して良いというわけではない。脳性麻痺では強い痙性のため、関節が押しつけられる。そうなると痛みが強く、声も出にくく、座位や横向きの姿勢やおむつ換えが困難になる。 また、股関節が脱臼すると座位のバランスが悪くなり脊椎の変形も進行しやすくなる。脊椎が変形すると胸部や腹部が圧迫され内臓の障がいも出てくることとなる。また痛みのために不眠や食欲不振になることもある。 症例を呈示する。全麻痺例2-1(図5) 小児期より、右股関節の亜脱臼。18歳時、右股痛強く食欲不振となる。選択的緊張筋解離術と股関節整復術により疼痛軽減した。 一年後残念ながら心不全でなくなった。早期に二次障がいを防ぐ事が必要である。 全麻痺例2-2(図6) 脊柱側弯も股関節の脱臼とともに進行している。 将来どうやって生きていくか 母親の関心は子供の頃は歩くことができるか? いつ歩けるか? などである。 しかし、上に述べたように障がいのレベルはすでに決まっている。適切な療育によりレベルを下げない事は必要だが、大人になった時にはどうやって生きていくかが問題となる。 一般社会で要求される身体、頭、心の能力は 身体能力:主に上肢の機能に関連したADL(日常生活動作)能力、歩行速度は0.7m/s(通常の半分)以上 知的能力:IQ(知能指数、知的能力)>70 心の能力:EQ(心の知能指数:他人と共感、協調できてうまく関われる能力) 生きていくには 障がい者にとって生きていくためには周りの環境が整う事が必要だが、個人の能力も要求される。 障がい者が自立して生きていくには頭脳(IQ)と上肢の機能(ADLに直結)が必要。 IQはもちろん教育により磨かれなければならない。移動は車椅子などでできる。 自立できない場合は障がいの程度に応じた介護を受ける事になる。 その場合はADL よりもQOL(quality of life 生活の質)を求める事になる。その際にはIQよりEQが重要となる。 うまく生きていくのに必要なのは:心>頭>身体(上肢>下肢) 体のゆがみがなくまっすぐ立てるようになることは大事だが、まっすぐな心でよい笑顔になれることはもっと大事である。 強くなければ生きていけない、やさしくなければ生きていく資格がない。 介護・虐待の問題 最近話題になる事が多い虐待には身体的虐待、性的虐待、ネグレクト、心理的虐待、宗教などによる不適切な治療などがある。弱い立場のものはこのような虐待を受ける可能性が常にある。 介護の問題も、虐待の問題と同様にする側・受ける側・社会の三つの要因がある。三つの要因のうち我々が最も関わる事ができるのは受ける側の要因である。そのため介護や虐待を受ける側の、マイナス要因を少なくする事を考えなければならない。 受ける側のマイナス要因を少なくするにはEQの高い、他人と共感できるような、嫌われない、できれば可愛がられるような性格に育てることである。 また、痛みは性格にも影響する。痛みがない方が本人も介護者も楽である。そのために変形、拘縮、脱臼などを起こさないような治療が必要。また本人や介護者に負担のかかる肥満も大敵である。 心身両面で介護者にあまり負担がかからない事は、結局本人の利益となる。 我々はどうすべきか? 脳性麻痺児が将来にわたり、痛みや変形、拘縮をおこさないようにすること、また社会生活能力を高めるように心身のバランスのとれた発達が必要である。 そのために障がいに応じた適切な発達支援と廃用性障がい・二次障がいの防止を行う。 早期療育と長期療育。 過不足のない適切な早期からの療育と将来にわたっての支援が必要。 Slow but steady. 希望が丘学園の三つの柱 障がいの予防: 先天性股関節脱臼、ペルテス病、先天性内反足などの小児整形外科疾患を適切に治療し、身体障がい者となることを防ぐ。 障がいの軽減: 脳性麻痺などの障がい児への適切な療育に努め二次障がいを防止する。 障がい児・者の安心: 障がい児・者が安心して暮らせるように医療を含めた援助をする。 希望が丘学園のスローガン 「児童の将来を展望し、適切な療育を実施」 障がいを持った児童にとって「何が最も幸せか」を基本に、児童一人一人が将来にわたって 尊厳のある生活を送られるよう適切な療育に努める。 障がい児への援助 少子高齢化社会となり、国力の減退が心配されている。 子供はまさしく国の未来であり、希望である。 子供は国の宝として、社会全体で支えてなければならない。 しかしながら我々も含め子供は、障がい児・者となるリスクがある。 障がいなく生まれ育っているものはそのリスクを分け合い助け合うという考えが必要である。 障がい児・者にとっても、援助する側にとっても、また社会全体にとってもよくなるように「三方一両損」ではなく「三方よし」となるようにしなければならない。 棲み分けについて 自然界は弱肉強食の原理だけではない。強いものだけが生き残っているのではない。「駿馬も老いては駄馬にも劣る」というように強さもいつまでも維持できるものでもない。ライオンも際限なく他の動物を食べるわけではなく、満腹しているときは襲うことはない。ライオン自身も増えすぎるとえさが無くなり死んでしまうし、そうでなくてもいつかは死んで鳥に食べられたり、土の肥やしとなり草食動物のえさとなったりしていく。 自然界のすべての生物は全体としてみると輪廻のような大きな循環の輪の中にいる。大きな輪としてみれば強弱は関係ないことである。 ある時期の断面を見ても自然界では強い生物も弱い生物も生きている。弱い生物はそれなりに様々な能力を身につけ、強い生物から離れた生活の場を見つけて生きている。 つまり、自然界は共生とは少し異なり、棲み分けでバランスがとれている。 F1カー、車、歩行者もそれぞれ目的に応じてサーキット、車道、歩道を使っている。一緒に同じ道で共存することはできない。 しかし、サーキットを走っている人もいつかは歩道へ降りてくる。交わるところと交わらないところをしっかりと分けお互いに快適な状態にする必要がある。差別ではなく区別しなければならない。 生きていくにあたり早く走りたい人もいれば、ゆっくりとしか歩けない人もいる。同じように生きろと強制するわけにはいかない。またどんなに早く走っている人も最後は歩くこともできなくなる。 個人の状態に応じていろいろな選択肢が用意され、それぞれの場もスムーズに移行できなければならない。 社会の中ではお互いに時に交わることができるほど近くにいて理解しながら、それぞれに合った別の道を進んでいく。 人間社会もうまく棲み分けできる仕組みをつくっていくことが必要である。 障がい者は不自由さがあろうとも出来るだけ社会に進出し自分を主張する義務がある。そうすることが健常者と障がい者の相互理解を進めるきっかけともなる。 見せかけの平等ではなく最低限の保障があった上で、それぞれの能力に応じた生活ができる社会が望ましい。 園長 徳山剛(整形外科) 応援ありがとうございます♪ 励みになります♪ お便りはこちら 介護用品・まごころショップ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2014年01月05日 21時41分22秒
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