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スピリチュアルカウンセラー 詩音の日々(2003年11月開設)

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2004.08.01
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アメリカに来て、74歳になった叔母と暮らし、
そして叔母の友人達も皆、ほとんど80歳を過ぎた人たちばかりで、
歳をとるということについて考えることの多い環境にいます。

身体能力と同時に頭脳が司る記憶力などの知的能力が衰えるに従い、
自分に対する自信を失い始め、様々な気力が衰えてきたり、
安全感が薄れてきて、心配性になってしまう人たちを多く見ます。

宇宙が「物質的なものは歳をとる、時間の経過と共に消滅し、形を変える」
ということを法則として決めたのなら、
一体どんな必要性があって、私たちは肉体的に歳をとるのでしょう?

それは、私たちに歳をとらない存在、永遠の存在である魂を求めるように
仕向けたかったからではないかと思います。

それは、魂の成長、つまりより愛を深め、自分自身を知るために役立ちます。

魂は歳をとりません。

魂は経験を積むという変化、成長するという変化はするけれども
肉体が経験するような老化をする、衰えるということはありません。

あなたが自分を、肉体的な存在だと認識していればしているほど老化を感じ、
霊的な存在だと認識しているほど老化とは無縁となります。

これは、私自身がまだ実際に経験していないので、知識としてしか知らないことですが、

「私たちの肉体は長くて百年しか持たないようには創られていない。
本来はもっともっと長く、数百年はもつように創造されている。

しかし、私たちは肉体を、適切で丁寧な世話をすることなく、
暴飲暴食や、ストレスをためることや、ネガティブな感情を溜め込むことによって
酷使し、痛めつけることによって、耐用年数を短くしている。」

あるスピリチュアルな情報では、このように聞いています。

それは多分、本当のことだろうと思います。

車を考えて見てください。
新車を与えられ、その車を乗り回すことが許された場合、
もし、運転に慣れていなくて、あちこちにぶつけたり、部品が消耗するような乗り方をしたら。。。

ましてや、ドライバーの気が荒く、丁寧な運転をするどころか常に怒りながら運転し、
人生が上手くいかなければすぐに車のせいにしてドアを蹴ったり、
ガラスを割ったりするようなことをしていたら。。。

身体に悪い、健康に良くないことが分かっていてやっていることは、
全て、緩慢な自殺を実行しているのと同じです。

私たちは、肉体の本来の耐用年数を経る前に、
突発的あるいは緩慢な自殺によって肉体を使い古してしまうのかもしれません。

イライラすること、ストレスを溜めること、ネガティブな発想をすることが健康に良くないことは、
今の時代誰でも知っていますが、知っていてもそれに対して本当に手を打つのは、
大抵は、もう元に戻らないほどのダメージを受けて後悔してからのことが多いようです。

それでも手をうたず、やけになって更なる緩慢な自殺行為を実行しつづけ、
お酒やドラッグや、様々なストレスによる機能障害によってついには肉体が機能しなくなるまで
やり続けてしまう人もいます。

成人病と言われる生活習慣病は、本来は、特別な霊的な存在理由がある場合を除いたら、
自分の心がけ次第で避けられるものだと思うのです。

一体どうして私たちは、こんなにも自分の身体を酷使してしまうのでしょう?

それは、霊的に未成熟なために、非常に無知で野蛮だからだと思います。
新車を大切に扱い、丁寧に乗ることができずに、数ヶ月にポンコツにしてしまう人と同じです。

もし、その車がどれほどの価値があり、どれほど大切で有難いもので、
丁寧に扱いさえすれば、故障もせずにどれほど長く使えるものなのかを本当に気づくことができたのなら、
私たちの寿命は、その気づきの深さに応じて伸びていくはずです。

でもたとえ寿命が少しくらい延びたとしても、本来の肉体の役割が果たせなければ意味がありません。

私たちは、肉体が若く、少しぐらい無理しても健康が保てて、自由に動ける間に、
自分は肉体ではなく、霊的な存在なのだということに気づき、
そして、肉体ではなく、精神ではなく、魂の欲求を土台にした人生観を創り上げる必要があります。

魂だけが、唯一、老化しないものだからです。
つまり、
魂だけが、唯一、真実のものだからです。

あとのものは皆、現れては消える夢、まぼろしに過ぎません。

魂の視点以外を土台にした人生観なら、
歳を経るに従い、必ずその土台の石がぐらつき、風化し、不安や心配を引き寄せるようになります。

ほとんどの人は、魂の視点を人生の土台にしていません。

あなたが、自分の物質的な頭脳だけが自分だと思い込み、魂の視点を自分のものにしてこなければ、
頭脳の衰えによって、自分の人生に対するコントロールが不能になったと感じます。

貴方が悲観的に考えようが、楽観的に考えようが、
実は、あなたの考えたとおりに、あなたの人生は魂によって実現してきました。

そして、それはつまり魂のゲームなのです。
このゲームは終わっても、次のゲームをしたければいくらでもできるし、
私たちの魂には何の不都合もありません。

でも自分が魂ではなく肉体や頭脳だと思っていれば、自分が消滅する恐怖におののくことになります。
だから歳をとり、体力や知力が老化してくると、
惨めに感じたり、人生がコントロール不能になってゆく恐ろしさに直面するのです。

自分は、体力や知力で人生をコントロールしてきたと思い込んでいるからです。
あなたがどういう状態であろうと、人生の出来事は全て、
宇宙そのものである貴方の「魂」がコントロールしています。

「老後の備え」という言葉をよく聞きますが、
それは一般的、世間的には、退職や引退した後の経済的な保障のことを指しているようです。
そんなものよりずっと大切な備えがあります。

私たちの霊的進化のこの段階では、頑張ったところで肉体をせいぜい百年しかもたせられないとしても、
肉体的、知的(これも頭脳という肉体のパーツの一部ですが)老化に備えて、
確固とした霊的な土台を築けば、何も心配することはありません。

もし、私たちがそれにしっかりと取り組んだならば、
自分の老後起きることを自分で意識的にコントロールしている感覚をもつことができ、
意識的に霊界へ戻る準備ができるからです。

肉体を離れる時が来たと、心の中の声が聴こえれば、
嬉々として準備をして、自分の肉体から本当の自分(魂)の分離を意識的に行うだけです。

私たち魂の故郷へ里帰りができるのです。
本来の死とは、そういうエクスタシーを伴う喜びに満ちたものなのだと思います。

そして、どんなことが起きようとも、全てが完璧で完全で
全ての瞬間に起きる必要のあったことが起きただけなのだと知っている状態で肉体を離れることができます。
それが、魂を土台とした人生観、世界観です。

不安は無知から生じます。
自分が魂ではなく、物質的な存在だという誤った信念をもつのは無知のせいです。
そして自分の内面には神がいて、全てを良いように取り計らってくれると感じることができないのは無知のせいです。

私たちは肉体と共に過ごす一生をかけて、この無知という闇に真理という光を当てる作業をしています。

その学びが進んでいなければ、肉体を去る最後の瞬間まで、不安や心配を通じて
「不安や心配とは無縁の永遠なるもの」を探し続けるしかありません。

できることなら、早い時期に無知からくる不安や心配は全てクリアーにしておきたいものです。





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最終更新日  2004.08.02 18:13:18



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