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アルゴリズムの時代(スポンタ通信 2.0)

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Headline News

2006年09月07日
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【口上】

渦中の栗を拾ったアルファブロガーたちの記憶は新しいけれど、私も彼らを見習って圧倒的な劣勢を強いられている鳥越俊太郎編集長の擁護論を展開します。

【告知】

昨日の「幻想の市民参加型ジャーナリズム」のアクセス数が116件を数えている。手前味噌で申し訳ないが、オルタナティブメディアではない日本の市民参加型ジャーナリズムを考えるうえで重要なドキュメントなので、市民参加型ジャーナリズムを分かりたい人にはぜひとも読んで欲しい。




【本文】


【ディベートが許される世の中ならば、自らのステークホルダ(利害関係)のために言説することは許される。】



鳥越俊太郎氏が「2ちゃんねるがごみ…」と言った理由は簡単です。それは彼がディベイトをしようと思ったからです。鳥越氏が私へのメイルには、「2ちゃんねるのことをいつも考えている」とありました。

オーマイニュース日本版をスタートさせるにあたって、最大の敵対勢力は2ちゃんねるだという彼の認識は、いまもって正しいでしょう。
ならば、「ごみ…」発言も彼のショウアップ作戦のひとつ。効果的な挑発だったはず。2ちゃんねる用語でいえば、「釣り」だった。そして、その釣りの効果は強烈で、クリック数に直結したことは明らか。

しかし、その挑発が思わぬ効果を呼び、劣勢に立たされた。思ってもみなかったことは、誰も自分を擁護してくれないこと。…あんなにみんな2ちゃんねるを嫌悪していたはずなのに。
オーマイジャパンの鳥越氏の孤独は、オールジャパンの中田氏の孤独に匹敵する。彼の如何なる努力も彼のステータスがつくった垣根を崩すことはできない。

そこで、彼は、「一部の…」と切り替えした。今度は、それを記事にした記者が、「一部なんていっていない。どちらかといえば…」と憤激している。
だが、私にしてみれば、これこそ笑止千万である。


私はステークホルダーが自らのステークホルダーのために言説することは誠実なことだと認めている。だから、鳥越氏が一連の彼の言説は理解する。


さらに言えば、すべての言論は主観的なものであり、過去といえども記録という主観のまざったものに過ぎぬから、記事は勿論、それが録音や映像であろうと、否定することはできる。

阪神ファンならば、長島茂雄の天覧試合のホームランをファウルだと否定したまま、村山実投手は逝ってしまったのを憶えている人もおおいだろう。


ディベートが推奨される世の中であるならば、自らのために発言を覆すことも、非難できぬ。否、自らの立場を捨てて、放置しておくほうが、無責任な行為となじられるべきだと考える。





【神でなければ客観が存在しないのならば、事実や真実で他者を批判することはできぬ。】

【主観には主観で対するべきである。】



私のブログを継続して読まれている人ならば、理解していただけるかもしれぬが、言論と名がつけば、それはすでに主観的なものなのだ。だから、そこに真実や事実があると語ることで、メディアの存在価値を求めること自体間違っているのだ。(参照URLのコメント欄を御読みいただければ幸いです。)

つまり、当該記者は、「2ちゃんねるはゴミ…」という記事を書いている時点で、手を汚している。自分が引き金を引いておいて、その火の粉が鳥越氏にふりかかり、たまらず鳥越氏が前言を撤回したことを批判する立場になどいない。というのが、私の立場だ。

換言すれば、記者はジャーナリストは裁判官の立場にはないということ。
かつて、ライブドアPJの主宰者は「ジャーナリストは社会の木鐸」「ウォッチドック」と語っていた。だが、もし、ジャーナリストがそのような見張り役だとしたら、誰の代わりに見張りをしているのだろうか…。
そもそも絶対的な客観などないのだから、ありもしない事実や真実を語ることで他者を批判することは傲慢だと考えるのだ。

当該記者は、そういう自らの主観性を放棄しておきながら、他者の主観性を批判する。そのことに大いに矛盾を感じる。あるべきは、自らの主観において、鳥越氏を批判することであって、事実や真実などというあやふやな概念を持ち出して、糾弾することになんら意味はない。



近江商人さんによる当該記者の感想によれば、きわめて主観的なキャラクターのようだ。きっと、そういう主観的な自己を記者という職業倫理が歪めているのだろう。
私がバックシャンと形容したのは、彼女が自分の後姿を自慢するためにネット上に写真をアップしているのではないという当然の理由から。
そして、実はここに市民記者がやじ馬であっていいのかという根本的な問題が含まれている。もし市民が、プロ記者のような第三者的な立場で社会を記事にしていこうとするならば、当然のように批判が起きる…。それが実名記事の場合は最悪の結果をもたらす。

シンポジウムでは、実名はアイデンティティーのためなどという虚論でしめくくられたようだが、実名はトレーサビリティーの確保のためである。もし、アイデンティティーのためなどという論を展開するのならば、実名につらなる属性情報も載せるべきだ。
自らの姓名にそのものに価値を求めるのは無意味と断じ、結婚において苗字を捨てた私は、実名に何の意味のないことを理解する。

今回の場合は、ありもしない客観性とともに、語る価値のない純粋律を援用しているところに問題がある。
純粋律に議論の必要はない。ならば、そういう言論を展開することは自らの私怨や劣等感の表れでしかない。そして、主観に対すべきは主観であって客観ではない。そして、そこから何も生み出さぬ客観ならば、そもそも価値はない。




【批判することは悪いことではない。問題は、解決策を模索できないからだ。】


9月6日の産経新聞の民俗学者・大月隆寛氏の「断」というコラムでは、「オーマイゴッド」とタイトルを掲げて、オーマイニュース日本版の批判が載っている。曰く、「とにかく、入り口が何であれ、最後は小泉批判、自民党批判、政府批判で、今の日本はよくない、にもってゆくその芸風の統一ぶりが見事です。」

私は鳥越俊太郎氏の擁護をかってでただけのことであって、オーマイニュース日本版を擁護する気にはなれない。
オーマイニュースに問題があるとすれば、それは私が指摘した改善項目を実現できぬ理由を公表できぬことに尽きる。


できぬことはしかたない。だが、嘆くこともできないのでは、やろうとしていない証明である。


そして、その件につき、鳥越氏の責任はほとんどないに違いない。もし、その決定を彼がくだしていたとしても、日々テレビ出演に忙殺される彼は、ライブドアPJもJANJANも知らないのだから、彼に判断を求めるほうが間違っている。

「オーマイニュースの挑戦」は日本語に訳されたが、私の「幻想の市民参加型ジャーナリズム」は韓国語に訳されているはずもない。ライブドアとJANJANで起きたことのほとんどは私の文章から類推できる。だが、自分たちの地位を危うくする私のドキュメントたちをオヨンホ氏の周りの人たちが翻訳し、彼に提出したことはありえないだろう。オヨンホ氏はシンポジウムで同時通訳に聞き入っていたというが、どれほどの状況を把握しているのか、極めて疑問である。


自らを晒すこと。そして、ステークホルダーに素直なこと。それは、人としてあるべき姿だと思う。


たしかに、彼はイデオロギーの囚われ人かもしれない。しかし、その御旗が高らかに羽ばたいている時代ならまだしも、ボロボロにちぎれそうになりながらも振りかざしているならば、誠実な所作である。サヨクが輝いていたときならば、彼は鼻持ちならぬ人間だったのかもしれぬ。だが、サヨクが輝きを失っている今、それを固執する姿は微笑ましいと思えてくる。
とはいえ、彼が私も知らぬ何物かの傀儡だとすれば、私は前言を撤回する。ま、そんなことがあったとしても、「一部の」を「どちらかの」と言い換えるぐらいで、ときどきの主観を大切にするる私としては論理の破綻はない。



この論理でいえば、エバンジェリックな立場でステークホルダーを語るのも許される。しかし、自らのステークホルダーを隠したまま、エバンジェリックであることは卑劣な行為である。ましてや、エバンジェリストがイデオロギストを装うならば、最悪である。
勿論、そういうベンチャーがあってもいいのだろうが、私はそのようなものを好まぬ。



ここまで論を展開してくると、インタビューした松永氏を擁護する論陣を張った泉氏。そして、その後を追ったR30氏、歌田氏、佐々木氏たちの言動を肯定することになる…。
たしかにそうかもしれぬ。彼らは、インタビューで感じた相手の体温に負けてしまったのだ。
私とて、ただ一通のメイルを鳥越氏から頂戴したという恩義だけで、この擁護論を展開しているのかもしれぬ。
だが、それこそ、人間の感情の所作であり、鳥越編集長がいっている感情で記事をかけということなのかもしれぬ…。



私はネット上においても、きわめて矛盾した自分を露出・露悪することで、リアルな人間として存在していることを提示していきたいと思っている。

…あのシンポジウムでの鳥越氏のように。







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Last updated  2007年04月14日 08時20分49秒
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