2007/03/28(水)13:33
「言葉」と「体験」
一昨日の「言葉」と「体験」についての続きです。
またまた、前振りですが。。。。
小説を読んでいて、まるで自分が主人公になって、
その場にいるような感覚を味わった人は少なくないと思います。
私は、ハリーポッター等を読んだ時、その場の情景がありありと
目の前に浮かんできて、全くの擬似体験をしてしまいます。
(NLP用語では、サブモダリティーと言います。)
なので、映画などを観ると、本を読んだ時に自分の心に描いた情景と
映画のシーンが微妙に違ったりして、違和感を覚えてしまうことすらあります。
同じ言葉でも、受け取り方は人それぞれなのだという、証拠です。
同じ映画を観ても、受け取り方は人それぞれなので、
正に無数の受け取り方があるということですね。
(NLPでは、DDG(distortion:歪曲, deletion:省略, generalization:一般化)と言います。)
また、人生論などの本を読んでいて、「ああ、なるほどな~」
と思っても、1週間もしたら忘れてしまう事って、ありませんか?
それは、その言葉にあなたの実体験が入っていないからです。
いくら沢山本を読んで「気付き」を得られたとしても、
あなたがその言葉を「体験」しなかったら、
一過性の言葉として、いつか消え去ってしまう運命にあるのです。
(ここでいう「体験」とは、過去の出来事の場合もあるし、
現在進行中、または、将来起こるであろう事柄の場合もあります。)
リーディングやチャネリングも同じです。
「へ~、そうなんだ~、ふ~ん」
で終わらせたら、それだけの事で終わってしまうのです。
その言葉に辛辣に向き合って、疑問を持ち、熟考し、
自分の納得のいくような形としなければ、全く意味がありません。
例え、それが他人と違っていても、それを気にする必要はありません。
それは、あなたにとっての「現実」であり、他人のものではないからです。
でね、本題の、「言葉」と「体験」についてですが、
「言葉」の集合体である本には、人類の叡智が詰まっています。
例えそれがフィクションだとしても、物語を通じて
あなたの心に訴えかけ、あなたは何かを感じ取っているからです。
しかし、本を読むことは、人々が書き残した体験(のサマリー)を
読む人のフィルターを通じて「気付き」という体験にするので、
書き手の情報が読み手に渡るまでに、膨大なロスが生じるので、
ある意味、効率が悪い、かも知れません。
「体験」は「言葉」よりも、強烈です。
人は言葉でしか体験を伝えられませんが、
1つの体験は多くの言葉を一掃してしまいます。
でも、「体験」するには、物理的に肉体をそのような状況に
置かなければならないので、時間的な制約があります。
NLPでは、実際の体験も、想像上の体験も、
脳の中では区別がつかない事を利用すれば、
実際の体験を、想像上の体験で
覆す事は簡単だと考えています。
インナーチャイルドワークも、ほとんどが、
過去の体験に、別の側面から光を当てて、
過去の体験を書き換えることに焦点が置かれています。
コペルニクスが地動説を提唱した時、
人々は、彼を狂人扱いしましたが、
今ではそれが常識になっています。
一方で、占星術は天動説の時の手法ですが、
地動説が常識となった今でも、
新しい手法なども取り入れ、
十分に機能を果たしています。
本を読むのも良いけど、その情報を丸呑みせず、
「体験」として、自分の物とする方が、
結局は早くて効果が高い気がします。