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スピリチュアルカウンセラー 詩音の日々(2003年11月開設)

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2004.11.18
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昨日、依頼していたインド占星術の鑑定の結果を聞かせていただきました。

最近週2回、ヨガに通っているのですが、
そのヨガの先生がインド占星術やアーユルベーダや姓名学などに詳しくて、それで鑑定を依頼したのです。

自分はリーディングをして、いつも人の鑑定をしているのだけど、
やっぱり自分のことはよく分からないというか
分かったとしても人から言ってもらって確認したいという欲求はあります。

そういう占いや自己分析のテストを気付きのひとつのツールとして利用するのは、
とっても面白くて楽しいです。

で、鑑定結果ですが、いろんな要因があって時に内容も矛盾していてかなり複雑なのですが、
全体的によく出てくるキーワードをまとめると、

心の純粋さ、神秘的素質、リーダーとしての器、カリスマ性、人気者の素質があるが、
(自分でも気づきにくい)傲慢さ、自分勝手さ、強い欲望をもつ。

財産、地位、名誉を得るが浮き沈みが激しい。
生まれた場所から離れて生活を送る。
2015年(52歳)より最も重要な時期となり隠遁生活を送る。

などなど、他の占いなどの結果とも似たような部分が多かったです。
といっても結構自分に都合のよいことしか覚えていないんですが。。。(笑)

今度の鑑定の中で何度も出てきたキーワードの中で
欲の強さと傲慢さ、煩悩的生活を送りやすいとあったので、
母に、こういう占星術でこんな結果が出たよと言ったら、

「ああ、あんた確かに傲慢なところあるわよ。
「傲慢というか子供の頃から超マイペースで人の迷惑考えないところがあったわねえ、今でもそうだけどねぇ。」

との予想通りのお言葉。(笑)
私は子供の頃から家族のトラブルメーカーでしたから。

実は傲慢という言葉自体、私には感覚としてよく分かりません。
それで傲慢って一体どんな意味だったかしらと、辞書で調べてみました。

/////////////////////////////////////////////

傲慢
思い上がって横柄なこと。人を見下して礼を欠くこと。また、そのさま。不遜。

横柄
人を見下したようなえらそうな態度をとるさま。

見下す
相手を自分より劣っていると思う。こばかにする。見さげる。

思い上がる
(1)実際よりえらい者だと思い込む。いい気になる。うぬぼれる。
(2)気位を高くもつ。自負する。

自分勝手
自分の都合だけを考える態度。すべて自分に都合のよいように考え、振る舞うさま。

謙虚
自分の能力・地位などにおごることなく、素直な態度で人に接するさま。

/////////////////////////////////////////////

というような意味だそうです。

自分の子供の頃からのことを思い返してみると、

全体的調和や相手の気持ちを考えて行動するより、
自分の感覚に従うことを常に優先していました。

だから強烈に自己中心的で我侭な部分もあったでしょう。
しかも妥協するくらいなら死を選ぶという位、頑固でした。
そして、非常に自己主張が強くパワフルだったので、かなり周囲が振り回されただろうと思います。

でも私自身は、そういう性格は今回の人生で、不可欠のものとして身につけて来ている自覚があります。

霊的に無知な次元で、誰の助けも得ずに本当に真実と思えることを探し出すには、
自分の内的な感覚を頼りにして、それに従うしかないからです。

しかも恐怖を超えて命がけで自分を信じるような自己信頼と頑固さが必要です。

その「自分の感覚に従う」ことが「自分勝手」で他の存在に対する思いやりに欠けることになるかどうかというのは、
頑固さや自己中心性とは全く関係ありません。

それは自己認識の問題です。
自分とは一体何で、誰だと思っているかということです。

一番狭い認識は、自分は肉体で頭で考える長所や欠点のある性格をもつ人格で、
あっという間に消えてなくなる儚い存在だという認識です。

そう思っている人は自分と他との利害が一致していないと感じます。
すると自分の利益を得るために他の人に対する誠実さを犠牲にしている感覚があったり、
人に嫌われることを避けるために自分に対する誠実さを犠牲にして表面上妥協したりするのですが、
結果的には自分にも他人にも利益にならない選択をすることになります。
そして自分や相手を恨むことになります。

でも自分が肉体を超えた魂で、永遠に生き、全ての存在とひとつ、「私はあなたで、あなたは私」
という認識が強まれば強まるほど、自己の利益は自分と他を含めた全ての利益と全くイコールだと分かるようになります。

そういう自己認識をもつ人は「自分勝手」な選択をすること自体不可能です。
自分と他が一つだと分かっているので、利害関係自体が存在しないのです。
関係というのは、二つ以上の分離したものがないと創れません。

すると全体的に最も利益のある選択肢がはっきりと見えて、それを何の迷いも下心もなく選択できるようになります。

無条件に他人に何かを差し出すことは、無条件にそれを自分自身に与えていることなのだと
分かっているので、得ることではなく与えることだけに関心がいくようになります。

その自己認識の広がりがない人、そこまで気付きが深まっていない人は皆、例外なく「傲慢」です。

自分か他人のどちらかの価値を見下しているのです。
あるいはどちらの価値も認めていないという意味で見下しています。

本当は私たちは自分達が想像がつかないほど価値があり、可能性と能力に満ち溢れているのです。
どんなに「思い上がって」みても、まだ全然認め方が足りないのです。
でも霊的な気付きが深まらなければその価値にも気付くことができないでしょう。

一般的な意味での「傲慢」であるというのは、
性格が悪いとかそういう問題ではなく、ある成長段階での、とても自然な状態なのだと思います。

私たちは皆、自分を愛する気持ち、生きようとする生命力から自己保存しようとします。
それは動物的本能で、すべての生物に与えられている能力です。
それがなければ、物質的な肉体を保つことは難しくなり、この世界に留まること自体も難しくなってしまうからです。

それでは肉体をもってこの地上で学ぶという前提条件が危うくなります。
だから私たちは精神的に霊的に全く目覚めていなくても、
つまり自分が肉体だとしか思っていなくても、この肉体は保持できるような機能(本能)を持っているのです。

「傲慢さ」というのは、物質的なものだけに価値をおく価値観や認識をもっている人が
自己保存しようとする欲求に従っているときの特徴だと思います。

さて、話を自分のことに戻しますが、
私は子供の頃から他の大人や社会からこれが正しい、こう考えるべきだというものを教えられても
自分の内面的な感覚と違うとなかなか受け入れられませんでした。

こういう部分でかなり頑固でマイペースで、自分の感覚にこだわりました。
傍からみればとても自分勝手に見えたでしょう。

それでも思春期の頃には、親の期待に応えようと努力して自分を偽った時期もありましたが、
数年の間にその生き方は破綻して逆ギレしてしまいました。(笑)

ある時期、不満をもちながらも、自分で考えず、リスクを負わず、
社会的な常識を鵜呑みにして抵抗しない人たちに対して非常に嫌悪感を感じ、
見下していたことはあったと思います。

でもそれは「傲慢」というより、社会の常識に取り込まれていない純粋な心を持つものの
稚拙だけど精一杯の自己愛の表現ではないかと思っています。

自分の強い欲求のあることに関しては、本当に小さい頃から命がけで主張し譲らないところがありました。
なので、ほとんどの場合、親が折れていたようです。

でも大人になるにつれてかなり過激で危険な選択をするようになっていったので、
親にとっても、その私と関わるのは、本当に命がけになってしまいました。
そんな大変な人生を送る私と関わることを選択してくれた魂たちに、心から感謝しています。

これからもインド占星術は、自分について気付きを深めるよきパートナーとなってくれるでしょう。
鑑定してくれた先生にも感謝です。





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最終更新日  2004.11.18 18:16:06



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