2017/01/16(月)21:32
「死」という「終わり」を意識しながら生きる感覚
先月、母と二人で横浜市の補助がある「ガン健診」というのを受けて、肺のレントゲンを撮ったのだけど、今日、その結果を病院に聞きに行ったら母も私も何も問題ないとのこと。
私はともかく、母は78歳だというのに、本当に大病せずにいてくれてありがたい。88歳になる父の足腰がここ最近、急激に衰えて心配だけど、頭は妙にしっかりしていて家族に負担をかけずに長生きしてくれているので、これまたありがたい。
となると、とにかく家族の中で問題なのはいつまでも地に足が付いた生き方が出来ない「娘=ワタシ」。ということになる(苦笑)それだけ家族には、深刻で緊急を要する問題がないってことなのでしょう。(と楽観的にとらえてる)ところで全く話は変わるけど、ここ最近、
「自分がもうすぐ死ぬんじゃないか」
という予感が強くなっている。
で、これは結構私にはよく起きる予感で、当たった試しがない。だからいまだに死んではいない。
もともと自分が死ぬことに対しては全く恐怖はないので、「その時」が来たら何の未練もなく清々しく「この世にお別れ」が出来る自信はあるのだけど(肉体的な痛みの問題はさておいて)、
いざ、残り時間が少ないと感じると、
短い時間にあと何が出来るだろう?
何を優先して、何を誰に伝えておこうか?
と具体的にあれこれ考えるし、
実際に出来ることはやっておこうと思う。
自分がこの世で生きていた間、一緒に笑ったり泣いたり、おしゃべりしたり喧嘩したり怒ったり、どんなことでもとにかく関わってくれて、共に貴重で刺激的な時間を過ごしてくれた人たちには
「感謝してます。本当にありがとう。」
と、自分が去る前に、是非伝えておきたいと思う。
そしてこういう感覚の時には、
自分がこの世で生きていた時(今もまだ生きてるけど)体験したこと、思い出す場面場面が、なんだか懐かしくて愛おしくて切なくてたまらなくなる。
思い出す記憶の中では、すべてスローモーションでキラキラ輝く光につつまれている。
で、今体験している、今日の出来事が、まるで自分が死んだ後に、もう一度再体験するチャンスが与えられて、今、こうやって自分はここにいる。
みたいな、不思議な感覚が起きる。
よく「人間は、死の間際の一瞬に、自分の全人生を走馬灯のように再体験する。」
というけど、きっとそれは真実だと思う。たぶん、脳のどこかに記憶は全部蓄積されてる。
私は、特別愛情深い、情け深い人格者なんてことはない。
絶対、そんなことはない。胸を張って言える。
ただ、自分の死が近いと感じ、残り時間を大切に生きようという感覚が強くなると、
精神状態がちょっとおかしくなり、妙に、人には優しくなる。
多分それが人間の本能のひとつに組み込まれているんだと思う。
実に人間ってのは不思議だ。
だから「死」という「終わり」を意識しながら生きるのは、大事なことだろうと思う。