新しい年を迎えて
皆様、明けましておめでとうございます。いつの間にやら新しい年に。。。年末は大晦日まで、家族全員でウィルス系胃腸炎で寝込み、しっかり厄落としをして新年を迎えた我が家でした(苦笑)いつもは、あまりブログが書けないのですが、さすがに正月を迎えると、ブログに何か書きたくなります。やっぱり、いつもと違った意識になるんでしょうね。今回は年末、寝込んでいたせいで正月を迎えてから年賀状を印刷しはじめてます。過去の年賀状を整理しながら、ふと思いつきました。「そうだ、今年から終活はじめよう」突飛なアイディアだわさ。50代半ばでは、一般的には終活をする時期ではないとは思いますが、何しろ、私は基本的にはあまりこの世界に片足しか突っ込んでない状態で生きているので、ここ何年かで流行り出した「終焉活動」?=「終活」という言葉の響きにはとても魅力を感じ、安らぎさえ覚えるのです。実は、ここ数年、いや、10年近くかな、あえてこの世界と社会に馴染んでみたくて、この世での活動に時間と意識を割いてきました。それは、なかなか素晴らしい経験で、沢山の喜怒哀楽を感じることが出来たし、「生きてるな」って気がしました。前はあまり「喜怒哀楽」感じなかったんです。全部、映写室の技師として映画を観てるみたいな感覚で自分のことも他人事っぽく起きている出来事、ストーリーに感情移入できなかったんだけど、だいぶ、共感できるようになってきました。それでも、人からは、「いつも冷静で上から眺めている感じだよね」って言われてしまうことが多いので、根本的な土台までは変容はしないみたいです。話、戻しますが、今日感じた「終活はじめよう」ってのはここ10年ほどの努力の反動というか、より戻しってことかもしれません。いや、そうじゃないかも知れないけど、もし螺旋形の成長の輪を一周まわって、「身につける」から「身を落とす」サイクルに入ったのなら、入れるのなら、これはこれで、実に刺激的で好奇心が沸きます。モチベーションが上がります。といいつつ、今日一日の思いつきかもしれませんけどね。それでもいい。今日思ったこと、今、ここで、この瞬間に感じた事をこの人はこうやって言葉にしてますが、明日の私は今日の私とは全く違う誰かですから、継続性については全く責任が持てません。ただ、思ったことを書きたくなって書いただけです。それでもこの10年近くの年月で身に着けた共感性と想像力は皆に幸あれと願わずにはいられません。