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カテゴリ:「ジャーナリズム関連(既存・市民)」
そもそも、「オーマイニュース日本版×ブロガー」という冠がこのシンポジウムが予定調和のための企画でしかないことをすべてを言い表している。
ブロガーといっても、ほとんどはひも付きブロガーであって、個人ブロガーな人はいないようだ。そして、ブロガーのうちの何人かはエバンジェリックな立場で参加していることが容易に想像できる。
☆ 長くなると論旨の明瞭さを欠くので端的に言えば、
ということだ。メディアに、切実でない記事があふれることは、有用な記事への検索を難しくする。東アジア関連事項も、本質的なことをいえば、その問題が日本の存続を左右することではないから、日本社会はデマゴーグたちを許容しているにすぎない。 そのような尺度でシンポジウムの議論や話題を評価してみて欲しい。出席者の思想にとっては切実なことかもしれぬが、出席者の生活にとって切実なことが果たして議論されたのだろうか。
いますべてのネット者にとって一番切実なことは、
☆ インターネットの登場は無限のコミュニケーションスペースを市民に与えたから、戦前のように、市民たちが阿部貞事件に騒いでいる間に戦争の準備が着々とすすめられるなどということはないだろう。 ただ、記事の重要度をアクセス数という尺度にのみ頼ることは、検索性においての衆愚にまみれることだと思っている。 アクセス数はあくまで結果であって過去を示しているが、それで未来を測ることはできないのだから…。 注:衆愚とは、大衆の愚かさを言わない。それは、テンパーという感情に起因するものであったり、劣情という下半身に起因するものだったりするので、高貴なる魂にも共通するものだ。 リビドーやテンパーをフィルタリングする言論抽出システムも遅かれ早かれ開発されるだろうし、愚かさを大衆に求める野蛮な概念というものも、ようやく寿命が尽きるのではないだろうか。 追記: いまでも鳥越編集長は私と対話を求めているのだろうか…。 私は、すでに私の経験をネット上で開陳しているし、オーマイニュース日本版の問題点も解決方法も提示している。したがって、ボールはすべて投げているので、返答を待つだけである。 そうそう、シンポジウムに参加された山口先生は、市民記者と編集部で交渉をされてはいかがですか? と提案されているが、オープンなメディアではそういうインナーな発想は意味がないと考えている。勿論、そういうインナーなコミュニケーションチャネルさえないのだから、交渉も対話もできるはずはないのだが…。
私のような建設的な提案をする参加者がシンポジウムにいたことを祈るのみである。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2006年09月03日 09時21分36秒
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