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アルゴリズムの時代(スポンタ通信 2.0)

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2006年06月09日
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カテゴリ:カテゴリ未分類
さて、6月10日は6月の第二土曜日ということなので、デジタルジャーナリズム研究会が開かれることと思います。いまだ招待されていないので参加することはできません。また、もし会場に行くことができても、観客の立場では、一般質問で5分以内の議論にしか加われないので、参加してもストレスばかりがつのるだけでしょう。

会の内容も知らぬまま、その内容を揶揄するならば、「デジタルジャーナリズム」と銘打ったことで、その研究会は終わっている。デジタルはアナログの対立概念であって、アナログなるものを内包しない。民放各社は「デジアナ」とコマーシャルを打っているが、低所得者層がデジタルテレビを即刻買い換える余裕があるはずもなし、そのような状況でアナログ放送を打ち切ることはありえない。何故なら、クーラーさえ生活保護家庭が持つことを許される時代なのだから…。

誰も私を講師として招いてくれないので、ネット上でシンポジウムを行うことにします。
シンポジウムのタイトルは「参加する側から見た市民参加型ジャーナリズム」です。質疑応答はコメント欄や新たに掲示板を設けて行うことにします。



MC:シンポジウム「参加する側から見た市民参加型ジャーナリズム」。スタートです。

MC:まずはじめは、基調講演です。基調講演を行うスポンタさんの略歴はこちらをご参照ください。

勿論、「スポンタ、ローキック」とググっていただいてもかまわないと、本人はおっしゃっています。
それでは、スポンタさん。よろしくお願いいたします。



スポンタ:それでは、基調講演「参加する側からみた市民参加型ジャーナリズム」をはじめます。

私が、このシンポジウムをやろうと思ったのは、今世紀に入ってさまざまに登場したインターネット上の市民参加型ジャーナリズムのほとんどが、市民不在のまま運営されてきたということなんです。
デジタルジャーナリズム研究会では、大学の先生やマスコミ人たちがさまざまなことを論じていると聞きます。そして、私が確認できるだけで少なくとも4名の参加者が、ネット上で批判にさらされている。
私は指摘するのは、「批判にさらされる人たちが中心メンバーになって研究会をすること」ではない。
問題は、「批判にさらされた人たちが、その批判の内容に対峙しないこと」。そういう言論が対照させられることで、自らの言論をフォーカスし、論点を明確にしながら、有効な議論をすすめることに留意しない人たちが集うことに、何らの価値も見出さないのである。
彼らのレトリックを列挙すれば以下になる。


・彼の言動が問題になっているのに、彼が信じる教義を論じる。(論のすり替え→オウム擁護・讃美)

・教義を論じることで、被害者の存在を捨象する(言論の希釈)

・矛盾命題を純粋律に転換することにより、思考停止を目論む。(オウム→大日本帝国論)

・あえて「絶対的正義」などという奇怪な語句を使う。(論点ずらし)

・「こぞって」などの使用語句批判(論のすり替え&言論の希釈)


私には、そういうものにつき合う緻密さはない。また、そういうものが2ちゃんねるの上で行われているのだけれど、そこでの論議の作法というものを体得していない。


このシンポジウムに参加している方で、2ちゃんねるに詳しくない方のために、2ちゃんねるの素晴らしいシステムを以下に記述します。

・匿名掲示板と言われているが、警察など一定の捜査権があれば、発信者を突き止められる。また、参加者もIPアドレスを頼りに発言者を推理することができる。

・差分のない意見は自作自演として批判される。

・主観的な意見は、根拠を示せと指摘される。

・テーマに無関係なものは、「横レス」として批判される。

・検索エンジンから逃れるための意図的な誤字脱字文化が存在するため、発信者の国語力批判がなされない。

・議論に疲れたものを癒すアスキーアート(複数行にわかる絵文字)がある。

・発言には行数制限があり、長文を排除する。

・スレッド(ひとつのテーマに関する掲示板)で、書きこみが1000件になると議論は強制的に終了し、あらたに書きこみはできなくなる。そのスレッドは保管庫に収納され、対価を支払わなければ閲覧ができなくなる。→言論の加熱を抑止。やじ馬根性に制限を加える。

・書きこみが1週間なされないスレットは強制終了する。→無価値スレットの排除により、2ちゃんねる全体の品質を保つ。これは楽天が楽天大学を設置しているのと同じ目的であり、技法としては正反対である。

・スレッドで議論がすすむうちに、まとめを行う書き込みが出てくる。書きこみが1000件を越えても、まだ議論をおこないたい場合は、新たにスレッドを立てる。その場合、冒頭にはテンプレ(雛形)という書きこみを多数設置する。それは、いままでの参考資料(2ちゃんねる以外)のインデックスとでもいうべき、ものだ。

・テンプレの存在によって、後から議論に加わったものもリファレンスをたどっていけぱ、参加することができる。

・発言者たちが、2ちゃんねるの空間をステータスと見ていないこと。それが自由な言論を生み出されている最大の原因だと思われる。ここでは中学生も現役バリバリのサラリーマンも定年生活の人も対等に発言できる。そこが素晴らしい。

・どこまでも、オープンなのである。そして、バリートゥード(異種格闘技)の世界なのだ。そのことに気づかず、リアルな社会でポジションのある個が、リアルな世界で自分を取り巻いている透明シェルターの存在に気づかないで、参戦すると被害甚大となる。

・透明シェルターに守られていた個ほど無垢だからボコボコにされる。2ちゃんねるではないが、日本テレビ元アナの薮本氏のブログがそう。対策は、打たれ強い個を醸成するしかない。


※議論と書いてきてしまったが、2ちゃんねるの公式見解は、「あたらずさわらずまったりと」である。だから、議論というのは正確ではない。ウォッチ対象について、それぞれが感想を述べる。それが2ちゃんねるの掟である。どんなに義憤を同じくしていても、ウォッチ先に直接にアクセスする(特攻)は放置される。勿論、特攻者を求めるムードがあったり、尊敬されるムードもある。だが、あくまでも特攻は自己責任であり、それさえもまったりとウォッチする。それが2ちゃんねるである。私は、2ちゃんねるの運営者の西村博之氏に、「なんで議論を戦わせるなんていうのかなぁ…」と批判された。ものを言うことは戦うことではない。そういう西村氏の思想が2ちゃんねるには結実されているのだ。

西村博之氏のお仕事

尚、西村氏は2ちゃんねるの運営者としての管理責任を問われ、数億円ともいわれる賠償金を東京地裁から請求されている。
言論の発信者ではなく、言論の場の運営者が言論の責任を取らねばならぬのだとしたら、オウム真理教の布教の場となった京都大学が、地下鉄サリン事件の被害者たちに損害賠償の訴訟を起こされたら、支払わねばならぬということだ。私はまだ、京都大学が、オウムの被害者たちに謝罪したことを知らぬし、同様な事件の再発を防ぐための措置をとっていることを知らない。
かくも言論の自由とは、そこに集うものたちの都合と権力でなりたっているのかと、嘆かざるをえない。



話の枕はこれくらいにして、それでは、パワーポイントの画像を提示しながら、「既存の市民参加型ジャーナリズムの問題点」と題して、論じていこうと思います。






Last updated  2006年06月10日 06時34分08秒


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