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アルゴリズムの時代(スポンタ通信 2.0)

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Headline News

2006年08月27日
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オーマイニュース日本版スタートまで、24時間を切った。だが、状況は混沌としたままである。
世の中はアンガールズが完走できるかどうかに注目が集まっているが、日本の民主主義を考えるうえで、この24時間も見逃せない。
とはいえ、オーマイニュース日本版の情報に速報性的価値は低い。だから、前回同様、9月1日にマスコミを賑わすか、シンポジウムを終えた9月3日の日曜日に話題となるか。そのどちらかだろう。



反発を恐れずに指摘すれば、「みんなが市民記者」というのは魅力的なスローガンではあるが、このメディアの関係者は、「すべての市民が市民記者になること」を望んでいないようだ。

ただし、マスコミの伝統的語法によれば、左翼的言論の無名人は市民と呼ばれ、右翼的言論の無名人は民間人と呼ばれるそうである。そうだとするならば、オーマイニュースは間違っていることはしていないし、私も批判するに及ばない。ただ、市民という言葉を取り上げられてしまった私はどのような言葉を使えばいいのか。途方に暮れるのみである。

とはいえ、プロ市民とプロ民間人を排除するために市民という言葉を捨て、新しい言葉を使いはじめるならば、それはすばらしいことだと思う。

新しい言葉の概念に一番近いのは「個」「個人」「私」「私人」である。「私的…」などというレトリックが汎用される時代を考えれば、市民参加型ジャーナリズムも、私人参加型ジャーナリズムと変えてもいいのかもしれない。公なる人も私として発言するメディア。そういうものが、市民参加型ジャーナリズムのめざすものの一つであることは間違いない。
私人であることは、ステークホルダー(利害関係)も超越できる。そんな期待もできる…。



見方を変えてみる。

韓国メディアの日本上陸という歴史上稀有な出来事が明日に迫っている。
その背景で何が起きているのか。そのことを痛感しているこの数日の私…。

プロジャーナリスト、アルファブロガー、MIXI、シンポジウムなどのツールをつかった権謀術数ともいえる作戦を眺めていると、まさに日本的な精神風土とかけ離れたものが日本にやってくる。そのことが私にはどうしょうもなく見えてくる。

日本人は、そういう権謀術数を嫌う文化がある。異国からの来客はそのことを学ぶべきだし、それに関わっている日本人たちは、今一度、日本の精神的風土というものを勉強すべきだと思われる。

日本人のコミュニティーを扱わなければならぬ市民参加型ジャーナリズムがそれらを考慮しないならば、何の発展も期待できぬだろう。

勝てば官軍ではない。勝てば官軍と言って批判されたのだ。勝利の瞬間は、次の戦いへの始まりでしか過ぎない。オシム監督にいわれなくても、永遠のベータ版であるインターネットではそれは自然の摂理なのだ。



乱暴に言い放ってしまえば、宮本武蔵や日光東照宮から日本を読み取るのではなく、姿三四郎や桂離宮から日本の心を読み取れ。ということである。

「勝つと思うな思えば負けよ」。無念無想。これらのキーワードをあげれば、言論の世界とはいえ、彼らがやろうとしていることがまことに恣意的で、日本人の精神的風土から反発を食らうことは必至であることは、理解していただけるかもしれぬ。

その仔細は別のエントリーに譲ることにして、オーマイニュース開店準備ブログにコメントしたものを以下に採録する。



佐々木さんに対する返答を読ませていただきましたが、それに感想を述べることよりも、オーマイニュース日本版が成功するための基本的要件を満たしていくことが効果的だと考えます。

以下は、ライブドアPJおよびJANJANで経験した諸問題から勘案した成功の条件です。
努力事項は、市民参加型ジャーナリズムが社会的影響力を持つための必要条件です。

それぞれにつき、貴編集部は、
・その項目の重要性を認めるのかどうか。
・認めるなら、それを実現しようとしないのは何故か。もしくは、実現できない障害はなにか。
・認めないなら、その論拠は何なのか。
を明らかにすべきだと思います。

それにつき、何らかの返答をしないのであれば、コメント欄を開けている意味がないと私は考えます。
勿論、コメント欄が存在しても、そこに編集部の方がまったく登場しない異常事態ですので、このコメントにも返答がないのかもしれません。しかし、私がここにあげた項目を貴メディアが実現するならば、各メディアは勿論、巨大掲示板の住人たちも賞賛するに違いありません。


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【市民参加型ジャーナリズムの必須条件】
1.発信者の多様性の確保(実名・匿名・HNにしばられてはならない)
2.編集部の透明性の確保
3.編集過程の透明性の確保
4.編集部員、市民記者相互の対話の活性化(インフォーマルコミュニケション)
5.編集部、編集部員、市民記者、相互の対話の活性化(フォーマルコミュニケーション)
6.編集部、編集部員、市民記者の思想的立場・発信動機の透明性の確保
7.検証、訂正システムの構築・その過程の透明性の確保、それに関わる対話の活性化
8.外部圧力に対抗するシステムの構築(論理・システム・法務)

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【市民参加型ジャーナリズムの努力事項】
1.一覧性の向上
2.総覧性の向上
3.記事の品質の確保
4.記事の多様性の確保(対照意見・参照意見・多様なリファレンス)

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上記の夏休みの宿題を彼らはどう処理するのだろうか…。

この宿題を出してしまった以上、既存のメディアたちはチェック項目として指摘せざるを得ないだろう。そして、このチェック項目を無視することで、既存のメディアたちのスタンスも明確になるに違いない。

勿論、このような項目を公開したのは、ライブドアPJならびにJANJANがこの項目を満たすことができれば、メディアとして再生できるとの思いも込めている。



ところで、関沢新一氏が書いたという「柔」の歌詞。
私は、美空ひばりの歌で、
「お国生きてる柔らの夢が」だとずっと思っていたが、「奥に生きてる柔らの夢が」だと今回はじめて知った。

ちなみに、武術家・甲野善紀氏の考察によれば、「柔(体術)とは、相手を傷つけることなく相手を制圧する日本人の知恵の結晶」とのこと。私が考える、もののふの精神とは、「命のやり取りという究極の利己の営みを超越したものだけが達することができる、窮境の無私の境地」である。そういう利己的ならざる精神が武家政治を支えていたため、武士の時代が700年も続いたのだろう。

目先の戦いに囚われぬこと。利己的ならぬこと。
それがネット時代に行きぬく唯一の術であることを確信している。



…と、柔道場に通って6年の私は、その実力も省みずに偉そうに語るのだった。
本日もお稽古に行ってきます。www





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Last updated  2006年08月27日 11時35分19秒
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