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ある個人ブログに、「半年後か一年後になるかわかりませんが、私がムーブメントを起こしたら、集まってくれると嬉しい」とコメントをした。
それに、なされたレスポンスは、このエントリーのタイトルである「バーカ!」と「…。」だった。 そういえば、オーマイニュース日本版が早稲田大学で行ったシンポジウムでも、パネラーになったブロガーに対して、「エリート意識」が鼻持ちならないと批判した一般ブロガーがいたそうである。 駒澤大学の山口先生は、その理由を、当該ブロガーの業績を知らないからリスペクトできなかった。と感想を述べたが、私は、「ブログスフィアはフラットなので、経験や業績を根拠に語ることが嫌とまれる」と、分析した。 だが、今朝接したこのコメントたちを見ると、もうひとつの背景が見えてくる。それは、
☆ 2006年において、もはやインターネットはオルタナティブメディアではない。というのが私の主張だ。 それは、2004年の時点での分析である「インターネットと世論形成。間メディア的言説の連鎖と構想」(電気大出版 遠藤薫・著)を、読んだことが大きなキッカケといえる。だが、そのような学問に連ねる方々が、今年の春にデジタルジャーナリズム研究会などというものを作って棹をさそうとしている。 私は、その成立事情について関知しないが、
☆ インターネットがオルタナティブメディアではないという前提において、インターネットを捉えたときに我々に見えてくるインターネットの世界はすべては変わってくる。 2ちゃんねるもそうだ。(ユーザー数700万人?) 「2ちゃんねるはリゾームである」と私は分析しているが、それは、2ちゃんねるが限られた人たちのためだけの玩具ではなく、社会に有機的に機能していることを表現している。
JANJAN、ライブドアPJ、オーマイニュース日本版が何故、構造矛盾に陥っているかといえば、インターネットがオルタナティブメディアの上に拵えられているという幻想に陥っているからだと思う。 オルタナティブなメディアの住人という気質は、人をハッピーにしない。だから、ハッピーでないメディアができあがるのだと思う…。 ☆ そして、ブロゴスフィアである。 駒澤大学の山口先生によれば、佐々木氏はフラットな空間をトップダウン形式によって成立させようという矛盾に陥っているという。 私はブログが300万人のメディアになってしまった以上、フラットは幻想でしかないと考える。そして、ブログの住人たちも、ブログがオルタナティブなメディアであったときは、集団から孤立する一匹狼であるとともに、他の一匹狼と交わろうとしないことをダンディズムにすることもよかったのかもしれぬが、そういう時代は終わりをつげようとしているのではないかと思う。 事実、有名ブロガー氏はコメントを閉じたり、TBを拒否したり、MIXIに引きこもったりする。それはそれで個の選択として自由だと思うが、そのような所作をする人がブログを讃美したり、ウェブ2.0をプロモートしていることは、私にはとうてい理解できない。 そのような現象をみていると、純粋なコメント者であり続けるトリル氏を、真のアバンギャルド(革新者)として尊敬する。 そういえば、昨年末ひらかれたブロガーたちのオフ会に参加したある有名ブロガー(黒崎氏?)は、その会合を相互不可侵条約を締結するための会議であると述べられていた。まさに、それこそがこれまでのブロガー気質とでもいうものであったのだろう。(それは「おたく」の語源に通じる気質に通じる) 黒崎氏はそのようなものと一線を画しており、そのためにさまざまな摩擦や波紋を呼んでいるようだが、それもひとつのアバンギャルドな所作なのであろう。 だがブログスフィアといえども、インターネットがコモディティー(日用品)化するとともに、コミュニティーのサイズが大きくなっていくことに無縁ではいられない。無限の空間のはずのブログスフィアといえども、ブログというアプリケーションの中の島宇宙である。きっとフラットでいられるコミュニティーのサイズには限界があり、いつか白色矮星の爆縮のような現象が起きるのだ。 そして、そのような兆候にいち早く気づいたのが佐々木氏である。何もしなくてもフラットな空間のはずのブログスフィアで、ことさらフラットの重要性を説く彼の矛盾の源泉はそこにあると私は感じている。 ☆ そのように論じてくると、ブロゴフィアはすでに自由でフラットな言論の空間ではなく、特定のバイアスの掛かった人たちの玩具に過ぎないということがイメージできるのではないだろうか。 分かりやすく言えば、
そして、私が今朝遭遇したことを比喩的に言えば次のようになる。
私が出席を募るべきだったのは、いまここにいる人たちではない。いまここにいない人たちに向けて情報を発信しなければならないのだ。 ☆ 絵本「ちいさいおうち」は名作である。 mixiに逃げ込んだ彼に、このお話のラストシーンが用意したようなグリーン・フィールズが待っていたのかどうか、私には確かめる術はない。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2006年09月05日 12時10分46秒
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