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アルゴリズムの時代(スポンタ通信 2.0)

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2006年09月02日
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【主旨】

ヒエラルキー型の組織が行き詰った結果、フラットに組織を構築することがアップ・トゥ・デイトだという考えが蔓延している。だが、フラット型の組織モデルにも欠点や非効率な部分があり、ヒエラルキー型とフラット型をハイブリッドしないと理想の組織は構築できないと考える。

「誰もが自由に意見を言える」ことは、究極のフラット化である。だが、そのようにして抽出された意見が、ツリー状の情報処理システム(ヒエラルキー)によって、ひとつの世論に収斂していくことが期待できなければ、フラット化に意味はない。

オーマイニュース日本版の言論偏向が是正されたとしても、言論が拡散されたままではいつまでも社会的影響力も存在意義も示すことはできぬだろう。



【本文】

 行く川の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しく止まる事なし。世の中にある人と住家と、またかくの如し。
 玉敷の都の中に、棟を竝べ甍を爭へる、尊き卑しき人の住居は、代々を經て盡きせぬものなれど、これをまことかと尋ぬれば、昔ありし家は稀なり。或は去年破れて今年は造り、あるは大家滅びて小家となる。住む人もこれにおなじ。處もかはらず、人も多かれど、いにしへ見し人は、二三十人が中に、僅に一人二人なり。朝に死し、夕に生るゝならひ、たゞ水の泡にぞ似たりける。知らず、生れ死ぬる人、何方より來りて、何方へか去る。また知らず、假の宿り、誰がために心をなやまし、何によりてか目を悦ばしむる。その主人と住家と、無常を爭ひ去るさま、いはば朝顔の露に異ならず。或は露落ちて花殘れり。殘るといへども朝日に枯れぬ。或は花は萎みて露なほ消えず。消えずといへどもゆふべを待つことなし。

(方丈記 鴨長明)




唐突に方丈記とは…。と思われるかもしれぬが、ヒエラルキーとフラットの問題である。

鴨長明が生きた平安末から鎌倉時代の初期は激動の時代だったはずだ。そんな激動の時代とはいえ、固定的なヒエラルキーが厳然としてあったであろうことを方丈記から読み取ることができないだろうか…。
僧侶は僧侶であり、貴族は貴族であり、武士は武士であり、農民は農民だったろう。
だが、それが絶対的に不幸な人と絶対的に幸福な人を生み出していたかといえば、必ずしもそうではない。
都というシステム全体のヒエラルキーは保ったまま、そこに属する個や小集団が栄枯盛衰することによって、大きな都というシステムは温存され、都というコミュニティー全体が滅亡することはなかった。
栄達の道は家柄によるという部分もあったかもしれぬが、養子縁組なども盛んであったし、「赤と黒」ではないが、僧職に入る道もあっただろう。

一方、究極のフラットな体制を求めるならば何といっても、フランス革命だ。
王・貴族・ブルジョアジー・一般市民という社会全体のヒエラルキーなシステムを壊したのが、市民革命といえるだろう。
フランス国王や王妃を次々にギロチンにかけたのち、国を統治することを任された人たちは、市民革命の思想にのっとり、フラットな組織をめざしたに違いない。
だが、フランス革命の影響が自国の市民蜂起に繋がることを怖れた近隣各国はフランスに戦争を挑んでくる。フラットな組織で議論している暇はない。結果、革命を真の勝利に導くために、ロベスピエールは強権を発動し、諸国と戦った。だが、強権の発動は、自らが王になったに等しいことをロベスピエールは知っていたから、彼は断頭台の露と消えることを甘んじて受けた。混乱したフランスを軍人であるナポレオンが収拾したのは歴史の皮肉的出来事だ。



暴論かもしれぬが、私には次のようなことが見えてくる。

1.ヒエラルキーなシステムは、コミュニティーの秩序維持システムの役割がある。
2.フラットなシステムは、個の不満を解消することはあっても、コミュニティー全体に利するかどうかは疑わしい。


ならば、どうすべきか…。

【ヒエラルキーの側から考察すると】
1.複数のヒエラルキーシステムを用意することによって、ヒエラルキーに属する個の偏差を緩和すること。
2.個のヒエラルキー間の流動性を確保することによって、個の不満をヒエラルキーそのものに向けぬようにする。
※勿論、個がヒエラルキーを移動するには、第三者にとって合理的な事由があることが必須条件である。でなければヒエラルキーそのものの価値か瓦解する。

【フラットな側から考察すると】
1.フラットなシステムを補完するインテグレートするシステムを付与すること。
2.…。



さぁ、このように考察してきて、諸賢はどう感じられるだろうか。

私には、ヒエラルキーなシステムにフラットなシステムを付与すべきであって、フラットなシステムを根本に考えてしまうと、何も構築できぬとの結論が出る。



余談だが…、
フラットなモデルに連結手があるものをリゾームというのかもしれぬ。リゾームの対立概念がツリー状ならば、そういうことになる。だが、リゾームはルールやモラルといった概念を持たない。
ならば、ロベスピエールが経験した挫折同様、コミュニティーを現状維持することはできたとしても、コミュニティーを時代に対応させるべく変質させることはできない。
つまり、技術革新という進化(変化)に背を向けるならば、フラットもリゾームも価値がある。
換言すれば、私たちの現代社会は、テクノロジの進化という変化を否定できぬのだから、リゾームやフラットは社会の基本構造としては価値をもたない。

勿論、だからといってフラットやリゾームという概念にまったく価値がないわけではない。
だが、ヒエラルキーに反旗を翻す勢力たちが、当面の目標としてフラット化を掲げながらも、その先に当然の帰結としての、技術発展の否定があるのだとしたら、フラットという概念は、just referenceにとどめておくべきだろう。



「みんなが市民記者」というスローガンはフラットなシステムを想定してのことだと思う。
だが、そのフラットな思想が、対話というヒエラルキーに止揚していくツールを許容できぬというのが、オーマイニュース日本版の構造欠陥ではないだろうか。
オーマイニュースの編集部は、ロベスピエール同様に、自分がヒエラルキーな組織であることを知っている。だから、対話ができぬ。身動きがとれぬのではないか。

穿った発言かもしれぬし、実体を伴わぬのかもしれぬが、彼らを躊躇させるものにそうした根本的なものがないとはいえない。否、私の推論がまったくの見当ハズレだとしたら、それこそ軽蔑に値すると思っている。





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Last updated  2007年04月14日 08時29分19秒
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