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アルゴリズムの時代(スポンタ通信 2.0)

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2006年09月04日
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駒澤大学の山口先生がシンポジウムの音声をアップされた
リアルな参加で発言できぬよりも、ネットな参加で書き込むことのほうが有効だと考えて参加しなかった私だが、ネット中継の当日中止によりそれも果たせずにいたから、ポッドキャストを聞いてみようと思う。



山口先生が自らのブログで感想としてあげていたのは、一般参加のブロガーたちがパネラーのブロガー(アルファ?)に対する嫌悪感を示したことだ。山口先生は、アルファブロガーの実績を知らないから嫌悪感を現したのだと分析しているが、私はそうは思わない。


アルファブロガーたちに対する一般ブロガーの憤懣は、フラットなブロゴスティアという幻想を一般ブロガーたちがイメージしているにも関わらず、どう考えてもワンオブゼムという論理軸でないもので、パネラーが選択されたということ。


つまり、実績を知らないからではなく、実績で選ばれたブロガーだからこそ嫌悪されたという分析だ。



ネットにおける、オープン+フラットなイメージは幻想であり、実際は、オープン+ヒエラルキーな言論空間ができていることを自覚しなければならないと思う。

そして、その問題の提起は、ヒエラルキーの上のものがまず自覚することが、謙虚な印象につながるし、ノブリスオブリッジだと思うのですが…。


考えてみれば、そのことを確かめるために、梅田ウエブ進化論氏、歌田アスキーコラムニスト氏
、女性小説家氏などへのコンタクトしてきたような気がする。

アルファブロガーという本が出版されて以来、web2.0でオープンやフラットを語る人たちがその影でヒエラルキーの頂点に立とうと暗躍してきたことを、多くのネット者が気づいている…。




あの憤懣は感情のものではない。冷徹な思索のうえでのものである。




付記:


オープン+フラットはルールでしか秩序を保てないため窮屈だが、オープン+ヒエラルキーはモラルで秩序を保つために、秩序と自由の調和を実現することができる。







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Last updated  2006年09月04日 11時04分35秒
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